<リツミエリの奴隷館>

「闇海より来たる原初の熱き泥濘よ贄を満たせ!」


 ここは、奴隷商人リツミエリの館である。

 館の最奥部にしつらえられた、厳重に閉鎖された魔法空間で、魔導師でもあるリツミエリが、禁じられた魔法の詠唱を行っていた。


「グガアアアッ!」


 石造りの床に刻み込まれた魔方陣が輝き、その上で、獣人の女性がのたうっていた。

 その目は極限まで見開かれ、しかし何も見えていない。

 大きく開かれた口からは、鋭い牙が伸びて、唾液が飛び散る。

 身体を海老反りにのけぞらせ、ビクビクと痙攣を繰り返す。

 衣は、身体の動きについていけずに裂け、その豊かな胸があらわとなっている。

 握りしめた掌は、自らの爪に深く傷つけられ、流血していた。


「来たれ来たれ来たれ! く来たれ邪神ハーオスよ!」


 額から汗をしたたらせ、真剣な声で叫ぶリツミエリ。


「ガアアアアーッ!」


 獣人女性が、絶叫する。


「むっ、来るか?」


 リツミエリの顔に、期待の色が浮かぶ。

 しかし——


 ベキベキベキッ!


 次の瞬間、背骨の砕ける音が鳴り響き、


「ぎゃうっ!」


 獣人女性の身体から力が失われ、のけぞっていた身体は、ドサリと床にくずおれた。

 横を向けた顔の、瞳孔の開いたその目には、もはや光は無かった。


「また、だめか……」


 リツミエリは、頭を振り


「……おい、片づけておけ」


 と、部屋の隅に向かって、命令する。

 奴隷印を赤黒く印された獣人奴隷が、跪いた姿勢から立ち上がり、動かなくなった獣人女性を無言で担ぎ上げて、退室していった。

 奴隷印に御せられ、あらがいようもなく命令に従う獣人奴隷の目には、仲間の無残なありさまに、涙が光っていた。


「ふん、なかなか、うまくいかないものだな」


 リツミエリは、瀟洒な椅子に腰を下ろし、つぶやいた。


「だいぶ近いところまできているような、手応えはあるのだが」


 リツミエリは、天才とも言える魔導師だった。

 しかし、彼は長く異端であるとして冷遇されていた。

 それを拾いあげたのは、神官長チェムノターであった。

 チェムノターは、異端の魔導師リツミエリに資金と環境をあたえ、研究を継続するように指示したのだ。

 この時代、ほとんどの魔導師は、師匠に従い、伝来の魔法技術の研鑽に打ち込んでいた。

 しかし、リツミエリは、彼らと違い、魔法の源泉に興味があった。

 文献をあさり、自ら実験を行い(その中には、禁じられたものも多く含まれた)そしてたどり着いた結論は、魔法の深淵には神の力が関わっているというものだ。

 その神の力に直接触れることができれば、人の使う魔法のレベルは飛躍的に上がる。

 現在の魔法技術では不可能とされていることも、たやすく実現できるだろう。

 その可能性に、リツミエリの心は震えた。

 そんな中、たまたま奴隷印の構造を分析し、そしてある着想を得た。

 本来の奴隷印は解除の魔法を使うことにより、取り消すことができるが、この構造を深部で改変すると何が起こるか?

 リツミエリは、奴隷印の術式に、より神の力に近づくような基底構造を埋め込むことで、その隷化の威力を強め、けして解除できない奴隷印を生み出すことに成功したのだ。

 この新しい奴隷印の術式を知ったチェムノターは、その有用性をすぐに見て取った。これで、獣人族に対する、人族の優位性を確定できる。

 リツミエリは、チェムノターから呼び出され、その庇護下で研究を続けることになった。

 リツミエリには、自分の生み出した新しい奴隷印が、社会にたいしてどのような問題をはらんでいるか、などということには、なんの関心もなかった。

 ただ、魔法の源泉に迫り、その力を極めることにしか興味がないのだ。

 それで結果として他人がどんな不幸を味わうことになろうと、かまいはしない。

 ひたすら研究を続けたいリツミエリにとって、チェムノターの申し出は渡りに船であった。

 リツミエリは喜んでチェムノターの申し出をうけ、可能なかぎりの技術で協力したのだった。


 とどまることを知らないリツミエリの探究心は、今や、魔法の源泉である神に直接触れることを目指していた。

 神を呼び出し、直接交渉し、さらには支配すること——それが究極の目標だった。

 もちろん、このことはチェムノターには知らせてない。

 パリャードの神官であるチェムノターが、そんなことを認めるはずがないからだ。

(チェムノターは実のところ、リツミエリのそんな野望には気づかないでもなかったが、リツミエリの能力を利用できる限り利用しようと考えていた。危険になったら始末すればよいだけだ)

 だから、最終目的は隠しつつ、こうして密かに実験を繰り返している。

 だが、これまでのところ、神とのコンタクトは成功していない。

 どれほど召喚魔法を行っても、神は応えない。

 まるで拒まれているかのようだ。

 しかし、研究を続ければ、いつかは。

 そうリツミエリは思っていた。

 さいわい、チェムノターは、リツミエリの研究のために、この町の獣人を自由にして良いと言ってくれている。

 神の御心にかなうことであるから、それは罪ではないと。


「よし、次は、あの術式を試してみるか」


 そうリツミエリがつぶやいたとき、獣人奴隷が部屋に現れて、言った。


「リツミエリさま、お客様がお見えです」

「なにっ? わたしが言うまで、だれも取り次ぐなと言っただろうが!」


 魔法についての思推を邪魔され、リツミエリは、かっとなって、怒鳴った。

 しかし、そのとき、リツミエリが冷静であったなら、気づいたであろう。

 本来なら、奴隷印を捺された奴隷が、あるじの指示に背くはずがないということに。

 主の言葉に反して、客人を館に入れ、案内することなどありえないのだ。

 リツミエリの怒鳴り声にかぶせるように、


「わるいな、ちょっとお邪魔するよ」


 そんな、ひょうひょうとした声がした。

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