第二章 誓いの継承(2)
2
どこかでロン(クロウタドリ)が鳴いている。
アゲイトは声の主を探して首をめぐらせたが、姿は見えなかった。うすい乳白色の霧に、木々の紫の影が映っている。息子の仕草に気づいたフェルテジルは、足を止めて
「もう少しだ。足下に気をつけろよ」
アゲイトはうなずき、背中の荷を負いなおした。
風が
ふと少年は面をあげ、ぎくりとして立ち止まった。霧のなかに人影をみつけたのだ。剣の柄に片手をそえて眼を凝らし、妙なことに気づく。影が全く動かない。
恐る恐る近づいてみると、それは若い男のほぼ等身大の立像だった。
「親父」
アゲイトが小声で呼ぶと、先を歩いていた父は引き返してきた。目を
「
「えっ?」
「ほかにもいるぞ。それ」
フェルテジルは杖を振った。そちらを見遣り、アゲイトは息を呑んだ。
霧が風に流れ、葦の間に、ぽつり、ぽつりとたたずむ石像が現われた。湿地に迷いこんだ
一体ずつ像を眺めていたアゲイトは、あるフォルクメレの男に目をとめた。波うつ髪を首の後ろでまとめ、
フェルテジルが、ほうと口髭をゆらして息を吐いた。
「『大公の岩』、先代のアイホルム公だ」
アゲイトはふりむき、父の横顔を凝視した。
「アイホルム公? じゃあ、クルトの、」
「
フェルテジルは
「北方民のなかには、われわれが地下に財宝を隠していると思いこんでいる者がいる。或いは、聖地のどこかに〈
アゲイトは、父と石像を交互にみやった。『偽大公』、『嘘つき王』――盟約をやぶって近隣諸国を侵略した前大公に、領民たちがつけた
息子が考えこんでいるさまをみて、フェルテジルは微笑んだ。
「怒らせると
「う、うん」
父の言葉はアゲイトの思考の筋からは外れていたが、安心させようとする意図は察せられた。少年はうなずき、杖の先で水の深さをさぐりつつ先へ進んだ。(……竜は女なのか)と気づいたのは、時間が経ってからだ。
石像のならぶ一帯を抜けるころには、陽は高くのぼり、霧はほとんど消えかけていた。一方、目印の枝はめっきり減り、二人は道を探すのに苦労するようになった。アゲイトの足が深みにはまり、父の手で助けだされたのは一度ではない。
岸を遠くはなれ森は青くかすみ、おのれの居場所は判らない。
ピシャン、と水が跳ねた。
鳥の声はなく風もゆるんだ静かな湿原に、水音は高く響いた。フェルテジルは足を止め、アゲイトも立ち止まった。息を殺して耳をすませる父子のまえで、今度は葦の葉をゆらして水中を影が
フェルテジルは音をたてずに長い息を吐き、囁いた。
「来たぞ」
アゲイトは緊張して辺りをみまわし、父の視線の先を目で追いかけた。水草の間でなにかが動いている。ふくらはぎが浸かる程度の深さの
(でかい)
アゲイトはおおきく目を
「本体は別のところにいる。われわれを迎えに来てくれたのだ」
父の声にふくまれる憧憬をききとり、少年は戸惑った。アゲイトの母は彼を産んで間もなく亡くなり、父は独身をとおしている。鉄つくりに関わる男は女性をしりぞける習わしなので、そういうものだと思っていたが……いい女だという言葉がにわかに艶をおび、少年の鼓動を速くした。
次の瞬間、アゲイトは息を呑んだ。
アゲイトは石にされた気分だった。女の表情は硬く、感情はうかがえない。水面ごしにこちらを見上げる紫の瞳は底なしの闇に通じ、少年の魂をとらえて離さない。そろそろと後退りしかけた彼の背を、父の掌が止めた。
「親父」
「
フェルテジルは息子の背をおして促した。
「代々の
「うん……」
ぎこちなくうなずく少年の足下から、そのとき二本の白い腕が突き出した。アゲイトの身長より高く、高く、白樺のごとく伸びあがり、先端で爪がきらめく。ひるむアゲイトの肩をがしっとつかむと、爪がくいこむ痛みに少年が顔をしかめるのも構わず、力任せに引き寄せた。
「わあっ!」
勢いよく水に倒れこんだはずだが、水しぶきは上がらず、音も殆どしなかった。腕と少年は消え、後には
フェルテジルは暗い水底をのぞきこみ、満足げに呟いた。
「頼んだぞ、シルヴィア。……われらのアゲイトリクスを(注*)」
~第二章(3)へ~
(注*)ネルダエの王には「~リクス(~rix)」という名がつきます。
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