ショート・ショート・コドン・ショート

早雲

ショート・ショート・コドン・ショート

 電話が鳴った。そのままでもよいのだが、鳴っている電話を放っておくのは不思議と罪悪感がある。これが経験によるところの刷り込みなのか、生物学的な反応なのかはわからない。たぶん、すぐやるべき事を放っておくと知らぬ間にストレスを抱えるのかもしれない。だが、そのメカニズムを探るよりも、大元を断ってしまった方が精神衛生上よさそうだ。

 僕は電話を取った。


「こんにちは。神崎です」

「こんにちは。神崎様。わたくし、元村証券株式会社の藤堂と申します」

「なんだ。たまきか」

「環よー」

「なんで職場から?」

「仕事だから」

「仕事?元村証券の?」

「そ」

「なんで」

「ケイタ君、パズルとか得意でしょ。だから手伝ってもらおうと思って」

「証券会社にはクオンツとか何とかがいるはずでしょ。金融工学のスペシャリストが。なんで僕にお声がかかるわけ?」

「金融のことじゃないの」

「?」

「実はさっき、仕事が終わって帰ろうとしたときに、見つけたんだけれど」

「何を?」

「昨日の仕事終わりにさ、仲がいい同僚と一緒に帰ることになったんだけど、なんだかんだと話しているうちに一杯ひっかけようということになって、近くにあったこじゃれたバルに入ったの」

「それで?」

「バルの席についてビールを頼んで、その同僚はカバンの中から紙っ切れを取り出したの。名刺ぐらいの大きさ。そこには口紅みたいなもので文字が書いてあって」


 なんとなくその先は分かった。


「脅迫文みたいなものが記されていたと」

「そうかもしれないんだけど、わかんなくて。まあ、端的に言うと読めなかったの。意味が解らないアルファベットの羅列。その同僚の子は仕事終わりにカバンを見たら、その紙が入っていたと言っていたわ」

「で?さっき見つけたって言ったよね。ということは環のカバンにも同じものが入っていたってことだ」

「そうなの。さあ、花の金曜日だって足取り軽やかに帰ろうとして、カバンの中から財布を取ろうとしたら昨日見たやつと同じ紙があってさ。とりあえず、会社の上司にはこのことは知らせておいたけど。やっぱり内容は解らないの。別に実害はないけれど少し気味が悪いじゃない。」

「それで僕にお呼びがかかったってわけね。それにしてもこれが仕事ってのは少し無理やりなんじゃない?」

「私、就業時間以外会社関連のことはしたくないの。それに、この事件を放っておくことは私やその同僚の子や未来の被害者のモチベーションを著しく下げると思うわ。だからこの事件の解決は、ひいては会社の業績向上にかかわるものと思われ、積極的に介入するべきと考えます」

「僕は別に環の上司じゃないからさ、環の就業時間中の行動が会社の業績にどう関係するかなんて気にしないけれど。まあ、わかった。協力するよ」

「さっすがケイタ君。昔っから君は見た目の割に肝が据わっていて、一丁前に生意気な、って思ってたんだよ」

「けなしてるじゃん…」

「今度、高いお酒でもおごるよ」

「はいはい。じゃあ、そのアルファベットの羅列とやらを教えてよ」

「まって、読み上げるには長すぎるから……。パソコンとかでメール開ける?そっちに画像を送るわ。いったん切るから」



 そういって環は電話を切る。とりあえず僕は自分のラップトップを立ち上げて彼女からの連絡を待った。

 まもなくして、彼女から写真付きのメールが送られてくる。それは確かに暗号じみているアルファベットの羅列が書かれていた。

その紙にはA、T、C、Gのみで構成された文字列が書かれている。大体50文字くらいだろうか?



AAATGTATGATGAAGCTAGAGAAAGTACTATTAGTAAAGAAATTACTGCA



 再び環から連絡がくる。



「見てくれた?」

「見た」

「なんだと思う?」

「DNAの塩基配列」

「やっぱり?」

「分かってたの?」

「さすがにそのくらいは。でもだからといって内容は分からないの」

「……パズルが得意な人より生物が得意な人に当たった方がよかったんじゃない?」

「心当たりないもの」

「大学の友達とかいるでしょ……」

「いない」

「そんなきっぱり……」

「とにかくケイタ君、解いてみてよ」



 せかすように環は言った。不思議に思ったのは環は大学時代に友達が決して少なくなかったはずだという事だ。その中に生物を専攻している人も絶対いたはずだが、なぜ環はそっちに頼まないのだろう。

 だが、僕はひとまずその問題を棚上げにした。そしてDNAの塩基配列はタンパク質に変換できたな、と思い出す。



「そう言えば、むかし学部の授業で塩基配列がなんのタンパク質に対応しているか習ったな……」

「ほんと?さっすがエリートさまは違う!」

「嫌な言い方をしないでよ……。それに環も同じ大学でしょ」

「わたしもエリート!」

「環……仕事のし過ぎで頭がわるくなってない?」

「悪くなってないわ。とにかくその方法で調べてみてよ!」



 僕はラップトップでブラウザを立ち上げ、「遺伝子」「対応」「タンパク質」と打ち、出てきたページを繰る。

 そこにはDNAは3文字ごとで区切られて一つのアミノ酸に対応するということが書いてあった。そして一つのアミノ酸は一文字で表すことができるとも。



「環?暗号解けたかも」

「えっ?」

「コドン表だよ。3文字の塩基配列はアミノ酸に変換できるけど、そのアミノ酸は一文字で表すことができるんだ」

「へえ!アミノ酸って一文字の記号があるんだね」

「そう。例えばAAAならリシンを意味するKとかね。だから、このメモの文章は…たぶんこう変換されるはずだ」



 僕は表を見ながらメモの内容を翻訳していった。


「…えっと…あれ?うまくいかない」



 翻訳結果はこうなった。



AAA TGT ATG ATG AAG CTA GAG AAA GTA CTA TTA GTA AAG AAA TTA CTG CA

KCMMKLEKVLLVKKLL + CA


「なに?どうしたの?」

「いや、意味のある言葉が出てこないんだ。それどころか全部で50文字だから、3文字ずつ使うと2文字余る」

「あら?おかしいわね、これが正解だと思ったのに」

「なんでだろう?もしももっと高度な内容だったらお手上げなんだけど」

「そう?そんな難しいものじゃないと思うのだけれど」

「そういったってさ……」



 少し僕は環に腹が立った。難しいものじゃないなら自分でやれ、とまでは思わないけれど、環の声の調子はいつもどおりで、切迫したものを感じさせなかった。そんなに切迫していないならなんで僕に頼んだんだろう?

 環はそんな僕の心情を見抜いたように言った。



「こんなこと頼んで、悪いと思ってるわよ。でも他に頼れる人がいないの。本当に今度高いお酒奢るし、恩にきるから。お願い」



 どうも、僕はチョロすぎるようだ。こんなふうに神妙にされると助けてあげたくなってしまう。



「わかったよ。ベストを尽くす。でも、もしも本当に専門的な内容だったら他の人に頼むんだよ?僕の知り合いを紹介してもいいから」

「ありがとう!」



 さて、大見得をきってしまったからには暗号を解かなくてはならない。保険はかけたが、保険というのは実際に使われないのが望ましいものだ。

 この解読のアイディア、つまりアミノ酸に翻訳することで意味が解る文章になる、というものは基本的に自然な戦略のはずだ。

伝えたくない相手にとって解き方がわからない暗号は役に立つが、伝えたい相手にも解き方がわからない暗号はゴミ同然と言える。だから、この暗号は理詰めで考えれば解けるものになっているはずだ。ならば、自然な戦略に身を任すのが妥当だろう。

 僕は昔受けた講義を思い出す。

 確か細胞の中に入っているDNAのなかに遺伝情報がたくさん含まれており、多種多様のタンパク質を作る設計図になっている。タンパク質を合成するときに必要なDNAの領域部分から設計図の情報を抜き出して、タンパク質を合成する場所に運ぶ、という流れだったはずだ。

 もしDNAが一塩基ずれたら、その設計図の意味を正確に抜き出せなくなってしまう。DNAが三個で一つのアミノ酸に対応しているが、3個ずつ読んでいるのに途中で一つのDNAが欠損していたら、アミノ酸の情報がずれて、別のアミノ酸を合成してしまう。それは結果的にまったく別のタンパク質を作ることになってしまう。



 ずれる。ずれる。ずれている?



 そうか。もしかしたらこの読み方はずれているのかもしれない。



「これ、読む位置がずれているのかもしれない」

「読む位置?」

「そう!この文章は一文字でもずれてしまうと意味が大きく変わってしまう」



 僕はそういって、いくつかのサイトをパソコンで開いた。



「問題はどこから読むか、なんだよね?」


 環は言った。



「確かにそうだね。最初はどこか一文字抜けてるのかも、とおもったけど、確かに読む位置を変えるっていう方が自然だ」

「始まりの合図みたいなのがあればいいのに」



 僕はその時、ぴんと来た。そうだ、あるじゃないか、始まりの合図。



「開始コドンだ!!」

「え?」

「そうだ、思い出した。開始コドンを始まりの合図にして、タンパク質は合成されるんだ」



 僕はパソコンで開いているコドン表を確認した。開始コドンはATGだ。そうだここの部分から始めれば……。


(AA) ATG TAT GAT GAA GCT AGA GAA AGT ACT ATT AGT AAA GAA ATT ACT GCA


「とりあえずこれで解いてみる」



 僕はコドン表と照らし合わせて文章を翻訳する。久しぶりに脳が活発に働いている気がする。



「M、Y、D、E、A……」

「ねえ、ケイタ君?」

「何?ごめん、ちょっと集中したい」



R、E、S、T。



「あのね、なんで他の人に頼まないでって言ったかわかる?」

「いや、解らないよ」



I、S、K、E。



「実はね、同僚の子のカバンにこのメモが入っていたって話、うそだったの。これが仕事っていうのも……」



I、T、A……。



「え?」

「読んでみて」

「MYDEARESTISKEITA……。え、なにこれ……」

「分かった?」

「……My dearest is Keita.……最愛の人はケイタ」

「これ、私から、あなたへ」

「うそ……」



 僕は馬鹿みたいに固まってしまった。



「ほんとはシンプルに"I LOVE YOU"って言おうと思ったんだけど、使えない文字が多し、何より開始コドンがメチオニンのMだから、Mから始まる文章を考えなきゃって」

「……」

「直接言えなくて。私の精一杯なんだ……」



 固まったままでいるわけにはいかないだろう。とはいえ、こんなことをされて普通に返すのもしゃくだ。

 しばらく考えて、結局大したことは思いつかず、何とか僕は言う。



「お酒」

「え?」

「高いお酒おごってくれるんでしょ?」

「う……うん」

「それ、初デートってことで」


 しばらくして、環はおかしそうに笑った。


「ふふ、初デートで女の子に高いお酒をおごらせるなんて、なかなかやるね」



 まったく、やってくれる。とはいえ、僕もこのままではいけない。環に一杯食わされただけでない。まだちゃんと自分の気持ちを整理できてないし、整理できたら伝えなければいけない。

 僕は環が意外と努力家だということを知っていた。だから、このパズルだって相当勉強して作ったはずだ。

 そんな努力に報いるため、というわけではないが、僕もそれなりにお返しをしなければならない。

 そうと決まればはやく準備を始めなければ。

 すぐやるべき事を放っておくと知らぬ間にストレスを抱えるだろうし、精神衛生上の悪環境を僕は好まない。

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ショート・ショート・コドン・ショート 早雲 @takenaka-souun

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