Cigar × Cigarette

哉子

Find me here ~SONG:僕はここにいる~

【 Lady Cigarette 】

 疲れた体を引きるように、会社を後にする。


 大量の書類に目を通し、全てに思考を対応させるという、精神的な疲労はピークに達していた。


 いつもはハイヒールをカツカツと響かせ、テンポ良く足早に歩き進めるが、今はダラダラとした不協和音ふきょうわおんが流れていくだけで。


「あー疲れた・・・ほんとに疲れた・・・」


 香苗 37歳


 周りに誰も居ないのいいことに、ポツリポツリと独り言を漏らしながら、会社から少し離れた、独自にめている駐車場に向かった。


 会社と直結している駐車場も使用はできるが、なんとなく使いたくない。


 仕事を終わらせ職場を出て、自車に戻った時に、職場の他の人達の車と一緒に並んでいるのを見るのが嫌いだからだ。


 無責任に仲良しこよししているようで虫唾むしずが走る。


 私はそこまで、他人たにんに心を開いていないから。


 道路のコンクリートとは少し色の違う、アスファルトの出入口が見えてくると、脇にある歩行者用の通路に入り、自車を止めている場所を目指して歩く。


 少しだけ、見知った車を探してしまう。


 あからさまに顔を向けて探すのは、なんとなくの気恥しさと抵抗がある。チラリチラリと素早く目を動かし、視線だけを彷徨さまよわせる。


 (・・・あった)


 お目当ての車はあったが、運転席に人影はない。ラフなシャツが無造作むぞうさに掛けられているだけで、運転者不在の、狭く物足りない空間しかない。


 (今日はいない・・・仕方ないか・・・)


 癒されたいと、勝手にしていた期待を裏切られた様な気分になるが、その反面、別に約束なんかしてたわけじゃないと、理性が働く。


 淋しさと強がりがい交ぜになり、複雑なストレスに似た感情が胸を支配した。


 諦めながらも、何も無かったかのような表情で歩を進め、人目をけるようにわざと一番奥に止めてある自車の元へ辿り着く。


 運転席のドアをゆっくりと開け、疲れた身体を滑り込ませるように座り、ドアを力なく閉めると、ハンドルにおおかぶさるようにしてうずくまった。身体からだはとにかく重く、その姿勢のまま、倦怠感けんたいかんが消えるのを待つ。


(そんなことで消える訳もないのにね。)


 疲れが抜けるのを諦め、エンジンをかけようとノロノロと顔を上げ、キーを回そうと手をかける。しかしその気になれず、ダランと右手の力を抜くと、窓にもたれかかった。


 まだ力が残る左手で、助手席に放り投げてある煙草ケースを探す。頒布はんぷ特有の、柔らかくもザラザラとした触感を中指で探し当てると、手のひらサイズのそれを軽くつかみ、無造作むぞうさにがま口を開けた。


 もう長年吸っているのだ。手元なんか見なくたって、火を点けて吸い込むまでの動きが身についてしまっている。


 長く細めのメンソールの紙煙草かみたばこを1本取り出すと、無意識に口にくわえる。カチンと軽い音を立たせてライターに火をつけると、流れるように先端に近づけた。


 一口吸い込み、深く深く煙を吐き出す。


 少しだけ疲れも一緒に吐き出されたような、優しくも偽物にせものの感覚に包み込まれる。


 いつまでもその感覚に浸りたいと思うが、そんな事は束の間の無意味な夢と、考えないようにした。


「止めないと、なんだよね」


 笑っていないうつろな目で、口元だけで薄く笑いながら、吐き捨てるようにつぶやいた。


 今の私の顔はとてもゆがんで不細工ぶさいくだろうと、静かに自嘲じちょうする。


 どっちの意味でつぶやいたかなんて、自分ですら分からない。


 分かったところで、なにも変わりはしないのだから。


【どっちの意味】


 煙草というものは、快楽そのものだ。

 法律が認めている薬物。依存性が高い嗜好品しこうひん


 これに長年、むしばまれていた。いや、むしばまれているのでは無い、そんな受け身ではなくて。一度知ってしまい、身体に染み込んだ快楽から、ただただ逃げられず浸っている。


 (なによ、いいじゃない。)


 だって、私はとてもとても頑張っている。笑顔を張り付かせ、時には凛々りりしい顔で威厳いげんを出しながら、毎日山のように押し付けられる書類を何でもないようにこなしている。


 身体も精神も削って、仕事をする事しか脳の無い、自分の存在価値を高める事に気を使っている。


 だからせめて法律が認めている快楽くらい浸ったって良いじゃないか。


 ああ、強いふりをした、弱い者の遠吠え。


 なんでも出来る、頼りがいのある人物を演じ、その実、隠れて泣きながら努力をしなければ、何もできやしない。周りの目を気にして常に疲れて、逃げるように安らぎを求めるのだ。


 それだけでは物足りず、少しの刺激も追いかける。なんという我儘わがまま、なんという矛盾。


 そしてタチが悪いのは、自覚をしていて変えるつもりもない、つまりは意思の弱い人間。


 自嘲じちょうするしかない。


 そんなだから、離れられない、離れたくない。

 なぎの様で荒波の、あの男から。


 常に周りに気を配り、独特の軽快な雰囲気で、水面に広がるさざ波のように人の心をき付ける。しかし穏やかでなぎのような優しさも兼ね揃え、私はそれにかれていった。


 実際、話すとよく分かった。同世代で話がぴったりと合い、価値観もそれなりに似通にかよっている。話しているうちに自然と気持ちが穏やかになり、お互いが欲し満たす、甘やかすような心地よい言葉をわすようになっていくのだ。


 そんなものは仮初かりそめなのに。

 なぎの男の本当の姿は、そんなものじゃない。


 常に自信が無く、小動物のように周囲に気を張り、返ってくるおだやかな感謝の反応と褒められる事に安堵あんどおのれを保つ、荒波あらなみのような承認欲求が強い男。なのに、一度心を許せば、おさえている性格の悪さがりになり、強い支配欲も垣間かいま見える。


 そんな男から発せられる歌は、普段おさえている分の感情が強く乗っており、甘く苦く切なく、時に激情げきじょうの様に強く響く。聴いている者達の胸を強く締め付けるのである。


 ああ、そんな真っ直ぐな感情をぶつけられるような快楽は久しぶりだ。


 どんどんと距離は近くなり、言葉や歌だけでは足りなくなっていった。そうなればどうなるか。大人なら言葉に出さずとも理解できるだろう。


 身体までわしてはいけない相手なのに。

 法律では決して認められないのに。


 そして、


 そんな男を、愛おしいと思ってしまった。

 凍らせたはずの感情がけだし、もろく積み上げた理性を、濡らして崩していくように。


 「馬鹿だわ、私は。」


 また一口、大きく煙を吸い込むと、車内にただよう煙を消すように、上に向かって吹きかけた。


 短くなった煙草を灰皿に押し潰すと、少しだけ力が戻った右手で、車のエンジンをかけた。

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