第29話 米の飯

 慎也の自宅は純日本建築で、この地方独特の『高屋敷たかやしき』という建て方になっている。

 周りを川に囲まれた「輪中地帯」であり、水害の非常に多い地域であった。

 そこで、屋敷の敷地ごと、盛り土と石垣で高くしてあるのだ。


 石段を上がって瓦屋根の立派な門があり、潜ると「カド」と呼ばれる広場。

 正面奥に母屋おもや、向かって右に離れと外便所。

 左に庭で、左奥には、さらに石垣で高くなった『水屋みずや』と呼ばれる建物がある。水屋は洪水の際の避難場所だ。


 もちろん、これは地主や裕福な家の建て方であり、この地方の家全てがこういう造りになっている訳ではない。

 当然、豪邸の部類。

 その中でも、この高屋敷は格段に大きいモノだ。

 慎也一人には大き過ぎて、使いづらいこと、この上ないのだが、譲られたものであり、仕方ない。


 母屋は二階建て。

 二階は倉庫のようになっていて、箪笥たんすやら長持ながもちやらが置かれている。

 一階は広い座敷で、先代の時は神社の会議や宴会用に使われていたようだ。

今はそのような機会もほとんど無く、普段は使用していない。


 水屋は、一般的には食料などを備蓄する倉庫になっていることが多い。

 だが、慎也のところのは、通常サイズよりも、かなり大きい。

倉庫機能もあるが、一階半分は居室にも使えるようになっていて、便所も併設。

二階は書庫・居室になっている。

 ただ、敷地一番奥だし、高くなっている分、階段もある。面倒なので、ここも普段使用していない。


 慎也が主に使っているのは「離れ」である。

 門から一番近い位置にあり、こちらも二階建て。

本来は納屋を兼ねた住居建物で、一階は作業場や農機具倉庫であったり、昔であれば農耕に使う牛を飼っていたりもするところだ。

 しかし、慎也が受け継いだ時には、内部がきれいに改装されていて、普通の住居になっていた。

 新しい風呂もある。(元々の五右衛門風呂は母屋に付属して現存。)

 本来は外にしか無いはずの便所も中に作られ、しかも洗浄機付きだ。


 晩年の大叔父は神社の社務所で寝起きしていて、自宅は会議用にしか使っていなかった。慎也も高校時代は社務所で生活していたのだ。

 だが、慎也が跡を継ぐのだからということで、彼の大学在学中に大叔父が離れを改装しておいてくれたのだった。



 台所は母屋の右奥張り出し部分。この部分で、離れと母屋がつながっている。

 元は土間になっていて、かまどが設置してあった。

今は改装で、半分板間、半分土間となり、竈は以前のまま使える。


 慎也たちは離れの玄関から入って、台所へ行った。


「面倒だけど、竈の方が美味しく早く炊けるから、久しぶりに使ってみるかな」


 慎也は、毎日竈でご飯を炊いていたのではない。

一人分だと面倒だし、炊飯器であれば、そのまま保温もできる。だから、竈で炊くのは、気が向いたときだけだ。

 それでも、たまに使っていたのは、やはり、美味しいから。

 そして、その美味しい御飯を、舞衣たちにも食べさせたかったのだ。


 米をぎ、研いだ米を水に浸けておいて、竈の準備を始める。


「すご~い。私、こんなの初めて見る!」


 舞衣は興味津々である。

舞衣の実家も長野の超田舎だが、竃は使っていなく、炊飯器だった。

 まあ、それが普通だが…。


 祥子も珍しそうに見ている。祥子は平安時代ぶりのことだ。

 しかも、貴族の出身であり、自分で米を炊いたことは無い。

 また、その時代は主に蒸した『強飯こわいい』、つまり、おこわのはずだ。


 神社で拾って来て溜めてある杉葉や松葉を入れ、細枝をその上に乗せる。

 かまを洗い、竃に設置。水に浸けてあった米を入れ、掌を米の上に乗せて水を入れ、水加減を調節する。

 木の蓋をし、竃の焚口から中の葉にマッチで火をつけた。


「な、なんじゃ、その不思議な木は!」


 驚く祥子を、不思議そうにみる舞衣。


 そう、祥子はマッチを知らない。当然、ライターも。

そんなものは、平安時代には無かった。

 仙界では木を摩擦して火を起こし、そのきに灰をかぶせて消さないようにして使っていた。その都度、摩擦で火を起こすのは大変だからだ。


 慎也が火を付けている間に舞衣からマッチやライターの説明をうけ、祥子はしきりに感心している。


 舞衣の方は、慎也の手際に感心していた。

本当に手馴れている。そういえば、サバイバル的なことが好きと言っていたのを思い出した。


「あ、あの、調理中すまぬが、かわやはどこかの?」


 祥子がモジモジしていた。いつから我慢していたのか…。

 慎也は火加減を見ているので、動けない。


「その廊下を少し行って左だよ。『お手洗い』って書いてあるから。

 舞衣さん、一緒に行ってあげて」


「はい」


 舞衣は、慎也が指さした廊下を祥子と一緒に進む。

探すまでも無く、すぐに見つかった。

 しかし、祥子は扉を開けて、一瞬固まった。


「なんじゃ、これは?」


「えっ?」


 舞衣は不審に思って、中をのぞき込んだ。

が、普通のトイレである。洋式の…。


 そうなのだ。祥子は洋式トイレも知らないのだ。


「蓋を上げて、こちら向きに坐ってするのですよ」


「坐ってするのか。なんとも奇妙なモノだのう」


 祥子は、戸惑いながら、いきなり袴をまくり上げた。


「ちょ、ちょっと待って! まだ扉、開いてる!」


 舞衣はあわてて外へ出て、扉を閉めた。


(別に構わぬのに…)


 祥子は、首をかしげ、袴をまくったまま。

 そして、舞衣に言われたように、便器に坐る。


(おや、温かい…)


「終わったら、右側にあったボタン押してくださいね」


 外からの舞衣の呼びかけに、祥子は右の壁を見た。

 四角い箱がある。それには、いくつかのボタン。

 用は足し終わる。が……。


(どれのことじゃ…。

ビデ? おしり? ワイドビデ? おしりソフト?

なんのことやら?)


 ビデというのは正体不明なので、とりあえず『おしり』を押してみた。

 後ろ下の方で、変な音がする。

 そして、肛門に温かい感触。


「ひえ~!」


 突然の祥子の悲鳴に、舞衣は再びあわてた。


「な、なに?どうしたの? 開けますよ!」


 扉を開けると、なんとも珍妙な表情の祥子が坐っていた。


「こ、これはなんじゃ~。尻の穴に温かい水が~」


 思わず吹き出しながら、舞衣は謝った。


「ご、ごめんなさい。祥子さんったら、開けたまま、いきなりしようとするから、詳しく説明できなかったの…」


 洗浄機がどういうものか、舞衣の説明を受け、舞衣が扉を閉めてから改めて操作した。


(なんとも奇妙なものじゃが、これは結構気持ち良いぞ…。恍惚……)


 満足して便所から出た。


「祥子さん、ちゃんと流しました?」


 舞衣は中をのぞき込む。


「あ~、流してない!

説明したでしょう。終わったら流す。蓋は閉める。

それから、扉を開けたまま用を足さない。

マナーですから、守ってくださいよ!」


「なんとも、いろいろ難しいのじゃな、今のかわやは……」


 祥子は、溜息ためいきをついた。




 まきでご飯を炊くのは、そんなには時間がかからない。火力が強いからだ。

 但し、蒸らしの時間があるので、その間に味噌汁の準備をする。


 慎也が田のあぜに行って取ってきたせりを、祥子が洗って刻む。

 こういった作業は、祥子は得意だ。何しろ千年間一人で調理もしていたのだ。

ただ、仙界と、こちらでは野菜が違う。

 祥子にとっては、芹も珍しい物だ。


 味噌汁の調理には、ガスを使った。


 ガスの火が付くのを見て、また祥子は驚いた。

 彼女にとっては初めてのモノばかり。

 仙界から宝珠を使って、こちらの世界のことを色々見てきている。だから、自動車や電車、それに飛行機のことも知っていた。

 しかし、日常、普通に現在人が使っている物でも知らないことだらけ。

知っていても、実物を見るのは初めて。

 驚くことばかりのはずだ。


 昨日こちらへ先に戻り、外に出なかったのは、一人で外へ行くのが怖かったからだった。



 味噌汁用の出汁を取り、祥子が刻んだ芹をたっぷり入れる。

 …芹の良い香り。


 一ヶ月留守にした後のことで、他に使える食材がない。とりあえず、今日の具は芹のみだ。

 ちなみに、慎也が飼っていた鳥小屋の鶏は、可哀想に餓死してしまっていた。

誰も面倒見てくれるものが居なかったから、仕方ない…。


 味噌汁に使う味噌は、慎也自家製。中部地方独特の、色の濃い豆味噌。

 …蒸した大豆を潰しておにぎり状に丸め、藁で編んで軒に吊るしてカビ付けをする。それを砕き、塩と水で漬けるという、昔ながらの本格的な作り方だ。

 仕込んで浅いとカビ臭いので、三年くらい経たないといけない。


 味噌を溶くのも慎也。

 手際よく進めて行く。


 祥子は、慎也のすることから目を離さない。

 多分、祥子は慎也のしている調理を、すぐ覚えてしまうだろう。


 その慎也と祥子を、少し離れて眺めていた舞衣は思った。


(ご飯の用意は、今後、この二人に任せることにしよう)


 実は、彼女は、料理が大の苦手だったのだ。

 下手に作ってボロを出しても詰まらない。得意なことは、得意な人たちにしてもらうのが一番だ。


 味噌汁ができ、梅干しも用意された。梅干しも、庭の梅を採って漬けたもの。

 蒸らし終わったご飯を、茶わんに大盛りにする。

 味噌汁も、お椀に。


「いただきます」


 祥子はすぐに箸を取り、ご飯を頬張った。


「なんとも美味じゃ~!

こんな味だったかのう? とてつもない旨さじゃ」


 舞衣は、味噌汁をまず一口。


「うわ、芹の香り、すごい! 私、芹のお味噌汁なんて初めて!

それに、この味噌も、色が濃いけど美味しい!」


 慎也は笑いながら梅干しをご飯に乗せ、食べた。


 おかずも無い、ご飯と味噌汁と梅干だけという質素な食事であったが、六合炊いたご飯は、あっという間になくなってしまった。

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