第359話 重鎮辺境伯と盗撮魔副官

 これから私が娘とする話は、表沙汰にできるような内容ではない。用意してもらった"内緒話"にふさわしい小さなテントの中で、私はソニアと向き合っていた。

 テントの中に居るのは、私とソニアだけ。申し訳ないが、アルには席を外してもらった。親子の話とはいえ彼も当事者の一人には違いないのだが、彼がそばにいると決意が鈍ってしまうような気がしてしまったのだ。己の不埒な想いを振り払うためには、私は自分一人で娘と相対するしかなかった。


「……」


「……」


 不穏な空気が漂う中、私たちは無言で香草茶を飲んだ。お互い出方をうかがっている、そういう雰囲気だ。ソニアと顔を合わせるのは数年ぶりで、とうぜん話したいことはいくらでもある。しかしそれを実際に言葉にして口に出すのは、ひどく憚られた。


「は、母上。その……何も言わずに勝手に家を出て言ったあげく、まともに連絡も寄越さなかったことを、まず謝罪いたします。まことに、申し訳ございませんでした」


 椅子から立ち上がり、深く頭を下げながらソニアがそんなことを言う。その発言の内容に、私はとても驚いた。あのソニアが、自分から謝るとは。しかしもちろん、これは本心からの謝罪ではないだろう。むろんこれは単にソニアが意固地だから……というわけではなく、そもそもこの問題が私の不義理な行為が原因で起きたモノだからである。むろんソニアの反応も苛烈に過ぎる部分があったのは確かだが、彼女だけが謝れば済むというモノでもない。

 にもかかわらずソニアが自分から折れたのは、彼女がそうとう追い込まれているからだろう。カリーナの報告によれば、ソニアはアルとのすれ違いが発覚して泣きながらやけ酒を飲むような状態になっていたらしいからな。例え下げたくない頭を下げてでも、私の協力が欲しいのだろう。

 ソニアは昔からひどく頑固な子だった。これと決めたことは、何がどうなっても頑として譲らない。そのせいでトラブルを起こしたことも一度や二度ではないのだ。そんな子が、愛する男の為とはいえ不本意な謝罪ができるようになった。なにやら、私は寂しい心地になった。親などがいなくとも、子は知らぬ間に成長するものだというが……。


「その謝罪を受け取る権利は、私にはない。私がばかな真似をしなければ、このような事件は起きなかったのだから」


 折り畳みテーブルの上に乗った飲みかけの香草茶のカップを指先で撫でつつ、私は言葉をつづけた。


「だが、他の家臣たちに変わって、お前の謝罪を受け入れよう。ほとんどの家臣たちは、お前がスオラハティ家の次期当主になることを当然のこととして受け入れていたんだ。それが突然いなくなったものだから、わが領地は天と地がひっくり返ったような大騒ぎになった」


「……申し訳ありません」


 難しい顔で、ソニアはうなだれる。実際、ソニアが出奔してしばらくは、我が家中は上から下まで大騒ぎだった。この件に関しては、確かにソニアが悪い。私的なトラブルで家臣や領民に多大な迷惑をかけるというのは、貴族としては慎むべき行為だろう。


「……だが、その原因を作ったのは私だ。アルの件に関しては、ずっとお前に謝りたいと思っていた。その機会を作ってくれたことを感謝する」


 そう言ってから、私は深々と頭を下げた。


「私が己の欲望を我慢できなかったばかりに、アルをひどく傷つけてしまうところだった。それを防いでくれたお前には、どれほど感謝してもしたりないくらいだ。ありがとう。そして、ごめんなさい」


「……謝罪を受け入れます。頭を上げてください」


 私は一拍置いてから、娘の言葉に従った。……とにかく、これでお互い謝るべきことは謝ったことになる。むろん、一度謝ったからと言って何もかも許せるわけではないし、わだかまりが消えるわけでもない。実際、ソニアの表情も完全に納得しているとは言い難いものがある。

 しかしそれでも、まずはこうして謝罪という"儀式"をしないことには、まともに話し合うことすら出来ないんだからな。とりあえず事態は一歩進展、というところだ。所詮一歩は一歩だが、私はここ数年間ずっと同じ場所で足踏みをしていたわけだから、これだけでも十分な進展と言っても良い。


「それで、その、母上……」


 しばし黙り込んでから、ソニアはおずおずと口を開いた。本題に入るつもりだろう。私はそれを手で遮った。


「お前の事情は、カリーナから聞いている。要するに、アルと結婚したいのだろう?」


「……はい」


 あいつめ、と言わんばかりの表情でソニアは頷く。頭の中で、カリーナを罵倒しているのだろう。


「それに関しては、心配する必要はない。手は既に打ってある。お前とアルの結婚は、すでに既定路線に乗せた。あとはお前がアルの心を取り戻すだけだが……それもまあ、難しくはあるまい。お前たちは、決して嫌い合っているわけではないんだ。しっかりと話し合ってゆっくりと関係を修復していけば、いずれは誰もがうらやむ仲の良い夫婦になれるだろう」


 私の言葉に、ソニアは目を見開いた。それはそうだろう。これから相談しようと思っていたことが、すでに解決済みだと言われてしまったのだ。面食らわないはずがない。


「母上、それはいったい――」


 戸惑うソニアに、私は自らの計画を説明した。スオラハティ家の長女とカスタニエ家の当主(つまりはアデライド)が同じ男に嫁ぐことで、南部における辺境伯派閥の影響力強化を……というか、覇権を狙う。そういう策だ。これは実際裏の事情を抜きにしても強力な策で、スオラハティ家の家中ではいまだに根強い『ソニアを次期当主に』という主張を退ける効果もある。


「アデライドと共に、という点はお前は気に入らないだろうが……お前をブロンダン家に嫁入りさせようと思えば、こういう手しかないだろう」


「……そこまでお見通しとは。てっきり、スオラハティ家に帰ってこいと言われるものとばかり」


「もちろん、そうしたほうが収まりがいいのは確かだ。本音を言えば、私もお前には戻ってきてもらいたいと思っている。しかし、な……お前もアルも、それでは納得しがたいだろう。お前はブロンダン姓を名乗りたいだろうし、アルはこのリースベンからは離れたがらないはず」


「……はい」


 ソニアは難しい表情でそう言ってから、香草茶を一口飲んだ。小さく息を吐いて、視線を中空へとさ迷わせる。アデライドとアルを共有する。彼女と仲の悪いソニアとしては、認めがたい条件だろう。だが、問答無用で突っぱねるわけにもいかない。なにしろ、これ以上に良いアイデアはソニア自身の中にもないのだろうから。

 しばらく悩んでから、ソニアはこの問題を後回しにすることにしたようだ。抵抗はあきらめていないが、この場で抗弁しても建設的な話し合いにはならない。そう判断したのだろう。彼女は話を逸らした。


「正直、その……至れり尽くせりで、驚いています」


「私はね、アルも大事だが……お前だって大事なんだ。二人には、幸せになってもらいたい。公私混同とそしられようが、知ったことか」


 これは私の本音であった。この二人の為ならば、私はいくらでも頑張る自信がある。


「……スオラハティの次期当主は、どうするのですか?」


 テーブルを指先でトントンと叩きながら、ソニアが聞いてくる。ソニアが家に戻ってくることを期待して、私は次期当主をいまだに指名していなかった。だが彼女がスオラハティ家から完全に離脱ことになる以上、いつまでも曖昧な態度を取り続けるわけにはいかない。


「さあてね」


 私は頭を働かせた。実際のところ、この問題に関しては私もまだ結論が出ていなかった。私には三人の娘が居る。長女は当然ソニアで、その一歳下に双子の次女と三女、という組み合わせだ。


「順番で言えば次女のマリッタだが、あいつはソニア派の急先鋒だ。お前を差し置いて自分が次期当主に、などというのは納得しないかもしれない。そうなると三女のヴァルマが適当だが、あいつは……」


「ヴァルマは駄目です。絶対にダメ。能力もやる気もありますが、性格が……」


「ああ……やる気と能力は百点満点なんだがなあ……性格が……」


 私の末の娘、ヴァルマはなかなかの問題児だった。ソニアと比べてもそん色のないほどの天才肌なのは良いのだが、とにかく好戦的で傍若無人。お前は乱世の梟雌きょうしかと言いたくなるような性格をしている。有事ならともかく、平穏な現代にあんな人間を領主に据えるのはマズイ。


「マリッタとて出来が悪いわけではありません。わたしなどよりよほど生真面目ですし、名君となる素質も十分にあるでしょう。……これは、わたしが説得すべき案件ですね。機会を作って、一度ノール辺境領へ戻りましょうか……」


「ああ、頼む」


 ため息をついてから、私は頷いた。まったく、難儀なことだ。私の三人の娘たちは、誰もかれもが一筋縄ではいかぬ難物ばかり。わたしも夫も平々凡々とした小人物だというのに、いったい誰に似たのだろうか?


「……まあ、それは後回しでも良いでしょう。平年の通りならば、あと半月もしないうちにノールは氷で閉ざされるはず。そちらの問題を解決するには、否が応でも来春の雪解けを待つ必要があります。とりあえず、当面の問題を解決しましょう」


 そう言って、ソニアはカップの香草茶を飲み干し、テーブルの上に戻した。そのコトンという音が、狭いテントの中でやけに響いて聞こえた。


「……ここまで譲歩してくれたからには、母上にもそれなりの条件があるはず。……いえ、今さら言葉を濁す必要もありますまい。要するに、母上はアル様を……」


「違う」


 ソニアの言葉を、私は即座に遮った。彼女の言わんとしていることは、最後まで聞かずとも理解できた。つまりソニアは、私が譲歩の代わりにアルを貸すように言いつけると思っているのだろう。

 そりゃあ、そうだ。ソニアは己の恋を貫くため、スオラハティ家の次期当主の座を蹴った女だ。恋愛事に関しては、妥協はあっても諦めることは決してない。そしてそれは、他人に関しても同じだと考えているのだ。だが、わたしはソニアではない。必要であれば、自分が身を引く覚悟も持っている……。


「ソニア。たしかに私はアルが好きだ。男として愛している。出来ることならば、彼には私の後夫になってもらいたい」


「ええ、ええ。私が母上の立場でしたら、同じことを考えているでしょう。ですが……娘としては、はっきり言ってそれだけは認めがたいのです。アデライドのヤツだけならば、なんとか飲み込めるやもしれません。しかし、貴女だけは、母上だけは……」


「……わかっている、わかっているさ。そんなことは。だから私は……アルから手を引くことにした」


 絞り出すような声で、私は娘に向けてそう宣言した。

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