第30話



「八年前に死んだ渡辺早弥子の本が内大砂に寄贈されたって可能性が高いな」

 アパートを後にして、大透が興奮を抑えきれないように言った。

「やっぱスッゲー手がかりだったじゃん!」

 背中をバンバン叩かれて、稔は複雑な気分で顔をしかめた。

 確かに、渡辺早弥子という少女がこの件の大元である可能性が高い。いじめられていただかなんだか知らないが、彼女の未練やら怨念やらが本を媒介にして竹原や文司に取り憑いたということもあり得なくはない。

 しかし、まだわからないこともある。

 内大砂に寄贈された理由もはっきりしないし、竹原や文司に取り憑いて害をなすのは何故だ。

 いじめられていてこの世に恨みがあるのなら、いじめっ子に復讐すればいいではないか。

 仮に、生前の自分と同じように英語が好きな仲間を道連れにしたくて取り憑いているのだとしても、何故、内大砂なのだ?

 緑橋と内大砂以外にも学校はある。学校以外にも図書館だってあるのに、何故よりにもよって内大砂に寄贈したのだ。

 稔は思わず深い溜め息を吐いた。

(他の学校にしてくれりゃ良かったのに……)

「あっ、そーいやそろそろ空手部終わる頃かな?」

 大透が立ち止まって鞄から携帯を取り出した。

「石森が帰りに樫塚の家に寄るって言ってたんだよな。連絡してみっか」

 稔も足を止めて大透が携帯をいじるのを見守った。首尾良くクラスメイトの番号をゲットしたらしい友人につくづく感心する。大透の愛想の良さは見習うべきなのかもしれない。

 稔が内心で大透への評価を更新していると、道の向こうから歩いてきた青年がふっと顔を上げて「あれ?」と声を上げた。

「えーっと…、こないだの……」

 稔と大透が顔を上げて振り向くと、そこに目を丸くした後藤が立っていた。

「後藤さん、こんばんは」

 大透が携帯を下ろしてハキハキ挨拶する。

「今、帰りか?ずいぶん遅いな」

「後藤さんも大学帰りですか?家、この辺なんですか?」

 後藤はコンビニの袋を下げたラフな格好だ。案の定、実家がすぐ近くだという後藤はふっと懐かしそうに目を細めた。

「この通学路、竹原と一緒に歩いたよ。短い間だけどな」

 当時のことを思い出したのか、後藤は悲しげに微笑んだ。それを見上げていた大透が、はっと思いついたように口を開いた。

「実家がこの辺ってことは、二人とも砂川小学校ですか?」

「ん?ああ、そうだけど」

「同じ学年に渡辺早弥子っていなかったですか?」

 大透の唐突な質問に、後藤は目をぱちくりさせた。

「渡辺?女子の名前なんてほとんど覚えてねぇし」

 それはそうだろう。よっぽど仲が良かった相手でもない限り、小学校の同級生などいちいち記憶していないのが普通だ。まして渡辺早弥子は大人しかったというし、印象に残らなくても無理はない。だが、大透は食い下がった。

「本が好きでいつも持ち歩いている女子がいなかったですか?たぶん髪は長くて大人しかったはずです」

「そう言われてもなぁ……」

 後藤は困惑して眉を下げた。

「渡辺は同級生に二、三人いたと思うけど……、ああ、いや。ちょっと待てよ」

 後藤は何かを思い出したように目を瞬かせた。

「そうだ。同じクラスに渡辺って女子がいたぜ。確か。下の名前までは覚えてねぇけど」

「本当ですか?」

「ああ。でも、休んでばっかだったような気がすんな」

 稔と大透は顔を見合わせた。休んでばかりいた。――恐らく、それだ。

 後藤は記憶を探るように視線をさまよわせた。

「あんま印象ねぇけど……、あ。そうだ。一回だけ竹原に相談されたことがあったな」

「竹原さんに?」

 記憶が蘇ってきたのか、後藤は何度も頷きながら語り出した。

「そうだ。確かあれは渡辺だった……。なんか、竹原がバレンタインにチョコと手紙をもらったんだよ。それがなんか気持ち悪い感じで……」

 後藤は顔をしかめた。「気持ち悪い感じ」とやらを思い出したらしい。しかし、小学生がクラスの女子からバレンタインにチョコをもらったぐらいで「気持ち悪い」とまで思うものだろうか。

 稔と大透が何ともいえない表情をしているのに気付いたのか、後藤は弁解するように言い張った。

「いや、竹原も普段は人からの手紙を他人に見せるような奴じゃねぇんだよ。でもさ、そん時は流石に戸惑って俺に相談してきたっつーか」

「いったいどんな手紙だったんですか?」

 大透が尋ねると、後藤は眉間に皺を刻んで言いにくそうに答えた。

「具合が悪くて蹲っていたところを竹原に助けられたらしくて、その礼と……それだけならいいんだが、それ以外が全部妄想みたいっつーか……」

「妄想?」

「運命がどーたらって感じで、竹原と自分は結ばれると決まってる、みたいな」

「うわ。そりゃ怖い」

 大透は正直に顔をしかめた。稔もちょっと背中がぞわっとした。

「ホワイトデーにお返しした方がいいのかって悩んでたからよ、「止めとけ」って言ったんだよな。どうせすぐに卒業だし、俺らは内大砂だから学校別になるし、気にするなって」

 後藤の話に稔と大透も深く頷いた。確かに、残り一月程度で卒業で離れられるのなら、そんな内容の妄想を抱いている相手には関わらない方が賢明だろう。どうやら渡辺早弥子は相当思い込みの強い少女だったようだ。

「あー、思い出すと薄気味悪いな……。でも、それがどうしたんだよ?」

「いえ、ちょっと」

 適当に言葉を濁して誤魔化すと、後藤は怪訝な表情を浮かべていたがそれ以上は追及してこなかった。

 稔は図書室に佇む竹原の姿を思い返した。後藤の話を聞く限り、竹原は偶然取り憑かれたのではなく、一人の少女の妄執に捕まってしまったように思える。大透も同じことを考えたのか、後藤を見送った後で稔に耳打ちをした。

「本の持ち主が竹原に惚れてて、竹原のいる学校に本が寄贈され、本に触った竹原が死んだ。偶然じゃないよな?」

 どこまでが偶然でどこまでが偶然じゃないのか、八年も前のことで当事者が死んでいるのでは今更知りようがない。

 だが、新たに判明した事実からは、渡辺早弥子の独りよがりな妄念が全てを引き起こしたとしか思えない。

(もしそうなら、竹原は何も悪くないのに)

 理不尽さに、稔はやるせない想いがした。


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