第42話人の本性
大陸の菜根譚に様々人の心の働きを現している詩があります。
人生の波風の中で時に和いだ時にこそ、人間の真の姿が現れるものである。
この様に表されています。
和いだ(凪いだ)時とは、漢字の表現としては少しズレますが「順風満帆」な時と言えるかも知れません。自儘に思い通りに動ける時かと。
人は苦難を共にするべし。しかし成功は分かつべからず。
とも言われます。
波風の時は正に「呉越同舟」
波風が和いだ時に、同道の者が邪魔だからと「害する」人の多い事と思います。
苦難は人を協力させる事もありますが、「成功」の時は公正になれる人は少ないと思います。
ですので真の姿とは…
暗い姿が浮かんでまいりますのは私だけでしょうか?
何事も邪魔されず、自儘にできる。人間の花盛り。
青壮年期かと。
ですがこうも申します。
年を経てからの不調は、青壮年期の不摂生にある。
地位を失ってからの衰運は、絶頂期の不品行な振る舞いがもとになっている。
私達はその様な、先達の言葉も知らずに人生の和いだ瞬間。世間的な立場の向上にばかり囚われて、正に「不品行」を行いはしてこなかったでしょうか?
私は学校を卒業するにあたり、住処や仕事、進学も決めて「有頂天」になった瞬間があります。
そこに私の三倍は生きていらっしゃる先達が。
「君。喜びこそは奥歯に噛み締めて表に出さないものだ」
そう叱って下さいました。
そうです。
行く宛の決まっていない同級生も多数居るのです。
正に襟を正す瞬間でした。
美味妙声には心動かされるとはいっても、淡白な味を知り静かな音色を耳にする時にこそ、人の心の本来のありようが知れるのである
菜根譚にはこう続きます。
これも唸らされます。
我々は生きるにあたり、様々な「誘惑」と「旨味」を味わっています。
正に美味と妙声。
医師が申しました。
最近は過激な描写の娯楽が多いでしょう。
人間は体験していなくても描写を「見た」だけで興奮と緊張を行うのだよ。
だから安んじるならば「刺激」から遠ざかりなさい。
そう申されました。
上記の詩は分かりやすく美味と妙声を喩えとして表したものですが、人が美味に傾ける心は何世紀も超えて喩えを凌駕したかもしれません。
喩えではない美味への傾倒は恐ろしいものです。
悪いとは一概に申せませんが、身近な物に「酒と酒肴」があるかと。
唐揚げにビール
お酒が好きな人なら分かる美味かと。
正にガツンとした刺激的な美味。
ですが日本酒に唐揚げ…
これは実は「合わない」食べ合わせ。始まりは最近の事だと和食の料理人さんが教えて下さいました。
日本酒には「淡白な」酒肴
が、通説だったそうです。
日本酒に合わせて出された「貝の煮付け」
ビールに合う甘辛い濃い味を想像されますか?
実際は貝の旨味が中心の「淡白な」薄味で柔らかな肉質でした。
日本酒が上等な物…とは申しません。悪名高い「酒」は未だに有りますし。
ですが揚げ物等の濃い味には爽快な炭酸の酒精が筆頭かもしれません。
好みは人それぞれですが、年々日本人は「濃い味」を好み、強い刺激を求めているそうです。
妙声。
これも喩えから実物に移りますが。
素朴な民謡から始まり、歌謡曲、演歌、ヴィジュアル系、ロック、ジェイポップ…
近代になるにつれて表現が自由になり、そして「過激」になっていませんか?
平気で「殺す、死ぬ、殴る…」
バイオレンスな言葉の多い事。
反対に「君の為、愛を、離さない、守る」
情愛を歌い上げる。
これは心に衝撃を与えます。
昔は良し悪しですが、倫理委員会が強く、「物言い」が付いたとも聞きますが…
最近の楽曲の凄まじい事。
歌手も正に妙声。
そこに歌詞と音楽が加わると人の心は騒ぎます。
正に先に述べた医師の言葉の様に、泣いたり、笑ったり、怒ったり…様々な反応を起こします。
「自慢の喉」を称える故事もあります。
記憶頼りですが。
ある男の荷車が橋で立ち往生してしまうのです。
困った。荷をひく牛も動かない。
その時男が「歌」を歌ったそうです。
とても喉が良い男だった様で、歌に釣られてあれよあれよと荷車を押してくれる人が現れて男は助けられて窮地を脱したそうです。
この男が妙声であったかは分かりませんが、人を動かす歌声の持ち主ではあったのでしょう。何せ喜んで協力者を瞬時に生み出したのですから。
現代の歌はこれの「利己的」な部分が抽出された様に感じます。
支持者を増やしたり、利益を生んだり…
我々はその妙声により「本性」を操られてはいないでしょうか?
枯淡の響き…と、申しましょうか
山河の様な自然的な作為の無い天然自然な音声を聞いてこそ我々の「本性」も本性足り得るのでは…と、感じました。
我々は今や、耳目や口舌も他人の自由にしてしまっています。
そこから一時でも離れなければ我々は「搾り取られ」、「操作」されて「本来の自分」へ立ち返りは出来ないでしょう…
淡白な味
古典には
アカザの汁を美食と心得
と、表される事があります。粗衣粗食の代表格がアカザです。アカザ科の野菜でしたら「ほうれん草」があります。
私はほうれん草ではなく、借りた畑で「アカザ」なる野菜を育ててみました。
収穫されたアカザは太く筋張り、土にも塗れてスーパーで見る野菜とは違います。
それを現代的にアク抜きをして「岩塩」で調えただけのアカザの汁を作りました。
汁は確かに粗雑なあおみがありますが、その汁の実のアカザ。噛みますと、太い茎実から野趣溢れる「旨味」が出てきます。
正に淡白な…聖賢の士の味わった…滋味溢れる味です。
自分で育てたから可愛さがあるので贔屓した評価でしょうが、耳目口舌が「癒される」、神経の疲労をほぐす温かみがありました。
偶然が重なり味わえた「滋味」。古の人が「卑下」してアカザを出したのではないと分かりました。
私は今回の詩を読みながら「後悔先に立たず」でした。
もう青年ではなく、壮年とも言えるかどうか…
この今の「成功至上主義」
美味妙声に溢れた世の中。
天網恢恢疎にして漏らさず。
天の網はどんな物も漏らさない。
ですが人の網は「敵対者」を素早く見付け、始末してしまいます。他は漏らしますのに。
和いだ時の人の本性。
五感を快楽で満たされた人。
私は今だからこそ呉越同舟の波風を乗り越えた人を大切に思いたいですし、今からでも青壮年期の驕りを正して淡白な味わいと葉擦れの音を聞き、皆様にも出来るなら養生して欲しいと思います。
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