第30話 氏子総代、田中実

 食事と片付け(一ヶ月分の掃除も含めて)が終わったのが正午前。

 外で、誰かが呼ぶ声がした。


「宮司さん、おるかえ?」


「はーい」


 慎也が返事して離れの戸を開けると。小柄な老人が立っていた。


「お~、帰っとったか。しばらく見なんだで、心配しとった。

孫が、きんのう(昨日)神社にあかりついとったと言うとったで、見に来たわ」


(昨日神社にあかり? 祥子さんか…)


 どうやら、照明のつけ方は知っていたようだ。


「ごめんなさい。ちょっと訳ありで、一ヶ月留守にしてました。もう大丈夫です」


 この老人は奈来早神社の氏子総代をしている、田中実という。

 先代宮司の頃から役に就いていて、「お一人様」慎也が関りを持つ数少ない人物の一人だ。

近所に住んでいるが、宮司がいなくなってしまい、心配していたのだ。


 慎也は、舞衣のことを話そうか、少し迷った。が、やはり話さないという訳には行かないだろう。

様子を見に来ただけという田中老人を引き止め、舞衣を呼んだ。


「すいません。俺、この人と結婚することになりました」


「はあ? へ? ああ!! …いやあ、びっくらこいたわ、こりゃあ。

あんた、テレビ出とる人やろがな」


 田中老人は、目をいた。

 テレビ画面で見たことある顔。それも飛び切りの超絶美人。


「え~と、今のところ、高橋舞衣です。

明日から川村舞衣になります。宜しくお願いします」


 慎也は、田中を舞衣に紹介する。


「こちらは、氏子総代の田中さん。

氏子総代ってのは、簡単に言えば、神社の役員さん」


「お世話になります。これから宜しくお願いします」


 再度丁寧に頭を下げる舞衣に、田中が恐縮して、慌ててお辞儀を返した。


「こんなことになりまして、色々ありまして神社を留守にしてました」


 慎也の言い訳に、何度もうなずく田中。納得してくれたようだ。


「しかし、これは、あらけない(とんでもない)ことになった。芸能人が宮司婦人とは!

どえらい騒ぎになるぞな」


「それで、明日入籍しますので、もしよろしければ、婚姻届の保証人をお願いできないかと…」


「おお、もちろん。儂で良けりゃあ。

あ、その代わり言うたらなんやけど、色紙持ってくるで、サインもらえんかなあ…」


 舞衣は驚き、首をかしげた。


「あ、あの、私の、ですか? いくらでも書きますけど…」


「おお、すまんなあ。

実は孫が大ファンでな。あんたが居らんくなって、自殺がどうのとテレビで言っとったでな。えらい心配しとったんや。

まさか、この神社に来てくれるとは」


 田中の孫は、美雪という。

 高校一年生だが、とても高校生には見えない童顔幼児体型の可愛らしい女の子だ。

 若いのに珍しく、よく神社にお参りに来るのは、祖父の影響によるものか…。

掃除している慎也に、気軽に挨拶したり話しかけてきたりしてくれる、稀有けうな存在である。

 但し、社交性ゼロの慎也の方から話しかけることは無い。よって、彼女が舞衣のファンというのも、慎也は全く知らなかった。


 田中は、これで用件は済んだと、出て行こうとする。

 急いでいるのは、美雪に早く知らせたいのだろう。今日と明日は学校行事の関係で、美雪は午前中のみの授業なのだ。もうすぐ帰宅するはずである。


 しかし、そこへ余計なモノが顔を出してしまった。


「ワラワは、紹介してもらえぬのかの……」


 慎也は頭を抱えた。

話がややこしくなるから、出てきてほしく無かった…。


「おや、もう一人、どえらい美人さんやがな」


「ワラワは祥子と申す。慎也殿の妾じゃ。よろしゅう」


「は? 妾?」


 固まる田中。そして、慎也と舞衣も。


(そんなストレートな表現をしなくても…)


「なんや、色々とは、その修羅場か……」


 ………。


「ち、違う、違う。誤解です!

事情があって彼女も一緒に暮らしますが、修羅場なんてありませんからね。

私たち、とっても仲良しです!」


 舞衣は大慌てで祥子の手を取って、ブンブン振って見せた。

 田中はポリポリ頭を掻いた。


「よう分からんが、奥方公認であって、一緒に暮らすんやな。お妾さんとも」


 慎也と舞衣は、がっくり項垂うなだれた。

 祥子は、訳が分からないといった顔だ。


(まずい…。これはまずい!)


 田中は、見た目は飄々とした老人だが、地元の名士であり、彼が黒と言えば、白も黒となる実力者だ。

 田中の機嫌を損なえば、慎也の宮司としての立場が危うくなるのだ。


「まあ、三人が納得しとるんなら、ええんと違うか?

あの先代の跡継ぎやし」


「はあ?」


 田中の口から出た言葉は、思いもかけないものだった。


「いやあ、先代も若いころは、周りに女たくさん侍らしとって有名やったからの。

年寄りは、みんな知っとることや」


「はい?」


 尊敬する、あの穏やかな大叔父が…。

 晩年は一人で静かに暮らしていたのに…。


 慎也は、全く初耳だった……。

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