第11話
深く眠りに入っていたはずなのに、不意に目が覚めた。
視界も眠りこけていたとは思えない程くっきりしている。こんなに目覚めが良いのは久しぶりだった。
どうしてだろうと起き上がる時、ずきりと頭が痛んだ。
あまりの痛みに眩暈がして、俺は頭を押さえた。
薄ぼんやりとした記憶の中に、大麻を吸いながらウォッカを流し込む男の姿が見えた。
どうやら間抜けは見つかったようだ。
俺はずきずき痛むこめかみを押さえ、顔を顰めた。
だからあれほど薬とアルコールの同時服用は止めろと言ったんだ。
俺は間抜けに向かって何度言ったか分からない忠告を吐いた。
でも仕方がない。俺は自己弁護した。
犬は糞を食うのを止められないし、虫は光に吸い寄せられるのを止められない。人類は何かを壊すことを止められないし、俺は薬と酒を止めることが出来ない。
結局のところ、止められないものはどうやったって止める事はできないのだ。
真理を導き出した俺はすっかり落ち着き、そしてある程度頭の痛みが治まってくるとすぐ横で寝息が聞こえた。
振り返ってみると、俺と同い年か少し下くらいの女が素っ裸で布団にくるまって眠っていた。
俺は目をしばたいた。
何故ならまるで身に覚えが無かったからだ。
薬と酒のオーバードーズで完全に記憶が吹き飛んでいた男に、事情聴取する事は難しい。
そいつの証言の支離滅裂さに警察は黙って首を振り、医者は匙を投げるだろう。監察医は硬化した胃を見て驚きに目を丸くし、葬儀屋は小躍りする。
周りを見渡して何かしら思い出せるような証拠を探してみるけど、脱ぎ散らかした俺と女の服と荷物くらいしか無かった。
試しに女の荷物をあさって見たりしたけど、やっぱり何も思い出せなかった。
女のスマホのパスワードを開けて検索履歴とか見ながら途方に暮れていると、また頭がずきずきと痛み出した。
二日酔いが痛い。うっとおしい。これじゃ考えられるもんも考えられねぇ。
俺はスマホを消して女のカバンの中に戻すと、姿勢を整えて息を吸った。
「スゥー…フゥ!」
奈落呼吸。一吸いでその者の戦闘能力を何倍にも高める最強の呼吸。もちろん肉体の回復速度も上がるから、二日酔いやバッドトリップなんかにもてき面に効く。
一吸いで体内に残留する薬とアルコールが浄化され、エネルギーに変換されて俺に同化する。
その後数呼吸でぽっかりと空いた空白地帯に失われた記憶が流入してきた。
そうだ「降り止まぬ湿原」でボスを粉微塵にしてクリアした後、遥と一緒に静岡にある居酒屋を何件もはしごしたんだ。
で、べろべろに酔った俺たちは現地解散する事になった。遥はそのまま家まで直行したけど、俺はというと酒で元気いっぱいになったあっちの方を静めるためにどっかヤれそうな女はいないか探し回っていた。
でもどこへ行ってもやれそうな女なんて転がってなくて、いっそソープにでも行くかって事を公園のベンチで考えている時に、こいつを見つけたわけだ。
俺は素っ裸で眠りこける女の尻をぺちんと叩いた。
こいつは真夜中のベンチで何をするまでもなくただ俯いてじっとしていた。
傍らには学生カバンが置いてあって、開けられたカバンからはナイフの柄がはみ出ていた。
女子学生。一人。はみ出たナイフ。そして女の放つ辛気臭い空気。
俺は一目見て分かった。こいつはヤれるぞってな。
そうと分かれば話が速い。俺はすぐさま近づいて行き、弾む心を押さえつけて女に話しかけた。
声を掛けられた女はびくりと体を震わせ、恐る恐るといった調子で顔を上げて、話しかけてきた俺の事を見た。
女の顔はなかなか整っていて、その上かなり騙されやすそうな印象を受けた。
これは失敗は許されんな。というかこんな奴を丸め込めないようじゃこの先女なんてひっかけられないぜ。
俺は是が非でもやってやると再度心に誓った。
『私、死にたいの…お願いだから放っておいてよ』
開口一番、女はそう言った。私は悲劇のヒロインと思い込んだバカ特有のお決まりの台詞。
俺は鼻で笑いたい衝動を抑え込み、人の良さそうな笑みを張り付けて、鞄を俺の隣に移して女の隣へと座った。
『おいおい、早まるなよ。悩みがあるなら聞くぜ』
『いらない。…これから死ぬのに、どうしてあなたにそんな事を話さないといけないの?』
『まあまあそう固くなりなさんな。それに、もし死ぬとしてもどうせなら未練を消し去ってから死んだ方が良いじゃない?』
俺の言葉に女は黙り込んで俯き、それからぽつりぽつりと語りだした。
女の話はこうだ。
晴れて高校へ入学したは良いものの、周りに知り合いが誰もおらず、その上元々引っ込み思案なのもあって完全に高校デビューを失敗してしまったらしい。
それが原因で元から曲がっていた性根がさらにひん曲がり、家族との折り合いも悪くなっていった。
耐えられなくなったこいつはついに学校をサボり、家にも帰らず一日中うろうろしていたという。
ナイフの事を聞いてみると、こいつが普段使っている武器であると教えてくれた。
『この世界に私なんて必要ないの!』
女はいきなり立ち上がると鞄からナイフを引き抜き、自らの首へと押し当てた。
『(そりゃそうだろうな)いや俺はお前さんを必要としてるぜ?』
光の無い目からボロボロと涙を流す女を内心気味悪がりながら、俺はいけしゃあしゃあとそんな事をほざく。
『嘘よ!』
『本当さ』
『私の事、好き?』
『勿論さ。愛してるぜベイビー』
脈絡もなく突然そんな事を言い出す女によくもまあ淀みなくそんな即答できたものだと、俺は自らの機転の良さに感動すら覚えた。
『嬉しい!』
そう言って女は俺に飛び込んできた。
俺は優しく抱きとめてやり、適当に慰めながら近くのホテルにこいつを連れ込むことに成功した。
それしにしてもこいつは喘ぎ声が尋常じゃ無くうるさかったな。本当に初めてなのか?誰とでもこういう事ヤってたんじゃなかろうか?
女との行為を思い出しながら、俺はしみじみそう思った。
もしそうならこいつはとんでもないアバズレだし、俺はとんでもない間抜けという事になるのだが…。
まあ考えたところで仕方がない。
俺は首を振って考えを打ち切った。
例えこいつがヤリマンの糞ビッチだろうが、蛆の湧いたメンヘラだろうが、俺はヤれれば問題ない。
どうせ一夜限りの関係なのだ。そいつが何を悩んでいようが、どんなものを抱えていようがどうでもいい。
そうとも。行きずりの女の事など知った事か。
女から目を外し、壁に掛けられたデジタル時計に目を向ける。
時刻は8時を少し回った所だった。
「……」
どれだけ心地よく寝られようが、しこたまぶちのめされて気絶していようが、否応なく一日は始まる。
時間は誰に対しても平等で、同じように誰に対しても無慈悲だった。
迷宮を夢見て健やかに眠る子供にも、悪い男に誑し込まれて処女を散らした女にも、アルコールとドラッグが抜け落ちて虚脱感に襲われる男にも。
窓から差し込む朝日が眩しい。俺は手で腕で目を庇う。
太陽は善の象徴。希望の証。朝日で目が眩むのは俺が薄汚れた屑だからなのか、それとも太陽の奴が真面目に生きろとでも催促してるのか。
どちらにせよ、なんだか自分が後ろ暗い事をしているような気分になってきた。
俺は服を着て、女を置いて逃げるように部屋を出た。
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