第四章 失われた王国(5)



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 月光のしるべにしたがい深く潜ったクルトとライアン、レイヴンとアゲイトは、黄金の光の円盤を抜けて水面に顔をだした。頭上には青空がひろがっている。灰色の石造りの城壁が、陽光を反射して白く輝いている。同じ色の石の街並み、波打ち際に伸びる桟橋。無数の皮舟カラフの帆が風にふくらみ、黒地に金のくし三本脚文様トリスケルを描いたウリン王国の旗がゆれていた。


 天と地、夜と昼が逆転したことに唖然とするクルトの肩を、レイヴンがつついた。四人は港を警備する兵士たちの視線をさけ、防波堤の陰に上陸した。


「何故、こんなに兵士がいる?」


 ライアンが上衣チュニックの裾を絞り、顎鬚あごひげの水をきりながら問う。クルトとアゲイトも、それぞれ上衣と脚衣ズボンの水を絞った。


「戦いに備え、近隣の部族の兵が集結しているからです。外浜そとはまおかには、フォルクメレが陣を敷いています」


 レイヴンは説明しつつ、肩にかかる自分の髪のなかから、ぷちぷちと数本をひきぬいた。片手に握りしめ、ごにょごにょ呪文を唱えて手をひらくと、毛髪は小さな黒い羽根に変わっていた。


「どうぞ、身に着けて下さい。彼らの注意を逸らします」


 仲間たちに一本ずつ配り、己は上衣の襟にフィブラ(留めピン)でとめた。


「気にならないようにするだけで、見えなくなるわけではありませんから、気をつけて下さい」


 アゲイトはねじり頸環トルクと肌の間に羽根をはさみ、ライアンは腰紐に刺して脚衣の内側に入れた。クルトは悩んだ末、レイヴンに倣ってフィブラで留めることにした。

 ライアンはほつれた赤い髪を後頭でまとめなおし、レイヴンを促した。


「それで、どうする?」

「城へ行きましょう。アーエン王女の許へご案内します」


 巡視中の兵士たちの隙をうかがい、先にたって走り出す。普段の大鴉オオガラス卿とは別人のようなきびきびした動きに、クルトとライアンは顔を見合わせた。

 アゲイトは片手で盾をふって水をきり、また革帯を用いて背中にくくりつけた。はがねの重さを知るライアンが問う。


「重くないのか?」


 アゲイトは、にやりと笑って答えた。


「羽根のように軽い」


 ライアンは、はあーっと息を吐いて首をふり、肩をすくめた。すぐ頬をひきしめ、レイヴンの後を追いかける。



 四人はレイヴン、クルト、ライアン、アゲイトの順でウリン島をかこむ防波堤の上を駆けて行った。クルトの想像以上に島は大きかった。堅牢な石造りの堤防の内側に石畳の道があり、その両側に家屋が並んでいる。窓枠や屋根を支える柱は木で、黒く塗られているものが多かった。灰白色の石壁と柱の対照が美しい。赤や黄色の花や、柳の緑枝が色を添え、青や緋色、紫色に染めた人々の衣装が目を惹く。女たちは黒髪を高く結いあげて黄金の櫛で飾り、男たちは恰幅かっぷくのよい胴に金糸の刺繍のはいった腰帯を締め、さやに琥珀や真珠を埋めこんだ短剣を挿している。豊かで、平和な国情がうかがえた。


 人々は街角に数人ずつ集まり、不安を隠せぬ様子で、話し合ったり湖の方を指さしたりしていた。クルト達は彼らを避けて裏小路を進んだ。城へ登る坂道から見下ろすと、ほぼ円形の湖面のあちらこちらに舟が群れを成しているのが観えた。上半身はだかの男たちが盾と槍を手に歩きまわっている。兵士の首にはアゲイトのものに似た頸環トルクが煌めき、日焼けした肌には藍色の塗料で渦や三本脚文様トリスケルが描かれていた。


(アゲイトなら、見つかっても大丈夫そうだな。)と、クルトは考えたが、声に出しては言わなかった。本当にそんなことになっては困る。視線を転じると、重なり合う屋根ごしにひときわ高い城壁がそびえ、先の尖った塔をしたがえた王城が迫っていた。門の扉は開いていて、槍を持った兵士が二人、通る者を見張っている。

 ここでも、レイヴンは躊躇ためらわなかった。


「わたしが彼らの注意をひきますので、その間に中に入って下さい」


 言うが早いか大鴉に変身し、ギャアギャア鳴きながら門番の方へ飛んで行った。驚く彼らの目前に舞い降りると、ぴょんぴょんと跳ねて近づき、また跳びさがってみせた。いきなり高く飛んでひとりの頭の上にとまり、髪をくわえてひっぱる。


「うわあっ!」

「こらっ! 何だお前、離れろ。わあっ!」


 悲鳴をあげる男からその相棒の頭にのりかえ、容赦なくかきむしる。クルト達は二人を気の毒に思いながら、そっと傍らを通過して門をくぐった。仲間が城内に入ったのを見届けると、大鴉はさっさと城壁をこえて飛び去った。


 城の前庭にはシャムロック(マメ科のクローバー)が生え、林檎や樫の木が枝をのばしていた。木漏れ日のさす花壇には、赤い薔薇やうす紫のエリカ、白いアンテミスの花が咲いている。海風をさえぎり陽光の降りそそぐ庭のなかは暖かい。石造りの井戸とその側に建つ丸い屋根の四阿あずまやを一瞥したライアンは、不満げに鼻を鳴らした。

 クルトはいぶかしんだ。


「グレイヴ卿?」

「気に入らぬな……。立地は良く、建物は立派だが、住人の数に比して井戸と畑が少なすぎる。食糧は殆ど外から運んでいるのだろう。籠城には向かぬ、平和あっての城だ」


 クルトは美しくととのえられた庭園を眺めた。〈聖なる炎の岳〉の麓、森と川に抱かれ、内郭に畑と家畜小屋をそなえた〈マオールブルク〉。広大な敷地に畑と果樹園と数多くの井戸をもち、防御にすぐれた山城〈アドラーブルク〉。――どちらとも違うウリンの城は、グレイヴ卿の目にはそう観えるらしい。


「クルト、グレイヴ卿」


 ひとり離れて散策していたアゲイトが、城壁の外を指さした。城の一部が突出し、そこから細く優美な石橋が湖上へ伸びている。対岸の半島には見覚えのない巨大な岩の塊があり、橋はそこへつながっていた。


「オルトスの堤防です」


 いつの間にか追いついたレイヴンが、人型に戻って説明した。


「遥か昔、地母神ネイの命をうけた巨人オルトスが、岩を積んで築きました。あの中の水門を開閉してロッホの水位を調節します」

「水位……」


 アゲイトが何かに気づいて息を呑んだ。レイヴンは哀し気にうなずいた。


「そうです。今日は満月――あの日もそうでした。ほぼ大潮おおしおです(注*)」

「レイヴン卿、あれは?」


 ライアンが石橋のたもとを示した。城の下の桟橋に舟が係留されている。折しも強風にあおられて王旗がはためき、湖面がざわついた。灰色の雲のかたまりが流れて来て、日差しを遮る。


「ヴェルトリクス王に会いに来たネルダエのリーたちの舟です。私たちも行きましょう。ご案内します」



 王城の壁は厚く、窓は小さく、城内は薄暗かった。階段はすべて建物内にあり、迷宮のごとく入り組んでいたが、レイヴンは迷うことなく先へ進んだ。クルト達は無言で彼についていった。時折、兵士や侍女たちとすれ違ったが、レイヴンの羽根の効果か、彼らを見咎めるものはいなかった。

 厚い石にかこまれた通路の先から、言い争う声が聞こえてきた。


「いつまで待てというのか!」

「やつらは収穫したばかりの大麦を奪い、畑を荒して行った」

「我が領内では家畜が連れ去られた。このままでは、民は冬が越せなくなる」


 しぶい男たちの声にまじり、細い、だが凛とした女性の声が聞こえた。


「どうかお待ちください。あの方は、必ず、兵をおさめて帰って来ます」

「アーエン王女。殿下があの男を信じるのは勝手だが――」


 謁見の間にたどりついたクルト達は、入り口に近い柱の陰にかくれて様子をうかがった。正面の玉座にはヴェルトリクス王らしき壮年の男が坐り、その隣に長い黒髪を編みあげた若い女性が腰かけている。二人の前にはネルダエ諸族を代表するリーたちが並び、口々に窮状をうったえていた。


「我らの信義にみあう対応を、連中は示しておらぬではないか」

「大軍で攻めてきているわけではない。説得の効果がでているのではないか」

「お言葉ですが、王よ。小規模な襲撃が続けば、民の緊張は高まり、疲労が蓄積します」


 クルトはヴェルトリクス王をみつめた。〈影の王〉に襲われた時は気を失っていて憶えていないが、こんな人だったのか、と思う。――つやのない木炭色の髪に灰色と緋色の毛が雑じり、うねりながら肩にかかっている。王冠の下の額は平たく、彫りは深く鼻筋はまっすぐ通り、とがった顎とともに厳格な印象を見るものに与えた。髪と同じ色の口髭と顎鬚あごひげが、うすい唇をおおっている。肌は浅黒く、瞳は冷たい灰色だ。狼の毛皮でふちどりした濃紺の毛織の外衣マントを羽織り、緑地に金糸の刺繍をほどこした豪華な長衣をまとい、膝には琥珀と青玉を象嵌した剣をのせていた。


「もう一日、我慢してくれ。戦端が開かれれば、取り返しがつかぬ」


 ヴェルトリクス王が長い顎鬚をゆらして宥めると、我慢の限界に達した王のひとりが声を荒げた。


「家畜を奪われ、家を焼かれ、家族を殺された者たちに、それを言うのか!」


 これを聞くと、アーエン王女は耐えかねたように立ち上がり、深紅の胴着ドレスの裾をさばいて部屋を出て行った。王たちは苦々しげに彼女を見送ると、議論を再開した。

 クルト達は、そこにとどまって王たちの話を聞くべきか、アーエン王女を追いかけるべきか迷った。レイヴンがクルトの肩に触れ、ライアンを手招きする。


 憤然とした足取りで部屋を出た王女は、歩きながら結い上げた髪をほどき、いらいらと手櫛で梳いた。豊かな黒髪が波をうって流れ、ヴェールのように腰をおおう。真珠や生花をあしらった髪飾りのいくつかが零れ落ちたのを、侍女たちが拾い集める。王女は自室に駆けこむと、壁龕へきがんの窓辺にくずれるように坐りこんだ。

 鎧戸よろいどを開け放った窓から、潮を含む風が吹きこんでくる。紫がかった雲が次から次へと空をながれていく。王女はしばらくの間、顔を伏せてじっとしていた。侍女たちは彼女の気持ちをおもんぱかり、声をかけなかった。やがて王女は白い手で目元をこすり、薄暗くなってきた空を仰いだ。


「アリル、どこにいらっしゃるの。何故、戻ってきて下さらないの……」


 レイヴンが、クルトにぴたりと体を寄せて囁いた。


「アイホルム公が船に向かってから、既に三日経つのです」


 クルトがレイヴンを振り向くと、魔法使いは沈痛な面持ちでうなずいた。アーエン王女を眺めていたライアンが、口髭をこすって呟く。


「あまり似ておらぬのだな。転生というから、少しは似るかと思ったが」

「え?」

「エウィン妃だ」


 まばたくクルトに、伯爵は冷めた口調で言った。モミの緑枝のごとき濃緑の瞳に、感情はうかがえない。

(グレイヴ卿は祖母を知っているのだ。) クルトは改めて王女を見遣り、悲しみと焦燥で険しくなっているその顔を、心のなかでティアナ叔母の面影と比べたが、確かに似てはいなかった。――黒髪の女性は神秘的だな、と思う。モルラとミーノンが懐かしい。


「同じなのは魂だけですからね。直系の子孫ではないし、無理ですよ」


 レイヴンは肩をすくめ、さらりと応えた。悪戯っぽい眼差しをクルトにあて、


「似るといえば。クルトはアリル公に似ていますよ。〈影の王〉が目をつけるのも理由あってのことかと」

「ええっ?」


 その時、風にのって、割れた金属の鍋を叩くような、怒れる馬の群れが一斉にいななくような大音声だいおんじょうが響いた。アーエン王女は弾かれたように立ちあがり、アゲイトはすばやく周囲を見まわした。レイヴンの顔がみるみるかげり、ライアンが舌打ちする。


「何です?」

「カルニュクス(戦闘ラッパ)。ネルダエの戦闘の合図だ」


 クルトの問いに、ライアンは早口に答えた。アーエン王女は愕然とする四人の前を横切り、再び部屋を出て行った。侍女たちの制止を振りきり、小走りに階段を駆け下りる。

 レイヴンは仲間を促した。


「いよいよ、ウリン滅亡の時がきました。行きましょう」





~第四章(6)へ~

(注*)大潮: 月・太陽・地球が一線上に並ぶ新月と満月の頃、月と太陽の起潮力がかさなり、潮差が大きくなります。このときの潮汐を大潮といいます。実際は、海水の運動は地形や水の摩擦などの影響で遅れるため、新月・満月より1~2日遅れて最大潮差が観測されています。(逆に、月と太陽が地球から見て直角の方向に位置する上弦・下弦の月の頃は、月と太陽の起潮力が打ち消し合い、干満差の小さい小潮こしおとなります。)


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