国盗りの双頭魔犬(オルトロス)
後出 書
第1話 双頭魔犬と呼ばれた盗賊
プルトニアという国に一人の盗賊がいた。
フードの付いた黒い外套で姿を覆い隠しており、誰もその素顔を知らない。
特徴と言えるものは二つ。その人物は、やや小柄であるということ。そして二本のナイフを得物としているということ。
満月の夜に何処からともなく現れ、目にも止まらぬ速さで間合いへと入り、瞬く間に二本のナイフで切り裂いていく。
これまで数年に渡り強盗を繰り返しており、命こそ奪わぬが奪われた金品の類は累計すると小国の軍事予算にも匹敵すると言われている。
疾風の如き身のこなしと獣の爪牙の如き凄まじいナイフ捌き。まさしく人ならざる獣。
人々はその盗賊を〝
プルトニアの法と秩序を守る王国騎士団は何年もこの盗賊を追っており、高額の懸賞金をかけていたが未だ正体すら掴めぬまま。今日も成果を挙げられなかった末端の騎士たちは街の酒場にて愚痴を肴にビールを呷っていた。
「チクショウ! またやられたぜ!」
「今月に入ってもう五軒目だ。野郎、ちっとも足取りが掴めねぇ」
「昨日がアドルフ商会の若旦那、一昨日がウォレンツ子爵のバカ息子。拝金主義のクソ神父にそっから前はえーと……忘れちまったが、とにかく守銭奴ばかり狙やがるからタチが悪いぜ」
オルトロスが狙うのはいずれも弱者から搾取し、私腹を肥やす者ばかり。そしてオルトロスは奪った金品を貧しい人々の家に分配して回っている。だからこそ、騎士たちからしてみればタチが悪いのだ。オルトロスという存在は虐げられている市民の代弁者であり、反逆の旗印。手にする二本のナイフですらも〝力無き者たちの剣〟と呼び讃えられ、賞賛されている始末。これではどちらが悪でどちらが正義かわかったものではない。
「狙ってやってんなら大した奴だよ。今じゃ俺たち王国騎士団よりも見える実益を持ってきてくれる義賊サマの方が民衆の人気は高いもんなぁ。仮にもし追い詰めたとしても、奴の味方をして匿うなんて奴らも多いだろうしな」
「ヘタすりゃ逆にこっちが悪モン扱いになるかも知れねーんだから必死になって探してるのが馬鹿らしくなるぜ。今頃奴は次の盗みの算段でも立ててるだろうさ」
ちょうどその頃、騎士たちの予想に反して稀代の義賊オルトロスは全く違うことを考えていた。
『そろそろ盗賊稼業から足を洗いたい』
オルトロスは、このプルトニアの郊外にある貧民街で生まれた。娼婦の母は病で倒れ、まだ幼かったオルトロスは誰にも頼れず一人で生きていかなくてはならなかった。生きる為に戦うことを覚え、盗むことを覚えた。盗んでは逃げ、時には暴力で大人さえもねじ伏せてきた。
寄る辺のない幼き日のオルトロスが生きていくには、貧民街はあまりにも過酷な環境。当時その街の孤児が十歳の誕生日を迎えられる確率は全体の三割にも満たないとさえ言われていた。しかし天性の運動神経と地頭の良さで、オルトロスは盗賊としてめきめきと頭角を現していった。気づけばプルトニアではその名を知らぬものはいない大盗賊になっていたのだ。
『今まではたまたま上手くいっていただけ。こんな生活は永遠には続かない』
決して自分の力を過信しない。
常に己の状況を冷静に客観視できる。
それがオルトロスの強みでもあった。
オルトロス自身、そこまで裕福な暮らしをしているわけではない。盗んだ金品の殆どを恵まれぬ者たちへ分配している為、純粋な取り分はせいぜい酒場で魚の燻製と酢漬けの野菜、ビールを三杯注文をして少しの釣り銭が残る程度。つまり、今ここで陽気に呑んでいる末端騎士たちの晩酌並みの稼ぎにしかなっていないのだ。
「おーい、エルマちゃん! ビールもう一杯ちょうだい! あと豚と豆の煮込みと干し鱈、山羊のチーズとオリーブの実を適当に盛ってきて!」
騎士の一人が真っ赤な顔で一人のウェイトレスの名を呼んだ。
「まだ呑むんですか? もし急な呼び出しがあっても知りませんよ」
彼女の名はエルマ・グラッセ。
快活明朗な性格で、笑顔が可愛らしいこの店の看板娘。客の中には彼女目当てで足繁く通う者もいるほどだ。
「いいんだよ、どうせ今夜はオルトロスの野郎も出ないだろうさ」
「そうそう。エルマちゃんが店に出てる夜は不思議と何事も起こらないんだよ。俺たちにとっちゃエルマちゃんは女神様だぜ」
「ひょっとしたら、今ここにいる客の中にオルトロスが居るんじゃねーの?」
「エルマちゃんに会いたいが為に盗みもお休みってか? わっはっは!」
酔いも回ってすっかり上機嫌。バカ笑いする騎士たちは誰一人として気づいていない。
「もー、やめてくださいよヘンな冗談は」
今騎士たちの眼前で愛想笑いを浮かべている少女こそが、
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