恋と似る

朝夜

恋と似る


初めて死体を見た。


電気も点いていない、まっくらな部屋の中、加賀美だったものが、彼女だったものがそこに転がっていた。


僕は加賀美を背負うと、その狭いアパートの部屋を出て僕の家まで歩いた。

加賀美を部屋に寝かせると炊いてあった米でおにぎりを作った。ラップに包んだものをタッパーに入れた。防寒着を出して身に付けた。毛布を取ってきて加賀美を包んだ。加賀美の目が開いているのに気付いて目を閉じてやった。口が中途半端に開いているのが無様だと思った。


水筒に温かいお茶を入れる。両親宛に「今夜戻りません」と置き手紙を書いて、原付の鍵を取って、加賀美を背負って荷物を持って家を出た。




加賀美の死体を見た時僕は、主の遺体を甲斐甲斐しく世話する武将の話を思い出した。


僕は加賀美の下僕だった。


原付に毛布で包んだ加賀美を背負って、適当に走った。

時々止まってスマホで調べながら、下道を使って山の方までひたすら向かった。

山の中腹に着くと川があって橋があった。高さが十メートルくらいはある橋で、ここから飛んだら多分死ぬだろうと思った。


車が一台も通っていなかった。僕は橋の丁度真ん中辺りで原付を止めた。

冬の山はさすがに寒くて、手袋をした手が霜焼けになりそうな程冷たかった。僕にもたれさせていた加賀美には、まだ少し体温が残っていた。


僕は水筒から温かいお茶を飲んで夕飯代わりのおにぎりを食べた。

朝までここにいたいと考えていたけれども、凍死しそうだと思って諦めることにした。


せめて加賀美にもこの景色を見せようと、目を開けさせようとして、難しくてやめた。

また加賀美を乗せて、来た道を戻るようにして走っていった。




加賀美は女王のようだった。

そんな風に振舞っていた。


高飛車で、自分が一番美人だと思っていて、人を虐めて楽しむ、厨二病の抜けきっていない、そんな、痛い女子高生だった。

僕は多分、加賀美のような人が虐めたくなるような、典型的な奴なのだと思う。

だから加賀美の目に止まった。


加賀美には数人の取り巻きがいて、全員加賀美に虐められたことのある男子達だった。

奴らは加賀美に恐怖または屈服していて、命じられるままに僕を虐めた。

これが加賀美の遊び方だった。


加賀美は愉悦に歪んだ顔でニヤニヤ笑っていた。


「お前、今日からあたしの言うことをきけ」


と言った。


「はいと言うまで殴らせる」


と付け加えた。楽しくて仕方ないという感じだった。


僕は中学校三年間虐められたことがまだ記憶に新しくて、なかなかはいと言わなかった。


殴られ続ける僕を加賀美はずっとニヤニヤと見ていた。

だんだん殴る方が飽きてきて、加賀美に指示を求めた。


おもむろに、彼女は靴と靴下を脱いだ。肉質で真白い脚が美しいと思った。


「お前たち、殴り合いでもすれば?」


と加賀美が言った。言われた方は本当に殴り合いを始めた。


「お前は踏みつけにでもしないと分からないみたいだから教えてやる」


と加賀美が僕に言った。


瞬間、僕はその脚に踏まれたいと思った。

加賀美は焦らすようにその脚を掲げて僕の反応を伺っていた。


僕は加賀美に踏まれるまで、はいと言うものかと思った。

ついに加賀美が、その白い、美しい脚で僕を踏みつけた時、僕は彼女に屈服したのだった。




真夜中のネオン街はイルミネーションも消えて、わずかにビルの明かりが、所々残っていた。

ただ適当に走った。


いつの間にか隣県に入っていた。こうやって適当に加賀美を連れ回すのはいい気分だった。多分死体だからだろう。


途中、コンビニに立ち寄った。加賀美を背負って肉まんを一つ買った。眠そうな店員は機械的に仕事をした。

加賀美はどう見ても眠っている風にしか見えなかった。


「加賀美、寒そうだな」


加賀美は制服のままだった。僕はもう一度毛布を加賀美に包み直した。

ふやけかかった肉まんはおいしかった。




「あーあ。あたし吐いてる人が見たいなあ」


と加賀美が言った。


この頃僕は、加賀美に虐めさせてあげている、というような気分になっていた。

一年近く、僕を"虐めさせて"あげている。


その間、他のメンバーは増えたり減ったり人が変わったりした。加賀美に恐怖した奴らは、僕が虐められたことで消えていった。


加賀美は他の女子と馴染まなかった。自分より不細工でも、自分より美人でも嫌っていた。


「あいつらみんな、不細工同士で群れて気持ち悪い。気味が悪いったら。あたしあいつら嫌いよ」


と言って近付こうとしなかった。


クラスの女子も女子で加賀美を嫌っていた。僕らを影ではべらせているのが気持ち悪かったらしい。男子はと言うと、まともな奴らは加賀美と話そうとさえしなかった。

加賀美もクラスで僕らと話す気はさらさらない。僕と奴らはクラスではそれぞれの友人のような適当な奴といた。


つまりは加賀美だけがクラスで浮いていた。


「クラスの奴らのこと考えるとあたし吐きそう。お前たちも気持ち悪いけど、あたしの言うこと聞いてくれるだけちょっとマシね」


あーあ。と加賀美は大げさなため息を落とした。


「あたし吐いてる人が見たいなあ」


すぐさま、僕の隣にいた奴が僕の腹を蹴った。


さっきまで虫入りの弁当を食べさせられていた僕はすぐに吐いた。

床にうずくまってむせている僕を、加賀美は満足気に、いつものニヤニヤとした笑みで見下ろしていた。


僕も満足だった。




僕は加賀美に一番従順だった。

初めの日から、僕は自分でも驚くほど、加賀美の言うことを素直に聞いた。

僕が一番加賀美に虐められた。


僕が望んでそうした。

何をしても文句を言わない下僕として、加賀美は僕を気に入った。


加賀美は必ず普段見えない所に傷を付けさせた。そこが彼女の醜悪な部分だった。

お陰で僕は、両親に高校では虐められていないと思わせることが難なく出来た。

加賀美は決して目立つ美人という訳ではなかった。けれども不細工ではなかった。

いつもその黒い長い髪をくるくると巻いていた。


加賀美の一番美しいところはその脚だった。肉質的で白く、美しい。作りもののような脚。

僕は加賀美にもう一度その脚で踏んで欲しいとさえ願っていた。そのために従っていると言っていい程に。


また、僕は加賀美がニヤニヤ笑うのもわざと見ていた。

大抵、虐める奴は最初こそ楽しんでいてもだんだん飽きて、無理して楽しもうとするようになる。それでも止めないのはむしろこちらが呆れる。


加賀美はその点、いつまでも面白がってニヤニヤ笑っていた。ずっと楽しんでいた。

加賀美がニヤニヤ笑う顔はこの世の醜悪さの塊のようで、綺麗だった。


加賀美が喜ぶと僕は満たされる気分になった。


そして昨日の放課後、何をしても恐怖しない僕に、加賀美は、


「お前が一番怖いものは何?してあげる」


と言った。


「殺人」


と僕は言った。


加賀美はふうんと言って、それから、良いことを思いついたという風に、ニヤニヤし出した。


「お前を脅してやる」


と加賀美が言った。


「今日あたしの家へ来い。他のお前たちが来たらもう相手してやらない。分かったな」


奴らは顔を歪めた。加賀美に相手にしてもらえなくなるのが怖いのだろう。

そして、僕は加賀美の家に行った。


加賀美の死体がそこにあった。




夜が明ける前に、僕はもう一度加賀美の家に戻ってきた。

加賀美の体温はすっかりなくなって、冷え切っていた。


電気を点けずに、部屋に入る。

加賀美を椅子に座らせた。


四肢はまだ動いた。


僕は手袋をしたまま、加賀美の髪の毛を櫛で丁寧に梳いた。それから、ヘアアイロンで、巻きが取れかかった髪を元のようにくるくる巻いていく。


顔や身体に付いた汚れを濡らしたタオルで丁寧に拭う。


本当はこんな風に、この部屋で加賀美の死体の世話をしたかった。


従順な彼らは部屋に来ないだろうとは思っていたけれども、念のため彼女を連れて行った。


今この時は、僕だけが加賀美の下僕だ。


僕は満たされている。




加賀美は馬鹿だから、自分では利口なつもりだけれども、頭が足りないから、きっとこういう風になると思っていた。


加賀美は自分で死んでくれた。


大方、死んだふりか、本当に死ぬ風に見せかけて、僕を脅そうと考えたのだろう。

それで単純な彼女は、ちゃんと騙せるかどうか確認しようとして、試しにやってみたのだろう。


僕が部屋に入った時、加賀美は床に倒れていて、首に縄が掛かったままだった。

縄は人の重さに耐えきれず、切れていた。


馬鹿な加賀美は目を見開いて、真白い首には引っ掻き傷が残っていた。


せっかく綺麗な肌なのに、こんな傷が残ったらもったいない。


僕は加賀美の首に包帯を巻いて、彼女の爪を拭ってやった。


加賀美のアパートの鍵は、数日前、クラスの女子に盗まれているのを見た。学校のゴミ箱に捨てられているのを僕が回収した。


鍵を掛けずに部屋を出て、そして途中で寄ったコンビニで捨てた。

僕は所々に、わざと痕跡を残した。


僕が加賀美を殺したことにしてあげてもいいと思って。


脅されてあげようと思った。


僕は加賀美の下僕だから。


加賀美は僕以外の奴らでも遊ぶ。奴らはほぼ恐怖心で屈服しているから、すぐ離れていく。そんな奴らが、加賀美の周りにいることが不快だ。


加賀美は僕だけに命令して欲しい。


だから、これを最後にする。


死んでしまえば僕だけの加賀美に、主になる。


加賀美が素足で死んでくれたのは嬉しかった。脚に傷がつくと大変だから、出かける時は靴だけ履かせたけれども。


加賀美の首の包帯を取って捨てた。

そして、加賀美を、初めに転がっていた場所に、もう一度寝かせる。


ようやく夜が明けて、部屋に薄明かりが差し込んでくる。

鈍い光を受けて、彼女の脚が尊いもののように白く輝いた。


僕は跪いて彼女の足の甲にキスをした。


「おやすみ加賀美」


僕は立ち上がってアパートの部屋を出た。

扉がばたんと閉まった。

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恋と似る 朝夜 @asuyoru18

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