原作

Cigar × cigarette 原作

1【⠀Lady Cigarette 】


疲れた体を引き摺るように、

会社を後にする。

既に疲労はピークに達している。

いつもはハイヒールをカツカツと響かせて

テンポ良く足早に歩き進めるが、

今は不協和音にしかなっていない。


会社から少し離れた駐車場に到着し、

自車を止めている場所を目指して歩く。


少しだけ、見知った車を探してしまう。

車はあったが、人影はない。

・・・今日はいないか。


運転席のドアをゆっくりと開け、

滑り込むように座った。

ハンドルに覆い被さるようにうずくまり、

倦怠感が無くなるのを待つ。

そんなことで消える訳もないのに。


エンジンをかけようと

ノロノロと顔を上げる。

だが、かける気にもならず、

力無く窓にもたれかかった。

左手で、助手席に置いてある

煙草ケースを探す。


もう長年吸っているのだ。

見なくたって、

動きが身についてしまっている。

細めのメンソールの紙煙草を1本取り出すと、

無意識に口にくわえ、

流れるように火をつけた。


一口吸い込み、深く深く煙を吐き出す。

少しだけ、疲れも一緒に吐き出されるような

偽の感覚に包み込まれた。


「止めないと、なんだよね」


薄く笑いながら、吐き捨てるように呟いた。

今の私は、とても歪んで、不細工だろう。


どっちの意味で言ったかなんて、

自分ですら分からない。


〈どっちの意味〉


煙草というものは、快楽そのものだ。

法律が認めている薬物。

依存性が高い嗜好品。

これに長年、蝕まれていた。


いや、蝕まれているのでは無い。

そんな受け身じゃない。

快楽から逃げられないだけだ。


だって、私は頑張っている。

仕事をこなし、周りには気を使い、

身を削って生活をしている。

だから、法律が認めている快楽くらい、

逃げ込むように浸ったって良いじゃないか。


強いふりをした、弱い者の遠吠えだ。

そんなだから、離れられない。

凪の様で荒波の、あの男から。


外面は、皆に優しく気を使い、穏やかに話す。

とても心地よい水面に浮かぶように。

私はその凪に惹かれていった。


話すうちに、同世代で話がぴったりと合い、

価値観も似通っている。

話しているうちに

自然と気持ちが穏やかになり、

お互いが欲しい言葉を交わす。


凪の男の本当の姿は、そんなものじゃない。

常に自信が無く、

周囲から褒められる事で己を保つ、

荒波のような承認欲求の強い男だ。


そんな男から発せられる歌は、

甘く苦く切なく

胸を締め付けるような感覚に陥る。


そしてどんどんと距離は近くなり、

言葉だけでは足らず、

身体も交わすようになった。

交わしてはいけない相手なのに。

法律で認められないのに。


そんな男を、愛おしいと思ってしまった。

抱きしめたいと思ってしまった。


馬鹿だよ、私は。



2【⠀Mr.Cigar 】


疲れた体を引き摺るように、

会社を後にする。

既に疲労はピークに達している。

いつもは業務が終わった開放感で

スタスタとリズム良く歩くが、

今はとてもそんな気分ではない。

終わり際に大きな仕事が回ってきてしまい、

予想以上の残業を強いられた。


会社から少し離れた駐車場に到着し、

自車を止めている場所を目指して歩く。


少しだけ、見知った車を探してしまう。

いつもの場所に車はもう無い。

・・・帰ってしまったか。


運転席のドアを勢い良く開け、

今朝来ていた私服を探した。

汗と油で汚れた作業着を脱ぎ、

自分の好みで選んだ私服に着替える。


少しだけ安堵するのがこの瞬間だ。

本来の自分に戻れるような気分になる。

運転席にどっかりと座ると、

作業着のポケットに入れて置いた

電子タバコのケースを探した。

無造作にリフィルを詰め込み、

スイッチを入れる。


一口吸い込み、深く深く水蒸気を吐き出す。

少しだけ、責任も一緒に吐き出されるような

偽の感覚に包み込まれた。


『こいつに頼っても、な』


軽く笑いながら、飲み込むように呟いた。

今の俺は、とても憐れで、醜いだろう。


どっちの意味で言ったかなんて、

自分ですら分からない。


〈どっちの意味〉


俺には信頼する妻がおり、

愛情を注ぐ子供がいる。

休日は家族と過ごし、笑顔が絶えない。

見かけは穏やかで凪のようだろう。


周囲の評価もその通りだ。

幸せに包まれている家族。

パートナーである妻には感謝を伝え、

愛する我が子の成長を守りながら見届ける。

仕事で疲れていても、

それを見ると吹き飛ぶように無くなる。


それで正しい。それが正しい。

そのはずなのに、

何かが足りない感覚に陥る。

良い夫。良い父親。

男性としての部分が

ぽっかりと無くなっていた。

俺を守る人は?俺自身を求める人は?


そんな事は社会が許さない。

法律だって許さない。

俺の良心も許さない。


なのに、あの煙草を吸う女が

気になってしまっていた。


どこかの会社の制服を着ていて

眉を顰めつつもキリッとした顔で

車から降りる。

一見、近寄りがたい雰囲気を出しているが、

煙草を吸う時だけは潤んだ表情を出す。

その一瞬が、少しだけ艶かしいと思った。


少しだけ話せば、

見かけより気さくで同世代。

価値観が合うことが解った。

お互いの良い所だけを見ることができて、

心地の良い会話を交わす。


煙草の女の本当の姿は、

そんなものじゃない。

独りで生きる事を決めた癖に、

それに耐えられず

言い訳をしながら快楽へ逃げる女だ。


そんな煙草の女から発せられる賞賛は

俺を酔わせる。貴方はとても魅力的。

甘く切なく胸に染みて愛おしいと。


愛情とは少し違う感情。

激しい欲情、独占欲、強い感情が湧いた。


そんな女を、

我が物にしたいと思ってしまった。

責任、社会、そんな言葉は頭から無くなり、

欲望のままに押し倒した。

こいつは俺のものだと言わんばかりに。

凪から荒波に変わるとは皮肉。


馬鹿だよ、俺は。


3【 first time:Cigarette 】


いつもより荒んでいた。


狂う程に愛していた男性に手酷く捨てられ、

振り払うように、

毎日仕事に打ち込んでいた。

思い出さないように書類に没頭し、

気づけば1ヶ月が経っていた。

もう男性など、私には不要だ。

そう思い込んでは、何かに縋りたくなる自分を戒めていた。


その日は、その男性の誕生日だったのだ。


何度も葛藤した。

連絡をしたい気持ちを押し潰し、

そんな事しても意味は無いと、

自分に言い聞かせる。

何をどうしたって、気分は晴れない。


仕事を早めに切り上げ、

ドライブする事にした。

煙草を吸いながら、好きなように運転して、

車内で人目を気にせずに歌う。

そうすれば少しは気が紛れると思ったから。


その日にやるべき書類を手早く処理し、

多少体調が悪いふりをして早退をした。

15時頃だろうか。

少し早いくらい罪にはなるまい。


イライラは全くもって収まらない。

自車を置いている少し離れた駐車場に、

救いを求めるように、足早に向かった。


いつも車を置いている場所は、

その駐車場のなかでも奥まった所、

あまり人が停めない所だ。


駐車場の入口から歩き、

自車を目指して歩く。

遠目に見えてくるそれに、

その日は珍しく、隣に車が止まっていた。


何故、こんな所に停めるのだろう。

わざわざ人を避けているのが分からないか?

空気を読めばいいのに。


そんな思いを飲み込みながら、

少しずつ自車に近づいていく。

そして気づく。

隣に停まっている車から歌が聴こえてくる。

CD等の音源の類いでは無い。

中に人がいて、歌っているらしい。


なるほど


奥まった所に停めている理由はこれか。

それにしても大きい声で歌うものだ。

窓が空いてるんじゃないのだろうか。


はっきりと聴こえる位置にきて、

足を止めた。

意外なほど綺麗な歌声をしていたからだ。

中に人影を見ることはない。

恐らくシートを倒し、

横になっているのだろう。


少し興味が出てきた私は、

それ以上近づくのを控えた。

人が近づくのが解ったら、

歌を止めてしまうだろうと思ったから。

手頃な塀にもたれかかり、

少しの間目を瞑って、

その歌声に聴き入った。

知っている曲、知らない曲、

聞いた事のある曲

頭に染み込んでいくようだった。


何曲か聴いた後、

立っている事に疲れた私は、

自車に再び近づいていった。

あまり音を立てないように気をつけながら。

そして隣の車をチラッと覗いた。

案の定、中にいた男の人は横になっていた。

アイマスクをして、

片耳だけのイヤホンをしていた。

なるほどね。聴きながら歌ってたわけだ。


「歌、お上手ですね」


話してみたい衝動と悪戯心が働き、

半開きの窓から思わず声を掛けてしまった。


中にいた人はビクッと体を震わせ飛び起き、

慌ててアイマスクを外してこちらを見た。


『え、あの、聴いてたんですか?』


「はい、けっこう響いてましたもので」


『え・・・そんなに・・・』


「熱唱されていましたね」


『いや、え、お恥ずかしい』


「恥ずかしい事は無いかと。とても綺麗でした」


『え・・・?』


「人目を避けるように歌ってらっしゃるから、何かあるのかなと。お邪魔にならないようにしてたのですが」


『あ、いえ、まあ・・・』


「すみません、私の車が隣なもので」


『あ、退けますか?』


「いえ、大丈夫ですよ」


『ははは・・・』


「・・・差し支えなければ、歌ってて貰えますか」


『は?』


「すごく素敵だったので、もっと聴きたいなと」


『え、あ、え』


「あー、ごめんなさいね、変なこと言って。お嫌であれば無理なさらず」


『いえ、そんな事は!・・・あまり褒め慣れないもので』


「ああ、そうなんですか」


『お察しだとは思うんですが・・・仕事サボってるので。良くはないから』


「・・・ふふ、お互い様でしょう」


『お互い様?』


「私もサボってるんです」


『そうなんですか?』


「普段はしません。どうしても耐えられなくて」


『・・・そこも同じですか』


「それで、走らせながら歌おうと思ったんですよ」


『はは、俺と似たようなもんですね!』


初めて会ったとは思えない程、

最初の状況が同じだった。

それ故、意気投合するのに

時間は掛からなかった。


音楽の趣味は全く違うものの、

年齢を聞けば1歳しか歳が変わらない。

若い頃に流行った歌を口ずさめば、

自然と盛り上がった。


どっちからとも無く言葉が出た


〔折角サボってるなら、歌いにいきません?〕


初対面から誘うなど有り得ない。

自分達を何歳だと思っている?

30代後半、

もっと落ち着いていていいはずだ。

それでも、機会を逃したら駄目だと思った。


ナンパというには気軽さが足りず、

運命と言うには重さが足りない。


無責任な出会い



4【⠀second impression:Cigar 】


その日の朝、出勤前に、

妻と言い合いになった。

理由は下らないことだ。

イヤホンで聞いていた音楽の

音漏れがうるさいと、

苛つかれてしまったのだ。


いつもなら、軽く謝って終わるだろう。

しかしその時、俺は虫の居所が悪かった。

好きな曲を聴いているだけだろう。

なぜ嫌味を受けなければならないのか。


少しだけ言い返した俺に、

妻は更に苛つきを増した。

いつもの反応と違う事にも

困惑があったのだろう。

被せるように文句を言ってきた。

だからといって、

こちらも引っ込みはつかない。

険悪な雰囲気で家を出た。


ギスギスした気持ちのまま出勤し、

頭から怒りがとれず、作業も上手くいかない。

少し遅めの昼休憩をとり、そうしたら、

もう仕事をする気が無くなった。


俺には珍しい事だ。

むしろ、人の仕事を肩代わりするような

タイプだから。


今日の業務表を眺めると、

代理が利くような業務ばかりだ。

至急の仕事もない。

どうしても耐えきれなくなった俺は、

休憩後に具合が悪くなったフリをして、

14時頃、逃げるように早退をした。


イライラは全くもって収まらない。

自車を置いている少し離れた駐車場に、

救いを求めるように、足早に向かった。


駐車場の入口近くに止めていた

自車に乗り込み、

まずは今朝着てきた私服に着替える。

楽になった俺は、

これからどうするか考えたが、

特に思いつかない。行きたいところもない。

この駐車場で、車で寝っ転がって過ごすか。

つまらない男だな、俺は。


まずは、音楽を聴こう・・・


言い合いの原因になった

イヤホンをわざわざ取り出し、

左耳に入れた。

少し離れた、人が居ない所に移動しよう。


普段は停めない、奥まった方へ行く。

理想の場所は2台ほど停められそうだが、

1台は使われていた。

チラリと見ると、中に人はいなかった。

ああ、ここでいいか。

こんな中途半端な時間に、

誰も来ないだろう。


車を停めると、窓を半分開け、

電子タバコを取り出す。

スイッチを入れてしばし待ち、

一口目を大きく吸い込んだ。

窓から外へ吹き出す。


それまでは紙煙草を吸っていた。

電子タバコにしたのは、

妻と子供への副流煙を心配したからだ。

まぁ水蒸気にだってニコチンはある。

完全には止められたわけじゃないが、

それだって譲歩してる方じゃないか。

今までしていた事を変えたんだぞ。


今朝の苛つきがまた再燃してきた。

折角早退したのに、これでは意味が無い。


早々に電子タバコを吸い終わり、

シートを倒して横になった。

ドアポケットに突っ込んでおいたアイマスクを取り出して装着した。


視界が遮られて、

好きな音楽だけが耳に流れてくる。

贅沢だ。

これだけで、贅沢だと思ってしまった。


家族はとても大事だし、愛している。

だが、一人になって、

本来の俺はどんなだったか、

思い出したい気持ちがない訳では無い。

擬似的にそれを体感しているのだ。


思わず鼻歌を歌っていた。

元々歌うことは大好きだ。

周りには言わないが、

自信だってそこそこはある。


好きな音楽を聴きながら、

鼻歌より少し大きめに歌う。

どうせ誰もいない。俺だけの空間だ。

好きなことくらいさせてくれ。


少しの不満を混ぜながら、

どんどん声は大きくなっていった。

どんなものでも、

激しい感情を入れると魅力的になる。

歌う事に少しづつ、

イライラが抜けていくように思えた。


その時だ。


「歌、お上手ですね」


知らない女に声を掛けられた。


誰もいないと思っていた俺は、

心臓が跳ねるくらい驚いた。

付けていたアイマスクを外すと、

隣に停めてある車の横に立つ女が見えた。

少しだけからかうように薄く微笑み、

こちらを見ている。


聴かれていた事に

大きな恥ずかしさを覚えた。

自分だけの世界なんて一瞬で崩れた。

逃げ出したい。恥ずかしい。


だがその女は意外な反応を見せた。

もっと聴かせろと言う。

綺麗な歌だから、もっと聴きたいと。


その瞬間、

また違う世界に入ったような気がした。


たわいも無い会話をするうち、

似たもの同士であることが垣間見えた。


理由は違えどストレスを抱え、

少しだけ仕事から逃げ出してきた。

何をするでもなく、1人で居たい。

イライラを飛ばすように歌いたい。


ああ

独りでいるより

少しは良いのかもしれない


どちらともなく言い出した


〔折角サボってるなら、歌いにいきません?〕


これは・・・ナンパなのか?

そんなものじゃない。

ただただ、偶然が重なって意気投合した。

それだけだ。

疲れているもの同士、

趣味がたまたま合って、

歌いに行くだけ。


無責任な関係


5【⠀third action 】


いつも使っている駐車場で

意外な程意気投合した二人は

カラオケ屋に行く事にした。

数時間程度歌い、解散すればいいだろう。

お互いにストレス発散できれば、

それだけでいい。


なんとなく自分に言い訳をし、

それぞれの車で

近くのカラオケ屋に向かった。


同時に着き、

車を降りてから二人で受付へ向かう。

受付にて、同時に会員カードを出して

「お願いします」と店員に言った。


顔を見合わせて、同時に吹き出す。

私達、俺達、とことん似ているじゃないか?

不思議な安堵感と仲間意識で、

指定の個室へ行く。


カラオケルームとは少し奇妙な空間だ。

昼間なのに少し薄暗く、

入ると世の中から

遮断されるような感覚に陥る。

入ってから気づいた。

知り合ったばかりとはいえ、

ここには男女二人しかいないのだ。

なんとなくの気恥しさを振り切るよう、

二人は少し離れて対面でソファに座り、

お互いに、わざと明るく振舞った。


同世代ということもあり、

若い頃に流行った歌などを選んで、

交互に1曲ずつ歌い出す。

声を出すうちに、少しの緊張は解れていき、

口調も友達に話すものと同じになってきた。

ドリンクバーで持ってきたジュースで

喉を潤しつつ、競うように歌う。


男は甘く感情の込もる声で

色んな歌を歌い上げ、

女はとにかく通る声でアップテンポを歌う。

ああ、上手なんだな。お互いを認める空気。


それ以外にも思うことはたくさんあるが、

全てを歌の上手さに起因し、

褒め合うことで、

居心地の良さを維持していた。


小一時間が経ったころ、

どちらともなく休憩する感じを醸し出した。

若くはない。ずっとは歌っていられない。

身体の衰えを感じつつ、

お互いの身の上話を始めた。


女は、好きだった男に捨てられ、

男性に信用もなにもなく、

独りで生きていきたくなったこと


男は、妻とつまらない喧嘩をし、

それをきっかけに抑えていた不満が

少しだけ吹き出していること


他からみれば、

取るに足らない馬鹿らしい理由。

だが本人達からすれば大きな問題

それを理解し合うことができたから、

耳障りの良い言葉で慰めあった。


そんな事をしていれば、

«友達»という意識が働いてくるが、

その«友達»という括りさえ、表面上だ。

ただただ、己の承認欲求を満たしあう仲。

それゆえ、嵌っていくように居心地が良い。


ならば«そうなる事»は時間の問題だろう

二人ともいい大人だ。予想はついていた。

しかし、口に出せばよろしくない。

責任が発生してしまう。


だからこそ女は言った。

歌にかこつけた言葉を。

「貴方は魅力がある。」

「とても甘くて、切なくて、素敵な歌だ」

「ずっと聴いていたい」


そして男は受け止めた。

歌にかこつけた言葉を。

『ありがとう』

『貴女の歌だってかっこいいぞ』

『強くて綺麗な歌だよ』


居心地のよい関係に

責任なんか不要なんだ


6【 fourth impulse 】


それからというもの、

駐車場で顔を合わせる度に時間が許せば、

二人で歌いに行くようになった。


カラオケ屋に行くこともあれば、

どちらかの車に乗り込んで走らせ、

CDに合わせて歌うこともあった。


己たちの趣味を紹介しあい、

どんなアーティストなのかを話したり、

懐かしい歌を思い出したり。


表面上、互いを結びつけているのは

«歌»である。

少しでも話題が広がるよう、

色々な歌を探した。


その日、二人は同時に仕事が終わり、

駐車場で顔を合わせた。


男はいつもと違い、

疲労の色を隠しきれていない。

女がどうしたのかと聞くと、男は答えた。

友達関係でトラブルに巻き込まれている。

仕事でも相当な量が詰まっていて、

将来の様々な事を考え込んでしまい、

独りで抱え込んでいると。


妻や子供を心配させたくなくて誰にも言えず、

もう限界を迎えていると。


女は、それだけでは無いことを察した。

それをきっかけに、

全てにおいて自分を否定し、

自ら堕ちて行っているのだろう。

承認欲求が今までになく深く、

渇望しているように見えた。


それ故、少しだけ越えようと思った。

いつものカラオケではなく、

もう少し贅沢な所に行こうと誘った。

カラオケ「も」できる所へと。


何もしなければいい。話すだけなら。

ゆっくりと横になって話をすれば、

少しは楽になるだろう?

何も無ければ、何も無いよ、と。


男は戸惑った。だが、女の言葉に縋った。

そう、何も無ければ、何も無いんだ。

全てを裏切るような事じゃない。


女の車に乗り込み、

煌びやかな外装をしたホテルへと向かった。


お互いに、表面を滑るような言葉を並べる。

これは違う、これは落ち着いて話をする為。


ギリギリの所で、

言葉を出さないようにしている。


肝心なところには触れないように。

居心地が良いように。

迷惑にはならないように。

責任が無いように。


人目を避けるように車を降り、

足早に建物に入る。

くつろげそうな部屋を選び、

そそくさと入室した。


少しだけ持ってきた荷物をソファへ置き、

並ぶように座った。

気まずい映像が流れそうなので、テレビは付けない。流れてくる有線の音楽だけが響く。


男の悩みを聞くはずが、

上っ面な会話しか出てこない。

変な空気を感じながら、二人はそれぞれに

種類の違う煙草を取り出した。


女は紫煙をくゆらせ、男は水蒸気を吹き出す。

二人は顔を見合わせないようにした。

顔を見てしまえば、

何かを認める気がしたから。


『俺も紙煙草だったよ』


「だよね、電子タバコの人ってそういう人ばっかり」


『どうしても・・・な。気になるから』


「なにが?」


『人の目とか・・・家族の事とか』


「あーね、そうだと思うわ」


『たまには吸いたくなるな。やっぱり違うもんだよ』


「そうよねぇ・・・私、それ吸ったことあるけど」


『どうだった?』


「焦げたような匂いが駄目だった」


『ああ、そう思う人もいるんだってな』


「変われないのよ、あたしは」


『・・・そういう事じゃないだろ』


「変わる気もないのよ」


『あーな』


「だから、でしょ。今がこんななのは」


『・・・そんなことねぇよ』


「ふ・・・優しいねぇ」


『変わるのが、一概に良いとは決まってない』


「ま、そうかしらね」


『ああ、俺だって・・・』


「貴方は後悔してないでしょ」


『・・・してないよ』


「それなら、それでいいじゃない」


『ああ・・・』


「変われば変わったで、新たな悩みが出てくるの」


『そうだな・・・』


「それに立ち向かってるんでしょ、逃げながらも」


『うん・・・』


「それができるなら、良い男よ、貴方は」


『・・・なぁ』


「なに?」


『俺は、歌だけか?』


「・・・どういう意味」


『そう、していたよな、言わずとも』


「ええ」


『なあ・・・でも・・・なあ・・・』


男は両手で顔を覆い、言葉を吐き出した。

何か言いたい事はあるんだ。

出しちゃいけない。

でも言ってしまいたい。


女は、慈愛に満ちた目に変わった。

男の顔を横から覗き込み、

顔を覆っている男の手を優しく触り、

顔から離してやった。


男の背中に手を回してあやす様に

少しだけさすり、

しっかりと男の目を見て、言い放った。


「貴方は魅力的だよ。歌だけじゃない、貴方自体が甘くて切なくて愛おしいの。そのままでいいの。」


女は、男が望んだ言葉に踏み入った。

男は、望んだ言葉を抱えるように受け止めた。


何も考えないようにした。

考えたら終わりだ。


男は、自分を覗き込んでいる女の唇に激しく自分の唇を押し付けて、口中に舌を絡めた。

女は迎えるように受け止めた。


呼吸で少し離れた時に、ベッドに向かった。

男が女の手首を強く掴んで押し倒し、

好きなようにした。

自分の行いで、

恥ずかしそうに動きを見せる女に

衝動を止めることなどできない。


女は目を瞑り、声を出さないようにした。

目を合わせて声を出してしまえば

認めてしまうことになると思った。


この人の為に、自分の為に。

認める訳にはいかない。

責任など不要な関係なんだ。


それを見た男は、更に欲情に駆られる。

声を我慢しながらも、息を上がらせて、

艶めかしい表情を浮かべ、

目を瞑って横に顔を背ける女


ああ、もうどうでもいい。

責任などしったことか。

言葉だけじゃない、認めさせたい。

全身で認めさせてやる。俺の物にしてやる。

どんな俺でも、俺を必要とする女。

離さない。ずっと俺のものだ。

印を付けたい。

熱をもつのは俺だけじゃないだろう。


直接な熱が入るのを感じ、

堪えられずに声を漏らす女に、

男は嬉しさと安堵と興奮を

抑えることはなかった。


女は受け入れた。

堪らない様子で自分を弄ぶ男の顔が

余りにも愛おしい。

我慢している。

それを打ち破ろうとしてくる。


男が自分に向ける独占欲を感じた。

この独占欲を感じることで、

自分にはまだ価値があると錯覚できる。

いつまでも独りでいようと決めたのに、

欲する相手から、欲されたいのだ。


この直接的な快楽に浸り、

どうでも良くなる。

頭が白く、軽くなっていく。


二人の価値観はどこまでも

違うようきで似ている。


承認欲求の、利害の一致

それが当てたまるだろう。


だが、そんな理屈はもうどうでも良い。


ああ、もうなんでもいいや。

「好き」なんて幼稚な言葉だけ、

言わないようにすれば。


7【 fifth Greed 】


二人は、心地よい疲労感と充足感を満たし、

煌びやかな建物を後にした。

女の車に乗り、静かに会話をしながら、

何事も無かったかのように、

いつもの駐車場へと向かった。


『なぁ』


「んー」


『次は・・・』


「・・・いつでも会えるから、決めないでおこう」


『そうか・・・』


「約束は、しちゃったらさ・・・」


『わかってる』


「望んだ時、だよ」


『わかってる』


「会えたら、会う」


『・・・わかってるよ』


「うん」


冷たい関係なのだろうか。

違う、お互いの為だ。

それは分かってるから、二人とも頷く。


許される事じゃない。

法律は認めてない。

社会も認めていない。


さすが、仕事をサボって

出会っただけはある。クズな関係性だ。

だがその関係性が、

身勝手な感情を落ち着かせている。


必要悪なんて、聞こえはいいな。

もう、共犯だ。


駐車場に着き、男は自車に乗り換えた。

先程の熱が嘘のように、

車の中は静かで空のような

空気に満ちている。


ああ、さっきの事は本当だったのだろうか。


『じゃあ』


「うん」


『またね』


「・・・うん」


それだけ言って、

二人はそれぞれの帰路についた。


これから。


男は、家庭に帰り妻が用意した

暖かい夕飯を食べるのだろう。

女は、冷蔵庫にあるありあわせの食材で、

一人分の夕飯を作るのだろう。


何事も無かったかのように。

何も責任など無いかのように。


それなのに、熱だけは残ったままで。

なんて理不尽で、あやふやな想いなんだろう。


だが、それでいいんだ。

それが、自分達なんだ。

そして、独りで眠りにつくのだ。

これでいいんだ。



翌日



またそれぞれの、いつもの朝が始まる。

慌ただしく仕事の用意をし、

朝食をかきこんで、

車に乗って出勤する。


この日から少しだけ違うのは、

いつもの駐車場で見知った車を探し、

少しだけ近くに停めようとすること。


曖昧な関係の、曖昧な距離


確証は求めない、

それでも都合の良い時には

お互いを感じて安堵する


久しぶりにした次の日だ。

昨日から、疲労感が付きまとっている。

嫌な気はしないが、

業務には障りがありそうだ。


ああ、なんなんだろう


「『 やめなきゃいけないことは分かってる 』」


それぞれ車の中で、同時に呟いた。

一緒にいるわけでもないのに。


そうやって


先端に火をつける。

本体のスイッチをいれる。


やめなきゃいけない、法律が認めている薬物。

自分たちとは似ているようで真逆の物。


ああ、滑稽だな。


そうしてまた、確証のない毎日を過ごす。

期待しても仕方ない何かを期待して。

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