第5話 You see.

 豚骨ラーメンの匂い。僕はさすがに朝からこんな脂っぽいものを食べられるほど、食欲旺盛じゃないのだけれど。暖簾をくぐると豪快にラーメンをすする音。そして口に麺を含みながら僕に声をかける女の子。

「よく来たね。さてさてしばしお待ちを。このラーメンおいしいよ。文学青年くんもいかがかな」

「やめとく」

「ノリ悪いなー。今から行くところはそんなノリの悪さじゃついていけないぜ」

「どこに行くの」

「フィリピン」

なんだって。

「何しに行くの…」

「お父さんに会いに行くのさ。私の。英語塾をフィリピンで開いてるんだ」

「…」

僕関係ないし。確かに驚きの事実ではあるけれど。

「まあとにかく搭乗時間だよ。あ。飛行機はすでにとってあるから。旅費は私もち、というより私のお父さんもち。昨日もらった個人情報とパスポートの旅券番号はこのフライト以外の目的では使用いたしません。ご了承くださいな」


フィリピン。

東南アジア諸国の中でもアメリカ文化の影響をより強く受けている。きれいな発音の英語。そして空港のゲート。

「なんで人生初のデートの目的が東南アジアいるその子のお父さんに会いに行くことなんだろう」

「デートが特定の異性と一対一で遊ぶことなら人生初ってことはないでしょ」

「人生初だよ。僕は女の子の友達いないんだ」

「…」

「あ、いや今まではってこと。ヒカルは友達だよ」

「うーん。それはわかってるけど、そういうことじゃなくて…。やっぱりかー。まあ仕方ないよね」

煮え切らないヒカル。それにしてもなんで昨日大学のカフェテリアにいて今日フィリピンの空港にいるのだろう。素直に尋ねることにする。

「なんでヒカルのお父さんに会いに行かなければならないの…」

「君の小説の結末を訊きにね」

僕の小説の結末は僕以外にしか創れないはずだ。

「まあ、そうなんだけれど、でもやっぱり何が起こったか知ることは大事なことだよ」

「小説の出来事だよ。現実に起こったわけじゃない。絵空事だよ」

僕の小説の出来事がなんでヒカルのお父さんにわかるっていうのだろう。超能力者か。

「まあまあ。とりあえずお父さんがいる町はここからバスで3時間くらいだから。とりあえず乗ろうよ。そこで話そう」


「私、文学青年くんを見つけたときうれしかったんだよ。でもね、君がパソコンに『小説』を書いているのを見た時はその比じゃないくらいうれしかった。ふふ。わかんないよね」

「ヒカル。僕のこといったいいつから知っていたの?」

ヒカルは自分のパスポートに挟まったぼろぼろの紙を二枚渡す。一枚目。「侵入成功。セキュリティーが甘いぜ」。二枚目。おまぬけなギャングさんへという出だしの英語の手紙。

「私はヒカルだよ。文学少年くん。君の小説の中のヒカル。君が絵空事だと思っている、お話の主人公の娘」

「うそ…」

「驚いちゃってさ。心外だな。ちゃんと私言ったでしょ。君とは生まれる前からの付き合いなんだよ。君のお母さんと私のお母さんは私たちが生まれる前からの仲良し。そしてどうやら幼い時の君は私のこと、男の子と間違えていたみたいだね。まあ名前も男の子っぽいしね」

 僕は記憶の中の活発な少年、いや少女を思い出した。僕にいろんな話を英語交じりにしていた少女。男前の、それでも女の子。

「だから幼いとき君にプールに誘われたときは少し幼心に身構えたもんさ。意図的に性別をごまかすつもりはなかったけれど、ああ、君は私のこと男の子だと思っているんだなって気が付くと言い出しづらくて」

 そうだ。僕はヒカルからたくさん話を聞いた。その中に冒険譚もたくさんあった。

「君の『小説』はね。私のお父さんが昔南アメリカに行ったとき私が誘拐されたときの話なの。私が話したエピソードを君が文章に起こしてくれたのがその小説。私には文才がないから、君が私の話を文章にしてくれたことも、私の話を覚えていたこともうれしかった。えっへっへ」

「じゃあ、この手紙…」

「そう。私がほんとに十七年くらい前に書いたものだよ。そしてね、ギャングさんには渡せなかったの。やっぱり怖い思いが勝っちゃってね。それは結構心残り」

 あまりにびっくりして、僕は何も言い出せなかった。僕の理想が現実でその人と今から会いに行く。そんなことがあるんだろうか。

「ほら(You )ね(see)。君の理想はちゃんと現実だったでしょ。自分で可能性を狭めちゃだめだよ。恥ずかしがらないで。文学少年くん。ただ君の考えを口に出せばいいんだ。大げさじゃないよ」

僕らは街につく。僕は、大げさじゃないことをただ口にするだけ。これからはどんなにへたくそでも英語をしゃべる時に恥ずかしがったりしないだろう。とりあえず、バスの運転手に大声でお礼を言う。

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