第361話 くっころ男騎士の躊躇

 参った。大変に参った。ソニアとスオラハティ辺境伯が話し合いをしている天幕の外で、僕は頭を抱えていた。前世と現世を合算しても、ここまでどうしていいのやらわからない状況は初めてかもしれない。

 ソニアは僕のことが異性として好きで、辺境伯も僕のことが好き。親子で同じ相手を好きになってしまったら、そりゃあ大事になる。親子喧嘩もむべなるかなって感じだ。これが他人事ならば「うわあ大変だねえ」で済ませるところなのだが、残念ながら僕は完全に当事者だった。

 幼少期に家族同然に過ごした家庭が、僕のせいで崩壊しかかっている。だが、当の僕はほんの昨日までそんなこととはつゆ知らずボンヤリ過ごしていたのだ。僕は自分の腹をかっさばきたい気分になっていた。軍隊だの戦争だのに熱中するあまり足元が疎かになるのは、一度死んでも治らなかった僕の一番の悪癖である。


「うう~っ!」


 僕は頭を抱えたまま唸った。僕は、どうするべきなのだろうか? 辺境伯はすべて自分が解決すると言っているが、ここまで無責任な態度を貫いてきた僕が。最後まで傍観者を貫くというのはたいへんによろしくない。ほかならぬ僕自身が許せないのだ。

 だが、ではどうやればこの一件が解決するのかと言えば、まったくアイデアが湧いてこない。そもそも人生二周目のくせに恋愛事にはまったく関わってこなかった筋金入りの陰キャが僕だ。この手の問題に関しては、はっきりいって何の役にも立てないというのが現実だった。


「お兄様……大丈夫?」


 僕の前に座っていたカリーナが、気づかわしげな視線を僕に向ける。義妹の前で醜態をさらしていたことに今さら思い至った僕は、顔が真っ赤になった。


「……す、すまない、カリーナ。情けない所を見せた」


「そういう言葉が聞きたかったんじゃないけど……」


 カリーナはちょっと目をそらして、唇を尖らせる。そして視線を僕の方に戻すと、おずおずといった様子で口を開いた。


「その……軍隊のことならともかく、恋愛事とか家族のことなら、私でも相談に乗れるよ? あんまり、頼りにならないかもしれないけどさ……」


「いや、しかし……」


 僕は思わずうなった。これは僕とスオラハティ家の問題だ。カリーナを巻き込むのは、気が咎める。


「血は繋がってないとはいっても、家族なんだからさ。話せることは、なんでも話し合っておいた方がいいんじゃないかなって……」


 スオラハティ母娘の話し合いが続いている天幕の方をちらりと見てから、カリーナは言う。……確かに、あちらの家族は少し話し合いが足りていなかったように思う。むろん、事が事なので絶縁事件の直後に話し合いをするのは無理だっただろうが……お互い頭が冷えたタイミングで、一度面会をセッティングすべきだったかもしれないな。そうすれば、これほど拗れてしまうことはなかったかも……。

 ソニアにしろスオラハティ辺境伯にしろ、とても良い人たちだ。腹を割って話し合えば、必ずわかり合ってくれる……などというのははっきりいってお花畑思考だが、やってみる価値はあったはず。それをしなかったのは、僕が『時間は人間関係の特効薬』などとうそぶいて仲裁をサボっていたせいだ。


「……確かに、そうかも」


 よろしくない方へとどんどん進んでいく思考を断ち切り、僕はカリーナに頷いて見せた。実際問題、この問題が僕にとって荷が重いものであるのは確かであるわけだし。


「なあ、カリーナ……僕はどうするべきだったんだろうか? ソニアを強引に辺境伯のところへ引き摺って行って、無理やりにでも話し合いをさせるべきだったのかな……いや、しかしそれではかえって話がこじれた気もするし……」


「ねえお兄様。今さらそんなこと考えてるから、ドツボに嵌まるんだよ?」


 義妹の放った言葉は、予想以上に辛辣だった。思わず黙り込む僕に、カリーナは容赦ない追撃を仕掛けてくる。


「お兄様でも理解しやすい言葉で説明すると……今のお兄様は、部隊を布陣させて、敵の前衛部隊との戦闘もすでに始まっている。そういう状況で、決戦場の選択や部隊の陣形なんかを『ああすればよかった、こうすればよかった』と後悔しているようなものだよ。そりゃあ、あとから自分の行動を反省するのは大切だろうけど……今考えるべきことは、別にあるんじゃないかなって」


「……そりゃ、その通りだな。戦いが始まってしまった以上は、今ある手札でどう立ち回るか考えるほかない」


 僕は思わずうなってしまった。言われてみれば、確かにその状況でそんなことを悩んでいるようなヤツは愚将以外の何者でもない。勝利を掴むなど夢のまた夢だろう。


「不要不急の事がらに頭を使ってるから、思考がとっ散らかるんだよ。シンプルに考えよう」


「うん」


「要するに……お兄様の取れる選択肢は、今のところ三つ」


 ピンと立てた人差し指をクルクルと回しながら、カリーナは解説する。その態度は堂々としたもので、戦場でぴゃあぴゃあ鳴いている可愛い生き物と同一人物とはとても思えない。カリーナのヤツ、人間関係の問題に関しては僕よりよほど有能かも……。


「一つ、ソニア……お義姉様を選んでカステヘルミ様に泣いてもらう。二つ、カステヘルミ様を選んでソニアお義姉様に泣いてもらう。三つ、二人とも選んで全員ハッピーになる」


 うわあ、ソニアのことをお義姉様呼びしたぞコイツ!? もうソニアの嫁入りを確定事項だと思ってるのか……。いやまあ、冷静に考えてソニアの嫁入りも……それからアデライド宰しょ……アデライドの嫁入りも不可避さろうが。ここまでガチガチに退路を塞がれたら、僕の力じゃもうどうにもなんないだろ。


「二人とも選ぶってお前……」


「まあ聞いてよ、お兄様。いま、カステヘルミ様は一つ目の選択肢を選ぶべくお義姉様と交渉してる。でも、これはカステヘルミ様の本意じゃないってのは、わかるよね? 自分の幸せよりも娘の幸せを優先する、その一心で涙を飲もうとしてる」


「……そうだね」


 カリーナの言うとおりだった。いくら鈍感朴念仁の僕でも、辺境伯の態度を見れば流石に事情を理解できる。彼女の僕に対する情は、消えてなどいない。だが、辺境伯は娘のためにそれを振り切ろうとしているのである。


「個人的には、こういう悲恋じみた話ってキライ。私だったら、娘なんてお構いなしに略奪愛しちゃってるかも」


「骨肉の争い確定じゃないか!」


 親子間で異性を取り合い大喧嘩とか、シャレになんないだろ。そんなのに巻き込まれたら僕の胃袋は爆発四散確定だ。


「ま、それは冗談としても……カステヘルミ様は、とても暖かいお方だよ。異国人で異種族の私も、実の子供みたいに優しく扱ってくれてさ。……そんな方が泣かなきゃならないような結末は、絶対に嫌だよ」


「……うん。それは僕も同感だ」


「でも、お兄様はソニアお義姉様も泣かせるのはイヤでしょ? だったら、取れる選択肢は一つだけじゃない?」


「……僕に二股、いや三股……もしかして四股になるのか!? とにかく、そんな不義理な真似をしろって言ってるのか!?」


 アデライド宰相の求婚には、すでに頷いてしまっている。これに加えてスオラハティ母娘が二名。そして、ソニアの言葉が確かならば彼女と結婚するとジルベルトも一緒にやってくる。つまり、一夫四妻……! いくらなんでも流石にどうかと思うレベルのクソ野郎ムーブだろ。


「四股程度で済むかなあ……私も居るし」


 小声で何やら呟くカリーナに、「今なんて!?」と聞き返したが、彼女は無言で首を左右に振るばかりだった。


「本気で言ってるのか、それ。そんなことしていいわけないだろ? 母娘二人に手を出して……」


「手を出してるのは向こうだよ。頷くか、首を振るのかはお兄様次第だけど」


「いやしかしだな……二人同時ってのは、流石に。二兎を追う者は一兎をも得ず、なんてことわざもあるしさぁ……」


「甘ぁい、ですね。すごく、あまーい」


 困惑する僕の後ろで、そんな声がした。あわてて振り返ると……そこにいたのは見覚えのある巨大カマキリだった。ネェルである。


「ウワアアッ!?」


「ぴゃぁあああ!?」


 あまりのことに、僕らは同時に悲鳴を上げた。いつの間にか、真後ろにちょっとしたトラックくらいの大きさの生き物が忍び寄ってきていたのである。前兆らしい気配は、何もなかった。まるで忍者のような忍び足だ。


「二兎を追う者は一兎をも得ず? うふ、うふふ。面白い、ことわざ、ですね? 失笑、的な?」


 言葉通りひどく愉快そうな表情で、ネェルはくつくつとくぐもった笑い声をあげている。なにしろ全身が物騒な見た目のカマキリ虫人だから、その様子はめちゃくちゃコワイ。カリーナなど、今にも小便を漏らしそうな顔をしている。


「わ、笑いどころがよくわかんないんだけど」


「うふ、うふふ。だって、今の、ネェルは……やろうと思えば、アルベールくんも、カリーナちゃんも、狩れて、ましたよ? 一挙両得、的な。二兎とも、得ちゃえますね?」


 捕食者特有の眼つきで、ネェルは僕らを眺めまわす。カリーナは絶句しながらしめやかに失禁した。正直僕も漏らしそうだった。


「二兎を追う者は一兎をも得ず……うふふ。頑張っても、一兎しか、得られない、腕の悪い、ハンターの、言い訳……ですね。強ければ、二兎でも、三兎でも、どーんと来い、ですよ」


「い、いや……君ほどのハンターなら、そうかもしれないが」


 確かに、ネェルであれば逃げる兎の二羽や三羽くらい簡単に仕留められるだろう。いや、ウサギと言うか、人間でも同じことができるだろうが……。


「たまには、欲の皮を、突っ張らせた方が、上手くいくもの、ですよ。さっさと、行って、二人とも、仕留めてきなさい」


 ネェルはその死ぬほど物騒な形状の鎌で、スオラハティ母娘がいる天幕の方を指し示した。わあ、このカマキリ、全部事情を知ってるみたいだぞ。もしかして、最初から盗み聞きされてたのか……? 図体に比べて隠密性能が高すぎるだろ……。


「いや、しかし……」


「言い訳は、聞きません。あの、母娘を、仲直り、させるには、それが、一番です。……それに、アルベールくんには、ネェルにも、種まき、してもらう必要が、ありますしね? 一人、二人、程度で、尻込みされちゃ、困ります」


「グワーッ!?」


 そう言うなり、ネェルはその巨大な鎌で僕を捕獲した。全力で抵抗するが、相手はあのソニアを鎧袖一触で倒したという真正のバケモノである。甲冑も纏わぬ僕に勝ち目などない。あっという間に、囚われの身と化してしまった。


「お兄様ァ!?」


 悲鳴を上げるカリーナにウィンクをしてから、ネェルはノシノシと天幕へと歩み寄った。そしてその布製の壁を鎌の先っちょでチョイとひっかけ、空いた隙間に向けて僕を転がす。


「アバーッ!」


 こうして僕は、修羅場の真っ最中と思わしき天幕の中へ強制突入させられたのであった……。

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