第371話 ポンコツ宰相とロリババアエルフ

 私、アデライド・カスタニエは朦朧としていた。明々と燃えるオイルランプの光と、東の空に昇ってきたばかりの太陽の光が、混然一体となって会議室を照らしている。完全無欠の徹夜であった。


「ワシもなあ、別にオヌシらの事情がわからぬわけではないのじゃよ」


 体力不足の文官の身には徹夜はツライ。もう私の身体と頭はボロボロだった。にもかかわらず、対面に座る交渉相手は元気いっぱい。平常そのものの表情で香草茶を飲み、そんなことを言う。

 ダライヤ・リンド。蛮族・エルフの自称皇帝。ナメていた。完全にナメていたのだ、この女を。たかが辺境蛮族の酋長、そう思っていた。だが、現実は非常である。この妖精じみた容姿を持つ愛らしい童女は、私がいままで経験したどの交渉相手よりも老練で悪辣でタフだった。

 まず彼女は童女じみた容姿を巧みに使い、いかにももの知らずな田舎者を演じて私の油断を助長した。そして私が彼女を丸め込んでやろうと論を展開した時点で、恐ろしい反転攻勢が始まったのだ。


「金勘定に強い宰相閣下と、優秀な武人であるソニア殿が両輪となってこのリースベンを飛躍させる。結構結構、大変によろしい」


「そ、その通りだ」


 ダライヤの言葉に、私の隣に座ったカステヘルミが慌てて頷く。彼女とて王国屈指の大領邦を十年以上その手で差配してきた女だ。戦場での戦い方はもちろん、議場における戦い方も十分以上に心得ている。その彼女が、この童女一人に冷や汗をかきながら防戦一方になっているのだ。これは尋常な事態ではなかった。


「リースベンが富めば、とうぜんそれに吸収されているエルフたちの懐も潤うことになる。もう略奪などに手を出す必要はない。心穏やかに、己の生業に打ち込める時代が来るのだ。我らの結婚は、君たちエルフにとっても利が多いものとなるだろう」


 我々が目指しているのは、我ら三人でアルくんを独占することだ。いや、あの牛獣人の義妹やらプレヴォ家の当主やらがチョロチョロしているが、連中は脅威にならんので別にどうでも良い。

 いや正直私としては多少気に入らないのだが、カステヘルミやソニアはすっかり彼女らを我らの仲間に入れるつもりのようだし、アルくんも彼女らのことはそれなりに可愛がっているようだ。多少目こぼししてやるくらいの度量は、私にもある。

 まあ、それはさておき我ら三人のことである。私とソニアがそれぞれアルくんと結婚し、カステヘルミは非公式の愛人に。これが一番穏当かつ世間に対して言い訳の効く形であろう。ソニアは多少嫌そうな顔をしたが、一応既に三人の間ではこの一夫二妻+愛人方式が既定路線になっていた。


「それはわかる。ワシもわかるのじゃ。しかし、大半のエルフにはそれはわからん! 奴らにとって、己の財布の中身……いや今日日財布など持っているエルフはほとんどおらんが、それはさておき。……とにかく、財貨を増やすよりも己の名誉と誇りを重視するのが、エルフという生き物じゃ。利益でコントロールできる程度の相手であれば、ワシはこれほど苦労しておらん!」


 ところがこのエルフは、せっかくまとまったこの案の修正を要求してきた。私たちがアルくんと結婚するのは良い、だから自分たちもそれに参加させろ! そう言いたいらしい。

 実際、実益だけを考えればそういう形が一番良い、というのは事実だった。服属させた部族と領主が夫を共有する、というのはもう定番といっていいやり方だからな。恥知らずな言い方をすれば、竿姉妹となることで仲間意識を醸成する……そういう効果が見込まれる。

 だが、実益があると言っても私はそんなやり方はしたくなかった。蛮族風情に、愛する夫を褒賞品のように投げ渡してやれるものか! その上、このダライヤは己のみならずその弟子だというフェザリア・オルファンとかいうエルフまでアルくんとくっつけようとしているのだ。認められるはずがない。


「今の内は、まあ良い。ほとんどすべてのエルフは、アルベールに心服しておる。彼の言う事であればなんでも従うじゃろうから、統治はそう難しくは無かろう」


「だったら何の問題も……」


「問題は彼の死後じゃ。エルフにとって、短命種にせの一生など花が咲いてしぼむまでの時間のように短いものなのじゃよ。彼はあっという間に年老いて、死んでいく。そうなったら最後、エルフどもはまた再び好き勝手に動き出すぞ!」


「むぅ……」


 ソニアが顔を青くして唸った。すべてが終わってからリースベンにやってきた我々と違い、彼女はアルくんと共にエルフの内戦に参加している。エルフどもの気質に対する理解度は、我らの中で一番高いはずだ。その彼女が抗弁できずにいるのだから、ダライヤの語る未来はそれなりに現実味のある話なのだろうが……


「エルフを従えるために必要なのは、王だの皇帝だのといった地位ではない。武と勇、そして智じゃ。完成された戦士にこそ、エルフは尊敬を向ける。永きにわたりこの地を支配していた旧エルフェニア……つまりオルファン朝が失墜したのは、内戦に際して優れた戦士としての立ち振る舞いを見せることができなかったからじゃよ」


「……」


 私は無言で香草茶を飲んだ。この会議が始まってからすでに十数杯ぶんの香草茶が私の腹に流し込まれているので、もうすっかり腹の中がタプタプだ。しかし、飲まずにはいられない気分だったので仕方が無い。眠いし。

 だったら会議を切り上げてさっさと休め! という話なのだが、連日連夜このような有様なので出来ればこのあたりで決着を付けたいのである。子を成さぬ限り不老のエルフどもと違い、こちらは定命のアラサーなのだ。これ以上夜更かしを続けたら美容にたいへんな悪影響がある。腕力に自信がない分、せめて美の面では常に胸を張っていたいのだ、私は。


「ブロンダン家は、おそらくオヌシとアルベールの子が継ぐことになろう。しかし、果たして……その次世代のブロンダン卿に、エルフは従うかのぅ? ましてや、その孫ともなれば……。こういうことは言いたくないが、はっきり言って只人ヒュームは戦士には向かぬ種族じゃ。只人ヒュームがエルフの長になるのは、まず不可能じゃろう」


「……只人ヒュームが戦士に向かない、というのは確かだが」


 痛い所を突かれて、私は思わずうなった。私だって、子供の頃は名馬にまたがり戦場を縦横無尽に駆け巡る騎士に憧れたものだ。しかし、現実は甘くなかった。貧弱な只人ヒュームの身で、竜人ドラゴニュートや獣人に立ち向かうのは至難の技である。アルくんやその母デジレ殿などは例外中の例外であり、ほとんどの只人ヒュームにとって亜人は乗り越えることのできない壁として認識されているのだ。

 結局私自身もその壁は乗り越えられず、剣の修業は始めて半年で投げ出してしまった。辛い鍛錬には耐えられても、いくら修行したところで年下、かつ木剣すら握ったことの無い素人の竜人ドラゴニュート少女にすら勝てぬ現実には耐えられなかったのだ。


「エルフにはエルフの皇帝を立てねばならぬ。オヌシらは、そのエルフの皇帝を従えればよいのじゃ」


「理屈はわかる。私も、我が領地に住まう服属済みの蛮族どもはそうして統治しているからね……」


 ため息交じりに、カステヘルミが頷いた。


「だったら、その役割は貴方や……それから、フェザリア殿だったか? 彼女に任せるべきだろう。特に、そのフェザリア殿はもともとこの地を統治していた皇統の出身なのだろう? あえて、アルの種を分けてやる必要はないだろう」


「ええ、その通りです。自分の尻は、自分で拭くのが道理というもの。貴方たちエルフはアル様に頼り過ぎですよ」


 即座にソニアが母親を援護する。……会議は憂鬱だが、この光景を見られたことだけは喜ばしいな。この母娘が、一致団結している。なんとも素晴らしい。五年にわたって広がり続けた親子の溝は、共通の敵の出現により急速に埋まりつつあった。


「それが出来るなら百年間も内戦は続いておらん」


 ダライヤはぴしゃりといった。残念ながら、彼女は親子の絆だけで打倒できるほど甘い敵ではないのだ。


「もはや、オルファン皇家を主君と認めるものはもはやほとんどおらぬし、ワシも見ての通りお飾り皇帝じゃ。話にならん。アルベールの血を引く新たな子を、エルフの皇帝に据える……これが最適解じゃろう。エルフの世代交代は、短命種にせよりも遥かに長い。アルベールの子さえ居れば、エルフェニアは少なくとも数百年は安泰じゃよ」


 悲しい事に、私の理性はダライヤの発言を肯定していた。エルフが一筋縄ではいかぬ相手というのは、当のこの老エルフとの会議で身に染みて理解することができてしまっていた。こんな意固地で無駄に頭の回る生き物を直接統治するなど、勘弁願いたい。

 実際問題、ダライヤの言う通りアルくんにエルフとの子を作ってもらって、しっかりとした教育を施してエルフの長になってもらう……これが最適解なのである。ああ、なんということだ。私の頭では、このプランをひっくり返せるだけの対案は作れない。

 一番悪辣な部分は、ダライヤの計画と私の計画は、決して相反するものではないという部分だ。むしろエルフどもが長期にわたって大人しくなる分、相互補完しているとすら言える。ダライヤは巧妙に自分と我々の利害を一致させ、こちらの抵抗を削ぐ作戦に出ているわけだ。

 結局のところ、我らがダライヤの計画を受け入れられないのは、自分の男を他へ貸したくないという私心の部分に集約されてしまっているのだ。平民ならまだしも、貴族である以上は私心よりも公益を優先せねばならん。抗弁の声は、自然と小さくならざるを得なかった。まったく、なんと老練な手管であろうか。


「あはは……朝だなあ……」


 私はもうすっかり無気力な心地になって、開け放たれた窓の外へ視線を向けた。ああ、リースベンの日の出は綺麗だなぁ……。夜通しアルを寝床でいじめ続け、お互いに疲労困憊になって抱き合いながらこの朝日を見たいものだ……。


「あいてっ!」


 無言でソニアに尻をシバかれて、私は正気に返った。いかんいかん、無意識に現実逃避が始まっていた。慌てて、眠気覚ましにぬるい香草茶を一気に飲み干す。……入れた物はやがて出てくるのが自然の道理。押し出されるようにして、体の水分が下腹部に集まったような感覚を覚える。


「う……申し訳ない。小用だ」


 立ち上がった私を見て、ソニアもカステヘルミも何やら半分諦めたような表情を浮かべた。……ウン、本当に駄目かもわからんな、これ。この見た目だけ幼女のクソ婆に、勝てるビジョンがまったく湧いてこないんだが……。

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