第三章 盾の騎士(5)



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 〈アドラーブルク〉の地下牢から引き出された囚人たちを観て、クルトは首をかしげた。男たちは新しい(といっても城の下男の御下がりだ)衣服を着せられ、髪と髭をととのえられ、肉づきがよくなっていた。日焼けして顔色も良い。牢暮らしといえどきちんと食事を与えられ、毎日農作業などをしていたらしい。憂鬱ゆううつな表情で檻車にのるときも、鎖で縛られてはいなかった。

 ライアンが少年の無言の問いに答えた。


「豚を市場で売るときもそうだろう。状態のよい方が高く売れる」


 ……まさか食べるわけではなかろうに。クルトがトレナルを見上げると、彼はくすりとわらい、


「彼らはラダトィイ族にひきとられ、鉄づくりの場で働きます。衣食住は与えられますが、自由はありません。働けないほど弱った状態ではかえってご迷惑をおかけするので、あるていど体調を整えてから引き渡すことにしているのです」

と説明してくれた。


 強盗殺人を行い、本来なら火あぶりのところを追放処分になった男たちだ。遺族の心情を思えば当然かと、クルトは納得した。



 トウイー川には橋が架かっていない。〈アドラーブルク〉の塔から、木の板をたたく高い音がココココン、コンと川面かわもに響いた。すると対岸の森から、コン、コン、コココンと返事があり、いかだ皮舟カラフがやって来たので、クルトは眼をみはった。

 筏は羊の皮をぬいあわせた空気袋を並べた上に、板をはって作られていた。格子縞の毛織の外衣マントをはおった先住民ネルダエの男が二人、船頭をしている。小柄だが筋肉質な体とするどい眼をもつ男たちは、岸に着くとグレイヴ伯爵に一礼し、ライアン達も礼をかえした。

 〈夜の風ナーヴィント〉号は悠然と、〈天睛ラーンフール〉号は緊張しつつ筏に乗り、ライアンとクルトとレイヴンは彼らに付き添った。トレナルが愛馬を連れて皮舟に分乗する。筏と皮舟は三往復して檻車と人と馬と荷車をはこび、全員がわたり終える頃には、日は南中にさしかかっていた。


 一行は、川岸でみおくるモルラとマハス達に手を振り、出発した。――ライアン、クルト、トレナル、レイヴンの四人とその乗馬、アルトリクスの盾と食糧をつんだ荷車と、それを牽く馬、囚人二人をのせた檻車だ。〈中央山脈〉の森のなかを、無口なネルダエの男たちに案内されて行く。燃えるようなカエデや巨大なオークのそびえる古い森を、檻車の男たちは気味悪そうに眺めた。

 クルトは、(アゲイトもここを通って〈マオールブルク〉へ来ていたのだろうか)と考えた。


「〈くろがねの民〉の里まで、どれくらいですか?」


 クルトが問うと、案内人たちは顔を見合わせたものの黙っていた。ライアンが代わりに答える。


「天候がよければ二泊三日だ。三日目には着く」

「〈マオールブルク〉から〈アドラーブルク〉まで、五日かかりました。そこから三日? アゲイトはもっと近くから来てくれているものだと」

「ラダトィイ族は妖精シーちかしい民だからな」


 かんの強い〈夜の風〉号が何かの気配を察し、頭を振ってぶるると鼻を鳴らした。ライアンは愛馬の首を撫でて笑った。


「アゲイトだけが通れる秘密の近道があるのかもしれないぞ。なにしろ、悪意のある者はこの森で永遠に迷いつづけると言われているからな」

「永遠に?」


 クルトはひやりと冷たい手で顎の下を撫でられたような心地がした。

 レイヴンは鬱蒼うっそうとした木々の梢を見上げ、ふふんと楽しげに哂った。一方、檻車の囚人たちは、毛布を体に巻いてうずくまった。


 一行が進むにつれ森はさらに深く、古くなった。樫の幹はよじれ、腕のごとく枝を伸ばして天をおおう。ときおり枝や葉が檻車の鉄柵を叩き、濃厚な緑のにおいが頬を撫で、汗をにじませる。道はますます狭くなり、すさんで、斜面から崩れ落ちた岩や倒木が転がるようになった。

 レイヴンが、長くのびたスイカズラの枝をおしのけて言った。


「今日は通りやすい方ですよ。いつもはもっと敵意に満ちています。アルトリクス殿の盾のお陰でしょう。森が歓迎しているのです」


 アルトリクスの盾と聞いて、案内の男たちがちらと彼らを振り向いた。クルトはレイヴンを顧みた。


「来たことがあるのですか?」

「昔ね」


 クルトは話の続きを期待したが、レイヴンは肩をすくめ、それ以上語ろうとはしなかった。



 太陽が〈中央山脈〉の尾根にかくれると、辺りは急速に暗くなった。紫の夕闇のなかにうすい煙のような霧がたなびいている。足下が見えなくなったので、一行は馬をとめて火をおこした。モルラが持たせてくれていたパンにチーズをのせて焚火であぶり、鉄製の鍋にバターをとかしてベーコンと卵を焼く。虫の声をききながら温めた蜂蜜入りの葡萄酒を飲んでいると、一日の疲れがほぐれるようだった。


 ふと、ライアンが囁いた。

「何の音だ?」


 警戒の響きにクルトは息をひそめ、レイヴンは口をつぐんだ。トレナルが剣をひきよせ、周囲に視線を走らせる。木々をつつむ滑らかな天鵞絨ビロードのような闇のとばりに、沈黙が染みる。

 炎はかわいた薪を燃やしながら、チリチリと楽し気に唄っている。遠い夜空と森の境界で、フクロウが鳴いている(レイヴンが身を縮めた)。羊歯の葉がささやき、案内の男たちがみじろぎ、革靴ブローガ・アーダの金具がこすれ合った。

 なじんだ夜の音のほかに気懸りなものは聞こえない。クルトが怪訝に思っていると、ライアンは片腕を伸ばして盾をおおう布にふれた。

 ライアンが盾おおいの端をそっとずらすと、太陽を表す盛りあげ飾りがぼんやり輝いていたので、一同は息を呑んだ。あわい夕焼け色の光は、ゆっくり強くなり、弱くなり、同時に甲虫のはねをふるわせるような低い音が聞こえた。


 レイヴンがやや呆然と呟いた。

「盾が、うたっていますね……」


 クルトとライアンとトレナルは顔を見合わせ、互いにぞっとしない表情をそこに見出した。

 やがて、光の明滅も小さな音も害をなすものではなさそうだと判断すると、ライアンは盾を布でつつみなおし、彼らは就寝した。



 三日目の午後、クルト達は明るい青空の下へでた。山々はいっそう間近にせまり、道幅は狭かったが、森は恐ろしいものではなくなった。年月にたわみ、よじれ、重なり合った枝は減り、健やかにまっすぐ伸びる若い木が増えた。一定の間隔で規則正しく並んでいるものもある。無口な案内人の代わりに、レイヴンが説明してくれた。


「ここは、ラダトィイ族が管理している〈新しい森〉です」

「管理?」

「鉄づくりは膨大な量の水と炭を必要とします。森の木を伐りつくしては暮らしていけませんから、伐ったところに苗を植え、数十年かけて育てます。山を崩したところは畑や牧場にして、牛馬を飼い、汚れた水は浄化して川へ戻します。かなり気を遣っているんですよ」


 クルトはぐるりと首をめぐらせ、周りの木々が人の手でととのえられていることに気づいた。谷を流れる川の両岸には、よく耕された畑が並んでいる。軽やかなせせらぎを聞きながら、レイヴンは夢みるように囁いた。


「〈古き森〉の魔法に護られた里です」


 林檎とサンザシの畑の間の道を行くと、木製の高い塀にかこまれた集落が現われた。やぐらの奥に丘があり、糸杉の梢ごしに高殿トゥラの屋根がそびえている。クルトにとって意外だったことには、〈鉄の民〉の里の建物はほとんど木で造られていた。門の上の櫓から、見張りの男たちが声をあげて一行を迎え、案内の男たちが返事をする。

 クルトたちが門をくぐり馬を停めていると、むらびと達が集まってきた。トレナルやモルラを見慣れているとはいえ、浅黒い肌と黒目黒髪の集団にかこまれて、クルトはごくりと唾をのんだ。


「グレイヴ卿! トレナル卿!」


 男がひとり、歓声をあげて駆けてきた。まだ若い。癖のある黒髪を首のうしろでまとめ、やわらかな毛織の上衣チュニックに鹿皮の脚衣ズボンを穿き、革紐を編んだ帯をしめている。大袈裟なほどの笑顔で両腕をひろげると、ライアン、トレナルの順に抱擁を交わした。長身のライアンは、彼のために身をかがめなければならなかった。


「よく来て下さったな、グレイヴ卿。ニワトコの月(三月)以来ではないか?」

「フェルテジル殿、息災そうで何よりだ。また世話になる」

「いつでも歓迎するぞ。働き手を連れて来て下さったのだな。お目にかかったことのない方もいるようだが」


 里の男たちが、囚人をのせた檻車を牽いて行った。己の運命を諦めたような態度の罪人たちをクルトが見送っていると、レイヴンが少年に耳打ちした。


「あの二人は鉄づくりの際にふいごを踏む番子として働くのです。体の動く限り。一生、〈五公国〉へ戻ることはありません」

「一生……」

「クルト! グレイヴ卿!」


 張りのある声で呼ばれ、クルトははっと面をあげた。


「アゲイト!」

「クルト、来てくれたのか」


 故郷の地で会うアゲイトは、普段よりいっそう颯爽として見えた。かろやかな足取りで村の中央の道を駆け下り、まっすぐクルトの前まで来て立ち止まる。眼にかかる黒髪も鹿革の上衣チュニックもいつもどおりだが、首には豪華な黄金のねじり頸環トルクがにぶい光を放っていた。

 アゲイトはクルトの手をとって微笑んだ。


収穫祭ネワンに行けなくて済まなかった。元気にしていたか? クルトだけか。クレアはどうしている?」

「ぼくだけだよ。グレイヴ卿の小姓になったんだ。クレアは〈マオールブルク〉にいる」

「小姓に?」


 二人の会話を聴いていたフェルテジルが、口をはさんできた。クルトとライアンを交互にみて、

「クルト・ディ・アイホルム? 公子か?」


 ライアンがうなずくと、彼はいきなり少年の顔を両手ではさみ、ぐいとのぞきこんだ。


「あ、あの。はじめまし、て……」


 日に焼けた精悍な顔が間近に迫り、クルトはどぎまぎした。フェルテジルは穴のあくほど少年を凝視したのち、にわかに破顔した。


「アルトリクス! 色は違うが、たしかに! そっくりだ。アルトリクスの子だ!」


 彼が叫んだ途端、遠巻きに見物していたネルダエの男たちがわらわらと近寄って来たので、クルトは仰天した。無遠慮な手で顔や肩を撫でられ、髪をくしゃくしゃにかき混ぜられて、クルトは泣き出しそうになった。


「アゲイトぉ……」


 アゲイトは面白そうに笑っているだけだったが、フェルテジルが我にかえって男たちを下がらせてくれた。


「失礼しました、クルト公子。嬉しくて、つい」


 丁寧に一礼しながら、抑えきれない喜びに痩せた頬をほころばせていた。


「よく来て下さった。私はフェルテジル、アルトリクスの弟で、アゲイトの父です。つまり、貴公の叔父にあたります」

「……叔父上?」


 クルトが呟くと、アゲイトとライアンとレイヴンがそろって肯いた。

 言葉の意味が理解できるまでに数秒かかったが、その数秒が過ぎると、クルトの胸に熱いものがこみあげた。男たちが再び近づき、次々声をかける。


「わしはアルトリクスの父の弟にあたる。大叔父じゃよ」

「従弟だ。おおきくなったな、アルトリクスの子」

「みーんな、貴公の血縁だぞ」


 先ほどよりは控えめに名乗りをあげる。クルトは言葉を失っていた。――長い間、自分の家族はクレアとティアナ叔母と、従兄のアゲイトだけだと思っていたのだ。血のつながりのある身内、そう名乗り出てくれる人々がこんなにいることが、嬉しかった。





~第三章(6)へ~

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