第20話食べ物歴史歩き

食べ物の進化は平和な世の中では贅沢な物が生まれ、緊急の時代には便利な物が生まれたりします。


近代ですと第二次世界大戦…大東亜戦争ですか。そこからバブルの華美な時代。そして鬱屈した今現代。



今回はそこから遥かな過去に飛び、現代でも食べられている食べ物を掘り下げたいと思います。





馬の背の納豆。

糸引き納豆の誕生の一説です。


私の時代では、源頼朝公に「豆」が献上され、「何と旨い豆かな」と仰られてからその「豆」を「納豆」と呼んだ…と。


徳川家康公も納豆を陣中で食したそうですが、それは糸引き納豆ではなく塩の強い発酵した豆であったそうです。塩納豆、今で言う浜納豆…でしょうか。



糸引き納豆の誕生の一説では。

太閤豊臣秀吉公の末期の朝鮮出兵の時には、海を隔てた遠国での戦であった為に食料に困ったそうです。

伝え聞きですと、加藤清正公が戦線を移動しながらでも何とか食事をと思って大豆を大量に煮て、米俵に米の代わりに詰めて、馬の背にくくり付けて移動していたそうです。

それを食べながら戦線を移動していますと…数日で豆は糸を引いて「腐って」しまいました。

ですが、もう米も無く食料はその糸引きの大豆のみ…

皆は意を決してその腐った豆を食べました。


「こりゃあ…旨い!」

ただの煮豆より柔らかく、旨味も強くなり、腹も下さなかったので加藤清正公の兵はその糸引き豆を「納豆」としたと聞きます。

米俵が「藁」で出来ていたのでそこに「納豆菌」が。馬の背が四十度を超える辺りだったので丁度良く発酵した正に奇跡の逸品…あくまでも一説ですが。


加藤清正公は終始兵糧に悩まされ、朝鮮出兵で籠城した時にも食料が無く、壁土を砕いて食べたともいわれ、国に帰ってからは自身の城の土壁には干瓢を混ぜたり庭木も松等の皮を食べられる樹木を植えたとか。人は食べないと駄目ですからね。



話を戻しまして、そして糸引き納豆はおかずや調味料として使われました。


徳川家康公の開いた江戸幕府に長く使えた黒衣の宰相こと天海僧正等は。


「納豆汁と屁一つ」

が長生きの秘訣と言っています。

糸引き納豆はすり鉢ですったりして粘りと旨味を増して調味料ともした様です。


それが太平の世で「醤油」が安価に大量生産出来るようになってからは糸引き納豆は現在の様に「飯の友」となったようです。

豆は畑の肉と言います。肉体労働の江戸町民が朝食に納豆を買っていたそうです。





辛い仙台味噌


これも朝鮮出兵…戦争で考案された食料であると言います。一説ですが。

今では調味料として味噌の立ち位置が有りますが、当時は日持ちする優秀な兵糧でした。

ですから今でも個性的な味噌が有ります。

岡崎の辺りでは昔から大豆を使い長時間熟成させた「赤豆味噌」。今ではその伝統味噌の蔵の範囲から八丁味噌…と呼ばれます。

北陸地方は潮風が強かったからか甘味のある味噌が好まれて麹を多く使って熟成させた「麹味噌」。

九州はもっと甘味を好んだそうで、麦を主体に作られた「麦味噌」がありますね。甘味は確かに強かったと思います。


そこで「仙台味噌」です。


多種多様な味噌が存在しますが、目標は保存性の高いタンパク質です。


ですが朝鮮出兵の船旅や、現地の気候も合わなかったのか、日本では問題なく日持ちした味噌がことごとく「腐って」しまったようです。


その話を聞いた伊達政宗公は自身の部隊に持たせる味噌を「塩辛く」作りました。

すると船旅や異国の地でも伊達政宗公の味噌は腐りません。


そこで他の武将が伊達政宗公に味噌を分けて欲しいと申し出ます。

伊達政宗公ははなからそのつもりで多量に味噌を持ってきていたので伊達政宗公のこの行動は図に当たります。


陣中では「仙台味噌」と評判で、伊達政宗公の治める仙台の銘品の一つになりました。

誰も損をしない広告ですね。

異議あり…の方々もいらっしゃるでしょうが、あくまで逸話です。


先にも述べましたが、味噌は今では調味料とされ、おかずとして食べると「貧乏人」等と言われたりもしますが、歴史を紐解くと味噌は「上等」なのです。

同じ味噌でも「女郎買いの糠味噌汁」と言う言葉もあります。

豆や麹で作った味噌ではなく「糠味噌」です。

おそらくは糠漬けの糠を塩気もあるからと金がなく味噌汁の代わりとした…ですかね。

味噌は焼き味噌としても活躍します。様々な調合をして表面を焼き固めると日持ちもします。立派な行軍食です。


更には「塩」もおかずでした。

百歩譲って味噌はおかずにもなるが…「塩」なんて…と思われると思います。


ですが塩は湿気る事はあっても「腐る」事は殆ど有りません。

ですから関ヶ原の戦いの後に大減封された上杉家での話ですと。

直江兼続が他の武士の家屋を訪ねるとその武士は丁度食事を済ませた所でした。

直江兼続が「何を米の菜にされた?」と聞くと、「はい、タデと塩で食しました」と答えます。「ふむ。タデは余計であろう。塩のみで十分」そう言ったと伝わります。

タデも野草で「蓼食う虫も好き好き」と言われる位癖のある野草。それよりも塩だけで食べろ…とは中々に厳しいですね。


長くなりましたが、様々な物が普及するにあたり、ある物は無くなり、ある物は格を落として存続しました。

味噌はその中の一つでしょう。





猫跨ぎのトロ


こんな話もあります。

今ではマグロのトロと言えば「大トロ」「中トロ」「トロ」と分けられ、大御馳走です。

ですが昔は猫も跨いで通る…と言われる位マグロは下魚でありまして、その中でも脂身は「捨てて」いました。


江戸で食べるマグロは「ねぎま鍋」が有名ですかね。ネギとマグロを使う鍋なので「ねぎ、ま(ぐろ)鍋」だそうです。

江戸っ子は赤身を好みました。

ですから初鰹や戻り鰹は赤身ですよね?それを新鮮なうちに港から早駆けで運びますから刺し身で食べる贅沢。

初鰹等は有名な歌舞伎役者が一本に十両出し、刺し身にして振る舞った…ともあります。

少し逸れますが。


サンピン…と言う言葉はご存知と思います。


サンピン侍とも。これの意味はサンピンのサンは三両。ピンはピン芸人と言う言葉からも分かる様に「一人」と言う意味で。

サンピン侍は幕府の最下層の侍で、年間三両の給金で下人が一人付く…と言う立場。更に下人を付けるのも慣わしなので三両なんてあって無きが如し。

それを凌ぐ十両が初鰹一本に付く…そんな華美な時代。


マグロの話に戻りますと、マグロは大きく、内臓が高温でして。釣っただけでは内臓の温度でマグロはすぐ腐ります。今でもマグロ漁船は釣ったマグロが傷まぬ様に内臓を抜いたり、急速冷凍をしたりします。

そんな技術もない時代。同じ赤身の鰹は尊ばれてもマグロは下魚でした。


ですが、江戸末期か明治維新後かは詳しくありませんが、寿司職人の元にマグロが届きませんでした。どうしても赤身が手に入らない…

すると客が「脂身」なら捨てるほどあるんじゃないか?

そう言います。

寿司職人は脂身は捨てる物ですよ…と拒みますが開店休業ではどうしようもないのでその通りに脂身を仕入れます。


そして寿司を握り、言い出しっぺの酔狂な客に出しました。

すると。


「こりゃあ捨てる物じゃないよ。トロっと溶けちまった。旨い」

それが口火となりトロっと溶ける脂身は「トロ」となり、今では寿司の王様になっています。


トロは不況や不漁により発掘された美食ですね。



森鴎外の白米主義


明治の作家の森鴎外が軍医であった…そう言われると驚かれると思います。

ですが本名森林太郎は陸軍軍医として病と戦ってもいました。

その中でも「江戸患い」と呼ばれた病が軍にも蔓延します。

江戸患いとは脚気の事です。

ですがたかが脚気では有りません。末期ですと心臓が止まります。人が死ぬ病です。

病と申しますが、正確には栄養失調の一つです。


森鴎外の他にも軍医は居ます。軍医達が話し合い、江戸患いは江戸から離れれば治ると言う。それは食事が変わるからではないか?そう提起されます。


江戸時代の江戸っ子の食事は今と比べると凄かったです。一人白米五合は食べて、副菜は米の友の様な漬物や納豆が多く、白米はご馳走。白米至上主義でした。


軍医の幾らかはそれが原因であると睨み、軍制も海外に倣っているのだから軍でもパンを食べるのがいいのでは…と話します。


それに強硬に反対したのが森鴎外です。


皇軍が高等食の白米を止めれば指揮が落ちる。他に原因が有る筈であるから白米を食べるべし。


森鴎外は位の高い軍人でしたから誰も逆らえず陸軍は白米のままです。


海軍は指揮系統が違いましたから、意見の違う軍医が海軍にはパン…もしくは麦飯を出すように働きかけます。


すると日露戦争では陸軍は脚気の為に機能不全を起こします。


ですが海軍はパン…パンの苦手な将兵にも麦飯を支給していたので脚気にはならず帝政ロシアのバルチック艦隊との海戦でも立ち働きました。


陸軍はその話を聞き、遅ればせながら麦飯を取り入れて立て直しをはかりました。


では森鴎外が悪いのか?


違うと思います。森鴎外は細菌学にも詳しく、生水の飲用を避けさせたり、野戦病院の運営にも尽力します。

森鴎外が白米を推したのは、白米は依然として「ご馳走」だったからです。

明治の軍隊は徴兵制で、民間人を訓練して兵力にしていました。

ですから極貧の地域から徴兵で来た兵隊が「白米とはこんなに旨いのか」そう言ったそうです。

日本は米作りをしていたにも関わらず、江戸町民は白米をご馳走として抱えて食べ、地方は税で米を取られて白米を食べた事の無い人が多数だったのです。

昭和の時代でも変わらず、兵隊になれば白米が食える!と評判だったそうです。

それに当の兵隊達が脚気予防に麦飯の支給をしますと、「麦飯より銀シャリ」と言いますし…


森鴎外は戦争に赴く兵隊に「ご馳走」を食べさせたかっただけだと思います。


これも極貧の時代の話です。



今の世の中ですと、白米なんて「当たり前」。

逆に健康志向で「雑穀米」が売られています。


本当に当たり前なのでしょうか?

今でも白米を安く買い、主食として副菜を減らして食べたりして「新型栄養失調」になる人も居ます。


今は高度経済成長期でもなければ緩やかに苦しみに向かう時代。


何故「白米」は安いのか?

何故農家に「減反政策」を迫るのか?



食事一つとっても今が危機的状況である事が分かるかと思います。

「考えすぎ」と言われるかもしれませんが、何故この「食品」が?と言う様な物が安価に売られている時代。

表は安く飽食の時代。


では…「裏」は?



勘ぐってしまうのは悪癖でしょうかね。


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