第26話料理一人歩き再び

最近あるバラエティ番組を見ました。



芸能人達に「オムライス」を作ることが出来るか?

と言う題材です。

そして次々と「謎の基準」で「合格」「不合格」「常識」「非常識」と採点をしていく。


私は嫌な気分になり、すぐにテレビを消しました。


皆様、本日は「料理」について私がぼやく…のですが…


皆様は「オムライス」…作れますか?



私は「作れる」けれども「合格」出来ません。

その番組では「常識」として様々な手順を取り上げて芸能人達にダメ出しをしていましたが… 


例えばトマトが嫌いな人がオムライスの「ケチャップライス」を作るでしょうか?

更にそれを具材をチキンにしたチキンライスにしますでしょうか?

そしてオーソドックス?に薄焼きの卵にライスを包みますか?

それとも半熟オムレツを作りそれをライスに乗せますか?


番組の求める「オムライス」とはなんですか?


くどくど言いますと卵やライスに「サラダ油」を使うのですか?

「バター」のがルーツに近いのではないですか?

海外の名物オムレツである「モンサンミッシェルのオムレツ」はバターですし見た目も「日本人の想像のオムレツ」ではありません。

更にケチャップライスのケチャップの酸味を飛ばさないから減点。ですがケチャップを使わずガーリックチキンライスにしてもオムライスは成立するはずです。



どうして「他人の物差し」で「合否」を「料理」につけなければならないのでしょう?


皆様の家庭一つ一つに「家庭の味」が存在し、同じ料理にも複数の「レシピ」が存在するのに何故レシピを統一して他を「淘汰」しなければならないのでしょうか?



料理とは「創意工夫」から沢山生まれました。

貧困から。豪奢から。極限から。平穏から。伝説から。伝統から。暑いから。寒いから。

その全てが「尊重」されて「存在」して良いのだと私などは思います。



説教臭くなりました。


科学や錬金術は台所から生まれたとも言いますから料理とは偉大な作業である事は違いないと思います。

東洋の医食同源等は台所で「薬」を作るに近しいと思います。




創意工夫ですと。


肉じゃが


これも今ではおふくろの味とも言われるザ和食でしょうか。

この肉じゃがの誕生秘話にもある種の「逸話」が有ります。ご存知の方も多いですよね。

明治期の軍人、東郷平八郎がイギリスの煮込み料理を気に入り軍の料理方に再現する様に言います。

ですが料理方はその東郷平八郎から語られるだけの煮込み料理が分からず、和風の醤油を使い作った煮込み料理が肉じゃが…と言うお話。


今ではこの話は「通説」ではなく「逸話」に分類される様です。

海軍では早く洋食の導入が進んでいましたからその煮込み料理が「シチュー」の事だと理解されていた様です。

ですが未だ肉食や洋食に馴染みの薄い世代ですから洋食の調理にバターを使うのを「乳臭い」として食が進まない軍人も居たようです。

更には食肉加工も現在より進んでいませんので血抜きや熟成も不十分だったとも考えられます。

そこに日本では「牛鍋」も出回っていましたからバターではなく醤油と砂糖の甘辛い味付けで日本風にわざと調理されたのが肉じゃが…ともされます。


ですが東郷平八郎が「ビーフシチュー」を好んだと言う逸話部分はまだ信憑性はあるみたいです。

フランス料理のコースに習い大英帝国でもコース料理が公式の場では主流だったそうですが外国人である東郷平八郎に細々と「マナー」云々を押し付けなかった。もしくは外国人の田舎者にコースは無理だと思われたのか東郷平八郎は良く煮込み料理を食べたと伝わっています。

東郷平八郎は堅物ではなく、柔軟な人の様ですからコースのマナーは恐らく問題無かったとも思います。恐らくビーフシチュー等の煮込み料理が「好物」だったのでしょう。


料理にはこうした「逸話」を持つ物も存在しますから深く考えずに楽しめるのも良いですよね。



海軍カレー 


この料理も様々「逸話」が存在しています。

今でも海上自衛隊のメニューに堂々と存在していますよね。帝国海軍時代からも食べられていたとされます。

更に日本では「肉じゃが」と「カレー」の材料は共通点が多いです。ですから二つは兄弟姉妹の関係かもしれないですね。

カレーも「カレー粉」が存在していますよね。大英帝国で初めて「カレー粉」が開発された様です。

そこに学びに行っていた「東郷平八郎」が食べていても不思議ではないかもしれません。


そして肉じゃがと海軍カレーは現在「戦争中」とも言えます。

日本には帝国海軍の寄港地が複数有りました。

ですから海軍の寄港地それぞれが肉じゃがやカレーの「本家」を名乗り、ルーツを争っています。


結婚はしたものの、料理の味付けが合わず「離婚」する夫婦が居るとまことしやかに言われる位ですから「料理」とは魔性の存在かもしれません。



戦艦のラムネ


このラムネの話も帝国海軍のお話です。

大東亜戦争時代の日本の戦艦や空母等の大型艦には火災の消火の為に「炭酸ガス」が使われていたそうです。

そしてその炭酸ガスを平常時にも活用するのに炭酸飲料の「ラムネ」が作られて戦艦の酒保(売店)で売られていたようです。

ラムネはラムネード(レモネード)から付けられた和名とされます。炭酸飲料になる前の原液は近しい味であったのでしょう。

更に日本には有名な「ネームシップ」が存在します。

戦艦「大和」がビッグネームでしょうか。

勿論大和でもラムネは作られていました。更に帝国海軍は洋食も盛んであったと上記に述べましたが、いつまでも出港しない戦艦大和を「大和ホテル」と揶揄もされたとか。

帝国海軍は位の高い士官には下士官が「給仕人」として一人一人に付き、コース料理を堪能していたとされます。大戦末期はホテル等はやっていけていないのに大和ではホテル並みの待遇を受ける士官が存在していましたから一般人はたまらなかったのでしょう。

ラムネも飲めない時期です。

現在の我々がラムネや他の炭酸飲料を気軽に飲める…それとは違う悲しい「グルメ」ですね。




戦艦のアイス



またまた「戦艦」グルメです。

ですが今回は日本帝国海軍ではなく、日本帝国海軍と鎬を削る海戦を行ったアメリカ海軍の戦艦のグルメです。

アメリカ人は甘味が無いと死んでしまう…

そうジョークで言われる程に甘味が好きだそうです。

現在日本でも買える「スニッカーズ」のチョコ菓子は恐ろしく甘いですよね。更にはスニッカーズも軍で採用されている甘味だと言われます。

現在の米軍マリーン養成キャンプでも、食事の肉類等はペット用にまわされる「下級」とされる肉を給食しますが、そんな食事にも「デザート」として果物や菓子が必ず付くそうです。それ程甘味は重要視されています。

ですから大東亜戦争時にも、彼等は帝国海軍のラムネよりも甘美なアイスクリームを戦艦で作っていました。

このアイスクリームにも「逸話」が存在します。

いつもの様にアイスクリームの配給を受ける為に下士官兵士が入り乱れて並んでいた所に「上級士官」が「横入り」をします。

アイスクリームの前には彼等は平等です。階級関係なく誰でも並びます。そこに横入り。


「お前らー、ちゃんと並べよー」


行列からそんな声が聞こえてきました。

一体誰だ?と声の主を見ますと。


「提督」ウィリアム・ハルゼー


その人だったそうです。

ハルゼー提督は苛烈な指揮から「ブル」と渾名された闘将ですが、そんな提督ですらアイスクリーム用のトレーを持ち、きちんと並んでいるのです。

横入り士官達はすごすごと最後尾に並んだそうです。

ハルゼー提督は叱ったとも笑いながら諭したとも伝わりますが、大東亜戦争時に日本帝国海軍と向こうを張る提督がこの様な人でしたら「致し方なし」かもしれません。



今回は戦争中の品々が多いのはご勘弁を。

人はその様な「極限状態」だからこそ料理に「癒し」を求めるのかもしれませんから。





祝賀に出た保存食


これはものの本に少し紹介されていた、大東亜戦争中の祝賀の料理を見た招待客の胸を締めた話です。


戦中の日本の話です。

皇暦…の祝いでしょうか。

昭和の陛下もご出席なされた祝賀に出された「料理」です。

国をあげての祝賀ですから戦争中であっても「尾頭付き」だったり「銘酒」が饗されたりしたのでしょうか。

どうやらそうでは無かったようです。


この祝賀に招かれる人々は限られていましたから招待客が持参の容器等で家族や親類への「土産」として料理を持ち帰ったそうです。


今では食品衛生法等で出された料理の「持ち帰り」を禁止したりしていますが、昔は目出度い席での料理を「持ち帰る」のがある種の礼儀でした。

ご馳走を独り占めするのでは無く、大陸の諺にもあるように「料理が美味しければ、それを他者の口腹と分かちて」…です。

それが人々の倣いでした。


それを主催者も了解していますから日持ちする料理を多めに饗したりもした様です。

この戦争中の祝賀はそれが「裏目」に出てしまう…と言うお話。


先程から申します「戦争中」

招待客の親族が「日本に居ない」事が多かったのです。

ですが陛下ご出席の祝賀の料理…何とか最前線の家族親族にもご馳走したい。そう招待客は思います。

それを主催者も慮り…


料理が、乾パンや缶詰めや乾き物等の長距離輸送や保存性の高い品々が占めて新鮮な料理が数種…になってしまったそうです。


その本の著者の父親が招かれて、帰宅時に「お土産」として出した「料理」が乾パン…


筆者は「決して口には出せない」けれども…


「敗戦」を子供心に感じたそうです。



それから間もなく日本は無条件降伏をしたそうです。





白菜は何処から来たの?


白菜の物語です。

様々な「説」がある中で今回出しますのは。

大東亜戦争の終戦によって白菜が日本に渡ってきたと言う「逸話」です。


キャベツ等はもう日本に馴染んでいたそうですが、同じく自然と結球してくれる野菜の「白菜」は戦後広まったと言うのです。

今では鍋や汁物や炒め物にと大活躍の白菜。

それが当時日本が戦争していた大陸で重宝されていた野菜だからです。

日本では餃子にはキャベツが多く使われますが、大陸では上品な旨味のある白菜を水抜したりして餃子に使う様です。

漬物にも重宝されていますから、戦後の引き上げの際に民間人や兵士が種を持ち帰り広めたと言う「逸話」です。


横道ですが。山間部の多い大陸の戦場。兵士達は現地調達で白菜を口にする機会は多かったでしょう。

山間部の料理に「ピエンロー」等と呼ばれる白菜料理があるそうです。

家畜を絞めて、白菜と肉を煮て「来賓」に饗する。そのピエンローの一番の「ご馳走」の部分は白菜ではありません。貴重な家畜の「肉」と「塩」だと言います。大陸の山間部、塩も貴重です。この料理では来賓に「塩の壺」を出して、「お好きなだけお使いください」と言う最大限の持て成し。

そうです。白菜は脇役です。ですがその上品な旨味は尊ばれ、使われます。



白菜は料理ではなく野菜ですが、こうして様々な縁により日本でも愛されているそうです。




最後に。


サランラップ


これはどうでしょう?


料理ではない?


そうです。

これも戦争が生んだ産物の様です。

サランラップは料理ではありませんが今では料理を作る際に使われたり、残った料理の保存目的に使われたりもします。


そのサランラップですが。

元々はアメリカ軍が湿気を嫌う兵器の保護の為に開発したと言う「逸話」があるのです。


アメリカではよくホームパーティーをするそうですが、軍人の婦人達のコミュニティでのパーティで残った料理を「サランラップ」で密閉した所、抜群に湿気から料理を守ったそうで、「これは便利」として民間にも広まった…そうです。


何せ電子レンジの仕組みも潜水艦の「ソナー」の仕組みから活用されているとも言われますから、「戦争」と言う忌むべき政治行為がその後の家庭へ「貢献」すると言う皮肉な「逸話」を生みます。



戦争を肯定する為に今回様々な物を紹介したのではありません。


勝った側、負けた側…様々な立場を生んでしまう忌むべき行為にも「文化発展」の顔があるのです。


人間は本当に恐ろしいです。そしてしたたかであります。


ちょっと日常生活の「疑問」を辿るととんでもない代物にぶつかる…


「疑問」とは大切な代物だと言えると思います。

冒頭に「ボヤいた」料理の出来不出来。



私は「疑問」に思います。

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