第4話 恥ずかしい
一度あることは二度あるし三度目も当然あるだろう。だからといって、僕がカフェテリアでパソコンをタイプしているときに、前回と全くおんなじ仕草、同じ位置で話しかけなくてもよかろうに。
「さてさて、はかどっているかな、文学少年くん。君の小説を心待ちにしている読者は数多くいるのだ。手を休めている暇なんてないよ」
「僕の小説を心待ちにしている人はこの世で僕だけだよ。その僕ですらそんな熱望していないのに」
「私もいるよ。もし刷るなら二部刷ってね。少なくとも君より熱心な読者だよ。きっと」
ヒカルは快活に言う。僕は前回気にかかったことを言う。
「なんで僕に、僕の小説に興味を…」
「その答え君の心の中さ。まあ私の考えを話すと人の動機を的確に把握するのは結構難しいものだよ。本人ですら何かに興味を持った理由なんて説明できないもの」
「あまりまじめに答える気はないのかな…」
「結構まじめだよ。そうだね。私には文章を書く能力が乏しいから、そういう才能がある人には関心を持つかのかもね。文学少年…文学青年くん。私はおしゃべりが好きなんだよ。言葉をとっさに選んでアドリブで話すのがすきだからさ。何度もセンテンスを精査して単語を吟味するのは難しいのさ。それに日本語はあんまり得意じゃないからね」
「おほめにあずかり光栄の至りだけれど、僕だって才能があるわけじゃないよ。それに僕だって国語より英語のほうが好きだし」
「文章を自発的に書こうとする時点で才能のヘンリンが見えてると思うね、私は。まあその才能(ギフト)、大事にしなよ」
少しうれしそうなヒカル。なぜか僕が文章を紡ぐのがうれしい様子。そんなヒカルの様子は僕がこの子に対して抱いている懸念を拭う。というより僕もうれしい。
「ヒカルは普段何をしているの…」
「先生もしてるし、学生もしてるし、バーテンでもありミュージシャンでもあるよ。一番どれが長いかと聞かれれば先生かな。お父さんが英語塾を開いてるからそこの講師をしたりね」
「英語得意なの…」
「そうよん。まあお父さんの仕事の都合ってやつかな。外国に行くことがよくあったからね」
海外。僕のゴミ箱の中にあるはずのものがうずく。
「文学青年くんも英語が得意って言ってた、Don't you?」
「しゃべるのはあんまり…。得意って言ってもイギリスに行ったときはうまくしゃべれなかったし」
ヒカルはニコッとして言う。
「ダメダメ。英語で話しかけたんだから英語で返してよね。しゃべるのなんてテキトーでいいんだよ。案外通じるものだよ。Do not be shy, boy. Just say what you think. It is no big deal.」
僕は少し勇気を出して、あるいはヒカルにつられていった。
「OK, I am trying to speak. ah…By the way, you said you enjoy the espresso without sugar nor milk, however even Italian do not drink ?black″ espresso.(OK、試してみる。そういえば君はエスプレッソを砂糖とミルクなしで飲むって言ってたけれど、イタリア人でもブラックでは飲まないよ) 」
僕はできるだけゆっくりしゃべった。文法も単語も書くときよりなってないけれど、それでもしゃべれた。ヒカルは満足げにうなずく。
「You see(ほらね)!!結構しゃべれるものでしょ。へへへ。まさかの私の無知を晒すとは思ってもみなかったけれどね。…じゃあ私は何のために今まで苦いのを我慢してきたんだー」
笑ったり叫んだり。こんなに怪しいのになんだか安心する。少し英語を混ぜた日本語での会話は、僕の幼馴染を連想させる。
そんな風にして少し気を許してしまったのか、僕はヒカルに自分の小説のことを自分から話したくなった。
「実はラストが思いつかないんだ。というより候補はあるけれどどれもしっくりこない」
そうなのだ。その直前まではすらすら書けた小説だけれど、ラストだけはどうしてもかけない。まるでなんだか靄がかかっているような感じ。
「そうなんだね。それでもそのお話には明確なラストがあるはずだよ」
「そうかな」
「そうだよ。娘が誘拐されている途中に仲良くなったギャングにあてた手紙を出したその後、いったい何があったのか」
「…ヒカル?この前も思ったけれど、僕の小説、覗いてたの…」
主人公の娘が実はギャングと仲良くなって、ひどい目に遭ったギャングに置手紙を書いていくシーンは僕が考えていたラストシーンの一部だ。
「うーん。説明しづらいなー。いや、してもいいんだけれどなんだかなー。沽券に関わるというか。まあ理由は君の胸に手を当てて聞いてみてよ。まあ私あんまり悪いことはしていないよ」
シリアスになりかねない場面なのにあっけらかんとしている。ヒカルと僕の言動はなんだか少しずれている。
「それよりも文学青年くん。君は外国に行くことが好きなのかな。英語がしゃべれてイギリスに行ったことがあるってことは」
「好きだった。というよりあこがれていた。でも…」
少しためらい。それでもヒカルには何でも話したくなってしまう。ちゃんと聞いてくれそうな。まだ二回しか会ったことがない人なのに。
「あこがれていたけれど。僕は…結局夢見がちで自分の理想が現実にありえないって思っちゃって。だってホームステイ先でトイレに行きたいっていうことすら四苦八苦して。僕の理想は所詮僕の頭の中にしかないんだ。そう思った瞬間糸が切れたみたいになって。だから今はあこがれてないよ」
ヒカルの微笑み。さっきまでの笑顔と違う。やさしい、大人びた、少しだけ悲しげな顔。
「君の理想は君の小説の主人公みたいな人かな…」
「恥ずかしいけれど」
「恥ずかしくなんてないよ。それを恥ずかしがることが恥ずかしいよ」
ヒカルはそういって、しばらく黙って僕の席の隣にいた。僕は講義の時間だったけれど、行く気にならず、出席日数ぎりぎりになることを覚悟して、ヒカルが立ち上がろうとするまでそこにいることにした。ヒカルはいつもの饒舌さからは想像もできないくらい寂しそうな女の子に見えた。決してそんな表情を浮かべているわけではないのに、そんな風に見えた。僕は結局、カフェテリアの閉店時間までそこにいることになった。二人で黙って、時折コーヒーを飲みながら。ヒカルは閉店時間間際になるとこう言った。
「文学青年くん。君にデートのお誘いだ」
飲んだコーヒーを吐き出す。なんで急に。
「明日の朝九時に空港まで来てね。すごく地元感のあるラーメン屋が空港内にあるでしょう。そこで待ち合わせ」
衝撃を受ける。なぜラーメン屋。そしてなぜデート。それでも次にヒカルが放った言葉はその衝撃の比ではなかった。ヒカルはこういったのだ。
「あ。それと…パスポートを忘れずにね」
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