第五話 義妹嫁騎士と夕刻の街
西の空に輝く太陽が、町並みを赤く照らし出している。道路は帰路につく労働者や子供たちに溢れ、昼頃以上に混雑していた。そんなうんざりするような雑踏の中を、私とアンネは騎馬の背に跨がりトボトボと進む。
目的地である車輪花火亭は、中心街から南にしばし進んだ先にあるダウンタウン区画にあるのだという。普段ならば徒歩でも一時間ほどでたどり着ける距離なのだが……。
「はぁ、やれやれ。この調子じゃあ間に合いそうにないわね」
目をしょぼしょぼとさせつつ、私はため息交じりにぼやく。事故対応やら渋滞やらに巻き込まれた結果、気付けばこんな時間になっていた。
本当ならば、とうに仕事を終え帰宅している頃合いなのに。しかし、現実にはまだ車輪花火亭にすらたどり着いていないのである。
これでは、とてもじゃないが夕食までに駐屯地に戻れそうにない「お母さん、またなの!?」なんてなじる娘の声が自然と脳裏によぎり、二度目のため息が漏れる。
なんかあの子、私よりロッテに懐いてるフシがあるのよねえ。仕事で忙しい私の代わりにロッテが面倒を見ていた時期が長いから、それも仕方のないことなのかもしれないけれど……やはり、母親としてはどうにもフクザツな気分なのよね。
「間に合わないって、なにがさ」
ノンキな声で聞いてくるアンネに、思わず眉間にしわが寄る。独り者にこういう危機感は理解できないでしょうねえ……。
「開店よ、開店。仕事の最中に事情聴取するなんて、邪魔以外のなにものでもないでしょ。だから営業を始めるまえにこっちの仕事を終わらせて起きたかったんだけどね」
もちろん、そんな正直な気持ちを口にするような真似はしない。言ったところで自虐風自慢と思われるだけだからね。事前に用意しておいた言い訳を並べてから、小さく肩をすくめる。
ちなみにだが、別に嘘を吐いているわけではない。軍人としては、出来るだけ市民の生活に与える悪影響は少なくしておきたいしね。
「なぁに言ってんだ。ほんの数日前に店内で死者が出たばっかりなんだぞ? 営業なんてしてるワケねーだろうが」
ところが、そんな私の配慮に対しアンネは露骨な嘲笑をぶつけて来やがった。コンビを組んでもうずいぶんと経つけど、こいつのこういう部分は大昔からぜんぜん変わっていない。
「あっ……そっかぁ……」
しかし言われてみたらその通りである。私は思わず赤面し、頬を掻いた。実戦下の軍人じゃあるまいに、人死にがあったばかりの場所で酒を飲みたがるような人間なんてそういないだろう。後片付けなんかもあるだろうし、ほとぼりが冷めるまでは店は閉めておくってのが普通の対応か。
「まぁ見てな。賭けたっていいが、くだんの酒場は閉まってるはずだぜ」
アンネの自信ありげな言葉は、十分後現実のものとなった。下町の片隅、薄暗い裏路地に面したその小さな酒場の出入り口には、『閉店中』と書かれた札が下げられている。
「ふーむ……たしか、警部殿の話じゃ店主は店に住み込みだって話よね」
せっかくここまでやってきたのに、参考人が不在では骨折り損のくたびれもうけだ。念押しするように確認すると、アンネは「らしいな」と頷く。
「まっ、仕事中じゃなくとも飯前にやってくる客なんざ鬱陶しいだけだろうが……さっさと話を聞いて、日が暮れるまえにお暇することにしようぜ」
そう言ってから、アンネは店の扉に手をかけた。しかし、そこで動きが止まる。彼女は不審そうな表情を浮かべ、ドアノブから手を離すと扉に耳を当てた。
「……どうしたの?」
「なんか、声が聞こえる。一人じゃないな……最低四、五人はいそうだ。なんか酔っ払ってるふうだぞ」
「えっ」
どういうこと? 困惑しつつ、扉にかけられた札にもう一度目をやる。やはり、『閉店中』と書かれていた。見間違いではないようね。
「ねえ……その声、もしかしてだけどさ……エルフ訛りだったりする?」
「……する」
かじりついたリンゴにイモムシが入っていたような表情で、アンネは肯定した。
「エルフだぞ、中で騒いでるの」
「あちゃあ」
猛烈に嫌な予感がする。表情を見るに、アンネも同じ感想を抱いている様子だった。なぜ、閉まっているはずの店にエルフの酔客がいるのだろうか? 理由は分からないが、とにかく普通ではないのは確かだ。
「なんかもう帰りたくなってきたな。明日にしないか? 事情聴取」
「同感だけど、そういうわけにもいかないでしょ。仕事だし」
いまさら帰ったところで夕飯には間に合わないだろうし。心の中でそう付け加えてから、私はアンネを押しのけ扉の前に立った。こほんと咳払いをしてから、その薄い戸板をノックした。
店内のざわめきが一瞬止まり、ややあってどすどすという足音が近づいてくる。ドアが開くと、中から現れたのは大柄なクマ獣人だった。
「どちらさまでしょう? お客さんでしたら、申し訳ないですが今日は休業日でして」
私よりも一回り年上と思わしきその女の顔には、人の良さそうな笑みが張り付いている。しかしその笑顔の仮面の下には、隠しきれない疲労とうんざりしたような感情が漏れ出していた。
「忙しいところにごめんなさい。私は連合帝国陸軍、近衛連隊のカリーナ・フォン・ディーゼル少佐よ」
「はあ……近衛の、少佐様」
彼女は面食らった様子で私とアンネを交互に見た。言うまでもないけど、二人とも軍の士官用制服である紺のスーツを着込んでいる。軍人以外が軍服を着用することは堅く禁じられているから、この服装自体が身分証明になるというわけだ。
ちなみに、なぜ本名を名乗らなかったのかと言えばブロンダンの名が重すぎるからである。なにしろ皇帝陛下と同じ姓だからね。こういう任務ではかなり使いづらいから、旧姓で通してるってわけ。
……ソニアお姉様やアデライドお姉様なら、旧姓でも正体がバレちゃうんでしょうけど。私は民間ではぜんぜん名前を知られてないからね。まあ問題は起こらない。悔しい話だけど……。
「ご丁寧にどうも。この店の店主、バローです」
深々とお辞儀をしてから、店主は困ったような様子で頬を掻く。
「で、そんなお偉いさんがうちみたいな場末の酒場になんのご用です? まさか、酒を引っかけにきたわけでもないでしょう」
「例の事件について、ちょっとお話を聞きにね」
後ろで騒いでいるエルフらしき連中に聞こえないよう声を潜め、そう答える。続けて、エルフ自決事件の管轄が警察から陸軍へと移ったことについて手短に説明した。
「何度も手間を取らせてごめんなさいね。ただ、やっぱり書類だけじゃ分からないことも多いから、直接お話を聞かせて貰えないかしら」
努めて丁寧な口調で頼み込む。命令ではなくお願いという形にしたのは、相手方の気持ちを慮ってのことだ。ただでさえ担当者の交代で面倒をかけているわけだから、ここで下手に偉ぶったりしたら口を閉ざされかねない。
「なるほど。それはまあ、こちらとしてはお断りする理由はないんですがね」
などといいつつも、店主の表情は優れない。だいぶ困っている様子だった。
「ただ……今は少し具合が悪い。ちょうど、当事者のエルフどもが来てるんです。休みだっつってんのに、弔いの酒だとかなんとか言って押し入ってきやがった。……あの物騒な連中の前で、あれこれお話するのは勘弁してほしいんですよ。何されるか分かったもんじゃないから」
「ハハァ、当事者ね」
やっぱりそう来たか。そんなことだろうと思ったわ。内心ため息を吐きつつも、私は心にもない笑顔を浮かべた。
「重要参考人が揃ってるってわけね? それはいい、一石二鳥ってやつよ。彼女らにも話を聞かせて貰いましょう」
もう、どうにでもなれ。そういう気分になりつつ、店主を押しのけ強引に店内へと足を踏み入れた。
◇◇◇アトガキ◇◇◇
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