「誰そ彼に海は泣く」北園陽

@Talkstand_bungeibu

「蔦薔薇の咲く季節」

日の当たらぬ北側の部屋に姉は寝かされていた。

白い病床の寝間着を着た姉は何だかやたらと小さく見えて私は寂しくなった。

「塔子、あと九年であたし四十四になるわ」

枕元で梨を剥く私の方を見向きもせず、天井を見上げたまま、姉は呟いた。

「だから、どうしたというの」

私も梨を剥く手元を見つめたまま、応えた。


あ、と思い出した様に姉の方を見遣ったが

姉は涼しい顔をして窓から終戦の日の空を眺めていた。

四十四。

母様が死んだ歳だった。


「あの時、アンタは八歳で。今の洋子と同い年よ」

姉の二番目の子である洋子は、長い夏の休みを持て余し

姉の寝て居る部屋の前でままごと遊びに興じていた。

葉っぱのお皿に蕾のお菜を並べ、いちいち姉に見せに来た。

姉は小さな痩せた口を開け食べる仕草でお道化て見せる。

洋子は嬉しそうにいくらでもお代わりを持って来る。


ささやかな幸い。


さういう言葉が思い出される様な、夏の庭。


「姉さんみたいな人は案外長生きをするものよ。

憎まれっ子は何とやら、なんていうじゃないの」

私は震える声を気づかれぬ様に早口で言った。

泣いてはいけない。

泣いてはいけない。


姉は洋子の持って来た、未だ熟れていない小さな青いトマトをつまみ

ふふ、と息を漏らす様に笑った。


「塔子、もしあたしが死んだら洋子をお願いね」

「知らない。知らないったら知らないわ。姉さんが死ぬものですか」


私は剥き終わった梨を

どうする事も出来ず洋子が持って来た向日葵の葉にそっと乗せてみた。

膝にぽたぽたと涙のしずくが零れた。




夏空の下、私達は無力であった。

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