蒼天の織り姫 一奏 〜舞狐の願い〜
ウツユリン
プロローグ
——それは、美しい夕焼けの空だった。
そんな夏空の下を、しゃんとしたアコースティックギターの音色が駆け抜けていた。
奏者の指と、弾かれた弦だけで奏でられる、シンプルで弾むような音階。
「空はきっと——」
そのメロディに亜麻色の髪を跳ねさせて、シンガーの少女——御田・音々は力強く、マイクもない“なんちゃって”野外ステージから歌を届け続ける。
楽曲は一曲、それも今朝がた完成したばかりの、ほやほやの新曲だ。コードは粗いし、初披露の緊張で爪弾く手が震えて、ミスも多い。
「蒼い空はきっと——」
けれど、音々は繰り返し、まだ名前もつけていない歌を唄い続ける。
ただただ、歌詞から生まれた大切なこの曲を、「届け!」とばかりに想いを込めて歌い続けた。
届けるのは視線の先、音々の歌に合わせ、美しい空色の浴衣をはためかせる、三角耳の彼女——雷華だ。
舞うように雷華が宙空を下駄で蹴るたび、今しがたまで居た場所を『犬頭』の牙が掠めていく。そのたび、恐怖に心をわしづかみにされ、音々は喉から悲鳴を上げそうになった。——けれど。
「——唄って、ネネ! わたしのために、唄いつづけて!」
そんな雷華のよく通る声が、音々に力をくれていた。
高層ビルに匹敵する巨大な『異形』を相手にしながら、雷華はそのキリッと冷えて優しい声で、音々の背中を押し続けてくれている。
だから音々は悲鳴をメロディに換え、歌を——雷華に向けて作ったラブソングを歌い続ける。
「二人で見た空はきっと——」
「そう! それでいいわ、ネネっ!」
一瞬の油断も許されない壮絶な戦いの真っ最中だというのに、猛攻を躱し、時に音々や周囲への攻撃を超常の力で受け止める雷華の人間離れした美しい細面は、清々しい笑顔だった。
音々とよく似た栗色の長髪を風に流し、透き通った頬を上気させ、興奮を抑えきれない。
――そうよ! これこそ、“青空の匂い”だわ!
自身の自信をさらに深め、舞いに欠かせない尾の先端まで高鳴る鼓動を感じて、指先を上へ伸ばした雷華は期待を隠しきれない。
それは、雷華の悲願成就が近いことを意味していた。
千年にわたった悲願。
それが、たった一日前に出会った音々の歌によって叶えられようとしている。胸が高鳴らないはずがなかった。
そうして逃げて距離を置いた大衆が、たった一人の奏でる歌に引き留められ、遠巻きに耳を傾けているのが雷華にはわかる。
その音色に乗せ、一撃離脱を繰り返しながら舞い狂う自分に観客が目を釘付けにしていることも、鋭敏な雷華の感覚には感じ取ることができた。
そんな今なら――あるいは彼も、大空からその優しい真っ白な眼差しで。
「いつかきっと——」
再び音々の歌声が、雷華に希望を持たせてくれる。
「——あぁ。ふふっ。そうだったのね」
この出逢いがすでに奇跡なのだと、死闘の合間にもかかわらず悟って、『千年妖狐』の雷華は幼子のように頬をほころばせた。
だから、願いを想い続けてきた雷華は舞い続ける。
蒼穹の色輝く浴衣をはためかせて、雷華は舞い続ける。
——今宵は、七夕。
年に一度、隔たれた想い人同士が手を取り合うことを許される特別な一日。
シンガーを志す少女は、おとぎ話さながらの出逢いが紡いだ歌を唄い、今度は己の夢を叶えてくれた彼女の願いを心に、精いっぱい喉を振るわせる。
そして青空をまとった舞狐は夕空の下、少女の応援歌を背に、叶えられることのなかった幾百の年月を思い浮かべて、舞い続ける。
――これは、一人のシンガーの少女と『舞狐』の、たった一夜の奇跡の物語だ。
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