第41話
***
文司は二日間学校を休んだ。
稔はあの日の翌日、学校で顔をあわせた大透に「あの不味い水は本当に人体に害はないんだろうな?」と詰め寄られたが、そんなこと稔の方が知りたい。
ちなみに一日学校を休んだ石森にも、もの凄く何か言いたげな表情で見つめられたが、彼は「迷惑かけて悪かった」と謝っただけで水については何も言わなかった。
黒田の説明によると、死霊と関わった人間は多かれ少なかれ体の内に悪いものを取り込んでしまうため、それを清水で洗い流すということだ。
悪いものは抵抗して水を吐かせようとするが、決して吐いてはいけない。水を不味いと感じるのは体内が毒されているせいで、それが浄化されれば水は普通の水の味に戻る。
確かに、飲み続けるうちに普通の水の味になっていくのだが、なにせ最初の一口が死ぬほど不味い。五歳の稔に「もう絶対この水は飲まない。霊とは一生関わらない」と決意させるほどの不味さだ。
(まあ……今回はペットボトル一本ですんでよかった……)
三日間に渡って水を飲み続けたであろう文司が若干うつろな目で登校してきた際も、稔は「もう二度とあの水は飲まないぞ」と決意を新たにした。
石森が文司に駆け寄って、二人で何か話している。時折ちらちらこちらを見るので、自分のことを何か言っているのだろうとわかったが稔は無視した。
文司が石森に何か言って、石森が驚いた顔をしている。
「なんか樫塚、ちょっとさっぱりした顔になったな」
稔の後ろの席で、大透が言った。
「前はさ、なんつーか、気取った感じで振る舞ってたけど、なんか樫塚って時々すごい弱っちく見えたんだよな。美形な上に成績優秀で高身長なんだからもっと堂々としてりゃいいのに、陰に隠れたがってるように見えたっていうか」
確かに、と稔も頷いた。陰に隠れたがっているというより、文司は自分を「陰」だと思い込んでいたのではないだろうか。すぐ隣に「光」のような存在がいたから余計に、自分を陰に陰に押し込めようとしていた。石森に対して憧憬を抱くあまりに、対等の友達となることを文司はどこかで拒んでいたのかもしれない。
でも今、石森をまっすぐ見て話している文司の表情からは、微塵も「陰」が感じられない。
「まあ、もう霊能力者のふりなんて馬鹿な真似はしないだろ」
とにかくこれで一件落着、もう霊なんて二度と関わりたくないと思いながら、稔は肩をすくめた。
「あのさ、倉井。樫塚が、改めて礼が言いたいんだってさ」
昼休みに大透と向かい合って給食を食べていると、石森と文司がやってきて机の横に立った。石森に励まされて、文司はおずおずと口を開いた。
「あの、この度は、俺なんかのせいで迷惑かけて……本当にすいませんでした!」
いきなり頭を下げられて、稔は面食らった。
「本当にありがとうございました。なんてお礼を言えばいいか……」
口調が敬語である。
「いや、そんな……」
稔は面食らいつつ頭を横に振った。こんな美形に教室で頭下げられたら目立つのでやめてほしい。
「つきましては、お願いがあるのですが……」
「お願い?」
文司はきっ、と顔を上げて言った。
「不肖樫塚文司!あの本をこの世から消滅させた倉井君の勇気に命を救われました!師匠と呼ばせてください!」
「…………は?」
唖然とする稔の前で、文司は熱っぽく続けた。
「恐ろしい霊にも怯えず、冷静にその正体を探り、解決の糸口を見つけ出す……師匠こそ本物の霊能力者です!師匠がまた俺のような人間を救うことになった時、微力ながらお手伝いさせてください!あの本を火に投げ込んだ姿が目に焼き付いて離れないんです……それに、黒田さんに聞きましたが、師匠は五歳の時にあの水を一か月間も……本当に尊敬します!」
どちらかと言うと霊能力よりも水の件の方に敬意を感じていそうな文司の言い草に、稔は思わず絶句した。
「俺が言っても聞かないんだよ。こいつがこんなに俺の言うこと聞かないなんて、マジで本気なんだな。まあ、樫塚がそんなに言うなら、俺は応援するぜ!」
石森がそう言って文司を励ます。
「おー!お前らにも倉井の偉大さがわかったか!仲間が増えてうれしいぞ!」
宮城が笑顔で手を叩く。
「よーし、樫塚!倉井の偉大さを世に知らしめるために、共に頑張ろうじゃないか!」
「おう!」
大透と文司が意気投合した。最悪だ。稔はうつろな目で窓の外を見やった。とりあえず目の前の出来事から目を逸らしたい。
(内大砂になんか、来るんじゃなかった……)
そう思いながら、大きな鳥が窓の外をまるで自由をみせつけるかのように緩やかに弧を描いて飛んでいくのをただ黙って見送った。
倉井稔、十三歳の春の日だった。
第一話「白い手」・完
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