第25話今の世の中苅田狼藉
種を蒔かないのに作物は育たない。
私はそれを「当たり前」だと思っています。
種は作物や穀物であったり、様々な「努力」も種と言えると思います。
ですから昔は「若い時の苦労は買ってでもしろ」とも言われました。
若い時分に「苦労」と言う「経験」を積ませて将来の大成を願う。
諺にも、人は剣を鍛えるが如し…とも。
剣を鍛えるには強烈な「炎」に加え、「槌」で幾重にも折られ叩かれて「強靱」にされます。
ですからその苦難の末に大成すると言う言葉。
ですが、私は「古い人間」です。
実際に土地を耕し種を取り作物の実りを喜ぶ。
勉学にしたってそうです。
この年になってくるとまた学校に通いたくもなります。
私は不勉強で成績等はビリッけつでしたからその時の自分を叱ってやりたいです。
ですが最近の傾向は違ってきていると思います。
これは私の実際交流しての肌感覚ですが。
「新しい人間」と言える十代、二十代の方とチャット等をさせて貰いますと、彼等は「貰う」事しか考えていない時が有ります。
チャットが出来ていると言う事は、少なくとも手元に「PC」や「スマートフォン」「携帯電話」等のツールがある筈ですのに、「分かりません」「教えて下さい」と言います。
一昔前は「ググレカス」と言うネットスラングが冗談交じりに交わされました。
ググレとは、手元に検索出来るアイテムがあるのだから「先ずは」自分でグーグル検索「ググる」事をしなさい。ですね。もう死語でしょうか?
少なくとも私が2021年に出会った中高大学生は「教えて下さい」の一辺倒でした。
私の世代ですと調べ物は専ら「書籍」でした。
ですからお金の無い苦学生ですから「図書館」に通い必要な書籍を「借り」ました。そこからインターネットが普及して気軽に知識を調べられる事に「違和感」を感じつつ私も甘受しています。
今の世代はすぐそこに「インターネット」が存在しているのに「調べない」のです。
勿論「楽」になる為に学業に関しては活用されているとは思いますが…
ですが立派な「研究所」の採用レポートが「コピーアンドペースト」で出来上がっていた…とも聞きますが。即ち「楽」の極致とも言えましょう。
他にもネットの「知恵袋」に入試や採用試験の難問を「回答求む」と知恵袋に質問をしていた若者がいて、堂々と当時のハイテクの「カンニング」もされたと言われていますね。
どうしてその知恵を「向上」に向けないのか…
知っている力仕事の土建の監督さんは本社が「大卒」を大量に雇用するのでどれだけか「期待」をしていたらしいのですが。
結果として「大卒」の新人さんは「暗算できる電卓」だった…と皮肉っぽく仰っていました。
「電卓あれば俺だって書類書けるよ」
そう仰っていました。何せ監督さんは労働者と共に日焼けしながら肉体労働と事務所での仕事もしていましたが、大卒の方々は事務所から出てこないそうです。
確かに学業は「種まき」をする自己投資でしょう。
ですから「大卒」の方々はその「実りの収穫」として安楽な「事務所」を手に入れました。
私の様な世代には分からないのです。
安楽の為の学業に価値はあるのだろうか…
だからといって「ブラック企業」や「サービス残業」をしろとは言いません。あれは苦しいですから…
ですが「実り」を独り占めするのでは無く、皆の為に披瀝したりする事も「勉強」の内なのではと。
最近は「道徳」の時間が無い学校も多いそうですね。
私の時代も「道徳」の勉強はなおざりで全く「人格」を高める事にも繋がりませんでしたが…
今の世の中は「個人主義」「利己的」が余りにも蔓延している様に感じます。
若い世代はスポンジが水を吸う様に吸収の良い世代。その世代が「調べ物や学び」もせずに一体何をしているのでしょうか…
この心配が杞憂であり極々一部の人の話であり、大多数が勤勉であるならば大成する事を祈ります。
それと現在チャットでのやり取りが多いせいか、チャット相手が不特定であり正体不明ですと、人は「相手は自分より下である」…とのある種の「錯覚」…先入観も蔓延っています。
更には個人保護を過信してか一方的に中学生が「正体不明の私」に罵詈雑言を並べ、人格を否定し、更には辻褄の合わない「経歴詐称」も行います。出来上がったのは「自称、生徒会長であり病院経営者でありゲーム会社勤務であり億ション住みの俺は凄い」…「お前みたいな負け犬は俺の病院で面倒みてやるよ」…
私の感覚が古いのでしょうか。これからの働き手の「俺ツエー常識」にはついていけません…
「若い頃の苦労は他人に高値で売ってしまおう」
これが現代の諺でしょうか。
そうしましたら「自分最強」の「自己肯定感」を維持できます。
失敗は成功の母ともされますが、過度に失敗を避け他人に押し付け続けるのも「種を蒔かずに実りを待つ」状態と思います…
先程「種まき」が重要と申しましたが。
種まきしないのに「実り」は自然界ではありえませんよね?
ですが、経済の世界では戦国時代の「刈田狼藉」が横行しています。
刈田狼藉は、他国に攻め込んで実った穀物や野菜を自分達が「横取り」して、相手の兵糧を減らし、自分の兵糧を増やす「定石」ともされました。自分で種を蒔かずに他人の実りを奪う作戦。
ですが刈田狼藉は諸刃の剣です。
もしその国を征服したとしても、刈田狼藉で食べ物も「種もみ」もありません。残るのは「飢え」と「恨み」を抱えた領民と荒廃した大地のみ。
刈田狼藉では村に火も放ちますから領民は逃げ出して「野盗」や最悪「奴隷」として他国に売られました。
刈田狼藉は良い事は無いのです。
ですが日本の戦国時代は「小氷河期」だったと研究者が申します。
自国の民を生かすには他国の民を害するしかなかったのでしょう…
時代が悪いのでしょうか。
そして現代の刈田狼藉は。
他人の財産で自分の財産を増やす…でしょうか。
今の人々は国政が無策故か己の財産は減らさずに相手の財産を奪う事に躊躇が無くなってきている様に思います。
合法的に「株のデイトレード」が認められています。
FX取引は自分の財産を溶かしますから違いますかね。
株取引のデイトレードは「賢い」でしょうか?
差額が購入時よりプラスになればすぐに「売り」、新たに目ぼしい株を買う。
それの繰り返しですかね。株取引の専門ではないので誤認識があると思います。皆様の方がお詳しいかもしれませんね…
デイトレードの弊害としては、企業が育たない…が、挙げられます。
株は本来は投機取引でも投資目的でも無かったはずです。
ですがどんどん短期的に利益を上げたい人が増えて、どんな人が自分の売った株を「買う」かなんて二の次三の次です。
ですから株式会社がどんどん解体、合併、買収の「商品」とされて、結果として自国の損害になる…
そうなりましたら自分の「利益」より「社会的損失」が上回り結局貧しくなると思います。
まず他人の実りである「会社」から個人が刈田狼藉をしている。そうすると次第に会社は種もまけずに気付いたら無くなってしまうと私は思います。
これは古いでしょうか?
ですが、会社も刈田狼藉をします。扱ってる商品を「安く」仕入れるのを優先して、取引先に刈田狼藉をしている。
これは考えものではないですか?
その「会社」が食品を日本一扱っている国内最大企業だと仮定します。
ですが。
一次生産。
農家さんが居なければ誰が「作物」を育ててくれますか?
漁業の人が漁をしてくれなければどうして「海鮮」が出回りますか?
その人達に消費者の代弁者として「会社」が安売りを強要…刈田狼藉をする。
農家さんは農協からも絞られ、作物を買い叩かれ、収益にならず田畑を「高値」を付けた「国や人達」に売ります。
漁業は取れ高で船の燃料代にもならなくて店仕舞する網元もいます。
船も手放してしまったら漁業はできないでしょう…ですが船は浮かべているだけでコストが掛かるので手放すでしょう。
そうやって大手会社が小規模な実りを根本から刈り取り「根絶やし」にしている側面もあるかと。
更に買い手に「国」とも書きましたが、もうかなり前から…今現在迄盛んに「外国」が日本の土地を「買って」います。
売り手は「高値」で売れなければなりませんから売ってしまうでしょう。
これは「売り手」が悪いのではありませんよね?
ですが最終的には「日本」は「誰の」所有物となっているか…不気味ですね。
どうでしょうか。これが私の感じる現在の刈田狼藉です。
もっと身近な「個人」単位の刈田狼藉も最近取り沙汰されますね。
フリマアプリをターゲットにした「無在庫転売」です。
皆様ご存知かもしれませんが一応紹介します。
無在庫転売は、まず同じくフリマアプリに出品されている「商品」に目をつけて、その出品者より「高値」をつけて商品画像も「無断転載」して、さも「自分の在庫商品」として「架空出品」をします。
そして首尾よく自身の「架空出品」が売れましたら、アプリで目を付けていた「本当の出品者」から商品を落札して初めて「在庫」を確保して元出品の値段から自身の架空出品の差額を「利益」とする「詐欺行為」です。
はい。アプリ利用に明記されている「犯罪行為」です。
ですが、無在庫転売の当事者達の倫理観では「元出品」も売れて「自分の商品」も売れて経済を回しているのだから立派な「商売」だ。
そう申します。
「不当な高値」で落札してしまった「利用者」に「実害」が出ているのですが…
これが「倫理観」への教育としての「種蒔き」を怠った現在の「教育現場」の限界なのでしょうか。
「教育」とは全ての「種」だと思います。
更に踏み込みます。
世の中には「弱者」が必ず存在します。
有名人等は弱者を「始末」してしまうのが世の中の為だ…と暴論を振り回します。
ですが、その弱者は往々にして「搾取」の「対象」たり得るのです。
病気や身体にハンデのある人々が自称「健常者」の人と「同じ時間」拘束されて同じ「労働」をします。
もし日給なら健常者には日当一万円。ハンデのある「弱者」は日当五千円…
差額の理由は「障害者福祉」を「俺達」は「してやった」から「報酬」が「低いのに」「納得」しろ…です。
更に深みがあります。
一日の長期労働に耐えれない人々も勿論「労働」をしています。
ですが渡させる仕事は「一個」の値段「0 .01 円」の仕事です。
それを上記に上げました一次生産者が利用します。
一次生産者が虐げられる日本ですが、その一次生産者に「障害者福祉」を「教えて」、時給換算で都道府県の「最低時給」の「半額」か「三分の一」で「弱者」を「使わせる」事も進んでいます。「0.01 円」より稼げるよ?…それはハンデを抱えながらも「社会貢献」しようとしている人々の「尊厳」を確実に切り裂き、最後には「命」を奪います。
(弱者、ハンデと便宜上記載しておりますが、私個人としては差別の意図が無い事を記載します)
「弱者」とされるハンデのある人の人権はないのでしょうか?
「弱者」を「自活」させる仕組みは本当に機能しているのでしょうか?
本当に持たざる立場になりますとその様な仕打ちが「当たり前」として「まかり通る」のです。まさしく戦国時代、他国に刈田狼藉されて田畑や住処を荒らされて「奴隷」として売られた「現代の領民」そのものです。
更に海外から日本の製造や一次生産者の所へ技能実習生が学びに来ます。
彼等も「弱者」と言えるかもしれません。
必死に母国で「日本語」を学び「技能習得の為」として「低賃金」での労働を強いられる人々。
外国人だから、雇う側にもまた「障害者支援」の様な「錦の御旗」である「技能教習」を「させてあげている」と言う心理が働きます。
このハンデと外国人に対する私の見解は自身の見聞も勿論ありますし「経験」でもあります。
無論全ての団体が「搾取」を「是」とはしていませんが、ここにも捻れた「経済格差」が実体を持って「存在」していると「知って」ほしいです。
そして我々全てへの刈田狼藉も「公然」と行われています。
踏み込んで思考しますに…
「国家の数多の税金」
これこそは「国民」の「実り」を刈り取る口実と化していると思います。
思いますに「順番」が「逆転」しているかと。
「種蒔き」が先で「収穫」は後です。
ですが現在の行政では「収穫」を先に行い、「種もみ」を国民に残さずに、また来年も「収穫」を行います。益々種もみも無く…国民は疲弊します。
身近ですと「確定申告」でしょうか。
確定申告は必ず行ってください。
確定申告の理屈は「毎年の国民収入のベースアップ」です。
毎年実施されますが、それは「国民は毎年収入アップしている」と言う理屈で行われています。
ですから確定申告を怠ると「貴方収入上がりましたよね?」となり、課税が増えます。
一体今の人々で毎年数千円単位で収入ベースアップしている人達とはどんな人達なのでしょうか?
ですから国は「順番が逆転」していると申します。
政治の世界もそうでしょう。
世襲議員の地盤は固く、現在の情勢に自ら変革をしようと新規に名乗りを上げる新人さんには勝ち目は薄く、仕方なく「政党支持」を取り付けて勝負をして、当選と引き換えに「自身の自由」を政党に「担保」として渡してしまいます。
更には議員には「選挙」が存在し、その時々の「情勢」で当選と落選が起こります。
ですが。
同じく国政に参画している「官僚」には選挙はありません。
閣僚や大臣の顔ぶれが変わってもサポート…「コントロール」をしている官僚には落選は実質的に「存在しない」みたいです。
毎回顔ぶれの変わる議員方々よりも余程政治に「精通」されている人々がおなじですから「歯止め」が効かないとも言えますかね。
それに私の様な「慮外者」が憂慮しますのは…
序盤に載せました現在の「若者」の習性が歪められていると思うのです。
「人格」や「道徳」が疎かで「学び」も「抜け穴」や「コピーアンドペースト」、分からなければ「教えて『貰える』」…そう。他人から「貰う」事で凌ぎますから明確な「自己」が存在しているのかどうか不安になります。
様々な人達の「主張」を聞いてみますと。
その「個人」の主張ではなく、その個人の「所属団体」の「主張」であったりします。
人間長く生きても「本当に」自分の言葉を残すのは二言三言に過ぎない…とも聞きます。
実際そうなのでしょう。
この私の連ねた言葉も「他人譲り」でありましょう。
様々申して来ましたが。
もしこれから身を立てて生きていこうとするならば。
作物で言う一年草ではなく「桃栗三年柿八年」と、収穫に時間のかかる果樹の「種」を蒔いて長年をかけて生育させて毎年の実りを得よう…
もしくは「梨の大馬鹿十八年」…自分が朽ち果てる頃に実る「種」を蒔いてもいいではないですか。
昔話にもあります。
ある主人が召使いを自由にしてやろうと船一杯の宝を乗せて召使いに渡し、「これを持って自由になりなさい」と暇を出しました。
召使いは自由になりますが、嵐で船が難破して財宝も船も衣服さえも失い、裸で島を彷徨います。
すると街があり「我々の王様になって下さい」と街の住人達が元召使いの男を王様として一年奉ると言いました。
王宮に通され衣服を与えられご馳走も出ますが、男は不思議に思い仕える人に聞きました。なぜ私は王様なのかと。
仕える人は言います「我々は死人です。ですから毎年生きている人を一年王様として迎えます。ですがご注意を。一年が経ちますと我々は貴方を追放しますから」
王様になった男は礼を言って、それから砂漠に木々や果樹、野菜の苗を植えて育てました。
一年後、男は追放されました。
ですが男は砂漠のオアシスも知っていましたし、植えた果樹や作物で飢えることなく他の人々と糧を分かちて過ごした…そうです。
何事にも思いを巡らせて備えたり「覚悟」を決める事も人は出来ます。
上記の昔話は。
人間現世では召使い同然。そして最後には必ず死にます。ですが男が砂漠に果樹を植えた様に「善行」を生前つむ事が出来ます。追放されて死後の世界を過ぎますと、生前の善行が次の世にも継がれて益々栄える…と言う解釈の様です。
ですが今の苦界。
その遺徳の果樹さえも他人が「引き抜き」持ち去ってしまいます…
これではどうして人々憎み合わずにいられましょう…
大陸の逸話を少し。
大樹の功績。鉢植えの功績。切り花の功績。どれが末代に続くか?
大変の長文失礼致しております。
皆様がこの苦界を少しでも安楽に渡れます様に願うばかりです。
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