第74話




 カッと見開かれた澱んだ目と目が合って、奈村は言いようのない激しい嫌悪感に身を捩った。

「離せっ!!」

 奈村は梨波を振り解こうと足で蹴る仕草をした。靴底で土ががしゃりっと音を立てた。―――いや、それは土ではなかった。

 小さな穴の底、大して深くもない穴には、大量の虫の死骸と何かの小さな骨がぎっしりと詰まっていた。

 奈村は靴底で潰れる乾いた感触に吐き気を覚えた。

 異常だ。生きている頃から、異常だった。

 奈村は、どうすれば良かった?優しく丁寧に接したせいでこんなことになってしまった。だが、生きていた頃、まだただの少女だった頃から、異常な人間だと罵って手酷く排除すれば良かったとは、今でもまだ思えない。

 でも、それなら一体、どうすれば良かったのだ。

 わからない。奈村には、わからなかった。

「奈村さんっ!」

 大透が奈村に駆け寄った。

「私はいい、みくりをっ……」

 奈村にみくりを渡されて、大透は戸惑いながらも気絶した少女を肩に担いだ。重みでよろよろしながら斜面を下ってきて、稔の隣に立ってみくりをそっと木の陰に座らせた。

「倉井、どうすれば……」

 不安そうに尋ねてくる。文司も稔の傍らに寄ってくる。木々がざわざわと音を立てる中で、奈村は自分の足を掴んで這い上がろうとしてくる少女を睨みつけていた。

 梨波はもう奈村しか見ていない。奈村を手に入れるまで、この執着は消えないのだろう。

 奈村は梨波を睨んだまま、稔達に向かって怒鳴った。

「みくりを連れて行ってくれ!!ここから……この霊から離してくれ!!」

 奈村は犠牲になるつもりだと、三人ともすぐに悟った。

「――― 駄目だっ!!」

 稔は叫んだ。

 駄目だ。奈村はおそらく、自分が死ねばそれで済むと思っている。

 だけど、稔は直観していた。

 死ぬだけでは、済まない。あの、土の中に引き込まれたら、死んでも永遠に救われない。

 あの穴の中は、すでにこの世にあっていい場所ではなくなっている。

 稔はなりふり構わず駆け出していた。斜面を登り、奈村の脇に手を差し入れ引っ張り上げようとした。

 奈村の腰まで這い上がっていた梨波が、目を剥いて稔を威嚇してきた。

(怖い)

 足が竦みそうになった。手も震えてしまいそうだ。

 だけど、ここで奈村を離したら、きっと、稔はもう二度とふつうの生活に戻れない。

 だって、あの穴の中は、生きてる人間が陥っていい場所ではない。

 あの中は、あれは、あれは―――

「あなたっ!!」

 風が揺らす木々の音の合間に、女性の声が響き渡った。


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