第六話 義妹嫁騎士と安酒場

 ドアを開けて車輪花火亭の中に入ると、油の燃えるムッとするような臭気が私たちを出迎えた。店内はひどく薄汚れており、おまけに暗かった。光源は天井の梁からぶら下げられた小さな石油ランプひとつだけで、窓の鎧戸は完全に閉め切られていた。

 客が十人も入れば満杯になってしまうような手狭な部屋に、傷だらけの丸テーブルが二つとカウンター席が置かれている。床には食べかすやらゴミやらが掃除もされずに放置されており、まさに場末の安酒場といった風情だ。


「……」


 その丸テーブルのうちのひとつを、胡乱な女たちが占拠している。薄闇に溶けるような暗緑色のポンチョを羽織り、そしてそれと正反対の輝くような金髪の女ばかりが三人。間違いない、エルフだ。

 彼女らの目は、闖入者である私たちに向けられている。いかにも怪しげな相手を見るような目付きだ。閉店中の酒場を占拠して管を巻いているような連中にそんな目で見られるのはいささか心外である。


「ああ、いけませんよ軍人さん!」


 後ろから追いかけてきた店主が、私の肩を掴んだ。貴族相手になんとも不躾な態度だけど、その表情は本気でこちらを心配しているモノだった。


「相手はエルフですよ! お偉いさんだからって畏まるような殊勝な連中じゃございません。下手に近寄らない方が良い……」


 店主は私の耳元に口を寄せ、焦った様子でそう囁きかけてきた。うん、まあ、正論ね。私が少佐の立場にあるといっても、あのエルフどもはそんなことなんかまったく気にかけないでしょう。


「そんなことはよーく分かってるわ。でも、私の仕事はエルフ自殺事件の調査と解決だからね。目の前に当事者がいるというのなら、話を聞かないわけにはいかないでしょう?」


「そりゃ道理から言えばそうだが」


 腕組みをしつつ、アンネが唸る。表情から見て、彼女も店主と同意見のようだった。


「しかし、今回は護衛も連れてきてないんだ。機嫌を損ねて喧嘩にでもなったら事だぜ? 言っておくが、そんなことになったらアタシはお前を置いてさっさと逃げるからな」


「なんてひどい副官かしら。敵前逃亡罪で銃殺刑まったなしね」


「エルフから逃げたって恥じゃねえからよ」


 腕組みをしつつ、フンと息を吐くアンネ。冗談めかした口調だけど、どうも本気で言ってるっぽい。ま、コイツは実際にエルフに殺されかけた経験があるからなぁ……。


「ようするに、無策で突っ込むのはやめろってんだ。部下といえど、無謀な作戦に付き合う義理はないからな……。それとも何だ? 妙に自信満々に見えるが、もしかして秘策でもあるのか」


「ないわよそんなもの」


 私ははっきりと言い切った。お兄様じゃあるまいに、そんな急に名案なんか思い浮かぶはずがない。


「やっぱりかよ、チクショウ。そんなこったろうと思ったぜ」


 額に手を当て、深々とため息を吐くアンネ。そのオーバーアクションに、こちらを見ているエルフどもの目付きがますます訝しげなモノになる。


「でもね、アンネ。お兄様曰く、案ずるよりチェストするが易し。あれこれ考えたあげく機を逃すくらいなら当たって砕けた方がマシなのよ」


「この頭エルフ兄妹め……!」


 うめくアンネを尻目に、私は堂々とした足取りでエルフたちのもとへと歩み寄った。彼女らの冷たい視線が突き刺さり、思わず止まりそうになるが気合いで耐える。私のビビリは未だに直っていないけど、それを表に出さないすべは心得ていた。


「失礼、私は帝国陸軍のカリーナ少佐よ。ちょっとお時間を貰いたいんだけど、良いかしら?」


「兵隊が何の用じゃ」


 返ってきた言葉は甚だ非友好的なものだった。三人のエルフは、全員がなんとも複雑な表情をしながら私を眺めている。酒宴の邪魔をされた不満、怪しげな軍人に対する不信、それ以外にも何か思っていることがあるような、そんな顔だった。


「モダン肝練り――だったかしら。エルフたちの間で、そういう遊びが流行っているという噂があってね。調べてこいと命令されたのよ」


 下手に誤魔化さず、目的を正直に話す。こいつらの前で隠し事をするのは危険だ。彼女らは総じて直情的だけど、決して馬鹿なわけじゃない。下手に嘘をつけばすぐにバレるし、そうなると即座に刃傷沙汰に発展する可能性が高いだろう。


「またそン件か。ほんのこん間警吏に根掘り葉掘り聞かれたばっかいなんじゃが」


「らしいわね。ただ、命令があった以上私たちも調べないというわけにはいかなくて。まあ、宮仕えの悲哀って奴ね。本当に申し訳ないのだけれど、もう一度話を聞かせて貰えるかしら? 先輩殿」


 両手を合わせて頼み込んでから、ちらりと店主の方を見て「芋焼酎エルフ酒、ボトルで持ってきて」と注文する。

 そしてそのまま、カウンター席から椅子を引っ張り出し強引にエルフたちのたむろす丸テーブルの一角へ腰を下ろす。アンネも渋々といった様子でそれに続いた。


「先輩と来たか」


「そ、先輩。噂には聞いてるわ。あなたたち、もとリースベン軍なんでしょ。だったら、私たちの先輩で間違いないでしょう?」


「ま、こちとらお前はんらが生まるっ前から兵士をやっちょっじゃっでな。ははは、確かに先輩には違いなか」


「短命種にそげん呼ばれ方をすったぁ初めてじゃがな。ふん、まあよか」


「大層な階級章をぶら下げちょっ割には謙虚じゃらせんか。短命種にせん士官どもがわいんような奴ばっかいやったや、軍隊もまちっと過ごしやすかったんじゃが」


 エルフたちはガハガハと笑いながら頭を掻いたり酒杯を口に運んだりした。これまでの経験から、私は彼女らがおだてに弱いことを知っている。無知な警官どもよりはスムーズに聴取をする自信はあった。

 そこへ、陶器の大瓶を持った店主がやってくる。彼女は迷惑そうな表情を隠しもせずにエルフたちを見回してから、乱暴な手付きでテーブルの上に酒瓶と酒杯をドンと置く。

 ……客に対する態度とは思えないけど、まあ仕方のないことだろう。門前に閉店中の札が出ていたことからみても、このエルフたちが招かれざる客なのは想像に難くない。

 おそらく、有無を言わさず強引に入店してきてそのまま酒盛りを始めちゃったパターンだろう。エルフたちは平気でそういうことをする。……軍隊内部でもね。


「さて、さて。日も暮れてきたことだし、一杯貰いましょ」


 酒瓶と酒杯を手に取り、手酌で注ぐ。陶器の大瓶に張られたラベルには、火山を図案化したマークが描かれている。安くてウマイという評判でリースベンはおろか帝国全土で流行中している銘柄の芋焼酎エルフ酒だった。……ちなみに、これを作っているメーカーの筆頭株主はアデライドお姉様とダライヤ婆様だったりする。

 ま、今はそんなことなんてどうでも良いことだ。芋くさい透明な液体を陶器のカップに注ぎ、それからエルフたちの手元をちらりと見て中身の少なくなっている酒杯にお代わりを入れてやる。

 当然普段はここまでサービスはしないんだけど、今回はお兄様肝いりの任務だからね。接待のまねごとくらいはやってみる。


「おお、すまんすまん」


「わい、娘っ子ンくせに出来ちょっど。エルフん若造にせどもにも見習わせてやりたか」


「こう見えて娘もいる歳なんですけど」


「ケァーッ!!」


 控えめに言い返すと、三人のエルフたちは揃って奇声を上げテーブルの上に突っ伏した。


「どーせオイは百年処女やっど……」


「ええい、ガレアとん戦争ゆっさで婿取り出来ちょりゃ……」


「乱妨取りは軍規で禁止やったろうが。他ん誰ならともかく、若様ん軍で法を破っワケにはいかん……」


「あ、なんかスンマセン」


 既婚アピールは猛烈なマウントになる。失敗したなぁと思いつつ、頭を下げた。


「何やってんだお前はよ……あ、マスター。アタシには赤ワインをくれ。あと……腹が減ったな。なんか食えるモノある?」


 呆れつつ、追加注文を出すアンネ。あんたねぇ、ここは空気読んで芋焼酎エルフ酒を飲みなさいよ。


「燕麦粥ならありますが」


「……あいあい、じゃあそれ頼むわ」


 自由人を意図的に意識の外に追いやってから、私はコホンと咳払いをする。余計な事に気を取られていたら、いつまで経っても仕事が終わらない。


「お酒も行き渡ったことだし、そろそろ本題に入りましょうか」

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