第358話 重鎮辺境伯と旅路

 私、カステヘルミ・スオラハティは苦悩していた。その原因はもちろん、我が長女ソニアとその想い人アルである。よりにもよって母娘揃って同じ相手に惚れ、さらにその男に私が手を出そうとしてしまったばかりに、我々の母娘関係は破滅的な状態に陥ってしまった。すべては、私のこらえ性が足りなかったせいだ。

 王都の内乱が終わってからも、私はずっと悩み続けていた。どうすれば、母娘仲をもとに戻せるだろうか? 私の想いを遂げる方法はあるのだろうか? 考えても考えても、この問題を解決するための冴えた方策は思いつかなかった。

 まあ、それも致し方のない話である。惚れた男を母親と共有するなど、ソニアからすれば耐えがたいことだろう。ただでさえ、彼女の私に対する信頼は地に落ちている。この状態から母娘関係を修復し、さらには私の望む形へと発展させていくのは……どう考えても不可能だと、結論付ける他なかった。

 愛する娘と、愛する男。私は、どちらかを選ばねばならない。とても悲しいが、双方を手に入れるのはムリだ。二兎を追う者は一兎をも得ず、というヤツだろう。で、あれば……どちらを優先すべきか? ……悩むまでもない、娘だ。なぜなら私は母なのだから。


「……」


 ソニアが監督している野営地があるというアッダ村とやらへ向かう馬車の車中は、何とも言えない沈黙が支配していた。車内に居るのは、私とアル、そしてそれぞれの従者が一人ずつ。誰もかれもが、石のように押し黙っていた。

 ちなみに、なぜアデライドがいないのかと言えば、カルレラ市に残してきたからである。彼女には彼女の仕事がある。すなわち、アルに服属したというこの地の蛮族の長、ダライヤとやらの説得だ。

 アルの話によれば彼女はなかなかの切れ者という話なので、こちらに対処する隙を与えず奇襲で抑え込んでしまえ、という作戦になっていた。それと同時に、私が娘を説得するわけである。アデライドは自分がソニアも説得すると言ってきかなかったが、これは私の仕事だ。いくら親友の頼みでも、聞けないものはある。


「アル、何度も言うが……悪いのは私で、君はむしろ被害者なんだよ。どうか、悩まないでほしい」



 見たこともないような深刻そうな顔をしたアルの肩に手を置き、私はそう語り掛けた。彼はおそらく、我々の母娘喧嘩の原因が自分だったと思い悩んでいるのだろう。アルは普段は明るく快活な男の子だが、何もかも自分一人で背負い込んでしまうような気質があった。今回は、それが悪い方に働いているのだと思う。

 彼のひどく沈んだ顔を見ていると、胸がきゅっと締め付けられているような心地になってしまう。……こうして気安く彼に話しかけることができるのも、今日が最後かもしれないな。そう思うと、また涙がこぼれそうになる。歯をくいしばって、それに耐えた。私は加害者だ、被害者ヅラをするわけにはいかない。

 とにかく、私が最優先すべきなのはソニアとの関係修復だ。スオラハティ家とソニアの縁が切れたままというのはいろいろな意味でマズい。ソニア自身のためにもならないし、アルにも迷惑をかける。彼女の態度が軟化した今がチャンスなのだ。下手に欲をかいてこの機会をフイにするなどあってはならないことである。ソニアがもう二度とアルに近づくなというのなら、私はそれに従う所存だった。


「しかし……」


「しかし、じゃない。ああいうことをしでかしておいてこんなことを言うのは大変に恥知らずなことだが……私は君を実の子のようにも思っているんだ。親の成すべき責任を、私に果たさせてほしい」


 どこの世界に実の子のように思っている子に夜這いを仕掛けようとする女がいるのだろうか? 私は、自分で言っておきながら反吐を吐きそうな気分になった。だが、これは偽らざる私の本音なのである。私はアルを異性として見ているし、それと同時に子供としてもみている。救いようのない変態としか言いようがない……。


「……」


 明らかに納得していない様子で、アルは再び黙り込んでしまった。彼の隣に座っている従者役のカリーナが、こちらに気づかわしげな目を向けた。私のことを、心配してくれているのだろう。優しい子だ。

 彼女が渡りをつけてくれなければ、この機会は訪れなかった。いくら感謝してもしきれないな。カリーナには、約束通りの"報酬"を与えなければならないな。しっかりと、手配と根回しをしておかねば……。


「アッダ村野営地に到着いたしました」


 そんなことを考えていると、馬車が停止した。御者が大声でそう報告する。アルがこちら一礼して立ち上がり、ドアを開けて馬車の外に出た。そして、私の手を取って降車をエスコートしてくれる。本来ならばこういうのは従者の役割なのだが、領主と言う立場になった後も彼はこうして私を助けてくれるのである。

 その騎士らしい態度に、私の心は乙男おとおのようにときめいた。こんな時だというのに、現金なものだ。あとから自己嫌悪が湧き出してきて、私はため息をつきたい心地になった。


「……ここが、エルフたちの野営地か」


 周囲を見回しながら、私はそう言った。野営地は、何の変哲もない農村の郊外に築かれていた、街道を挟むようにして、大量の天幕が立ち並んでいる。ちょっとした町のような規模だ。蛮族どもの人数を考えれば、これは単なる比喩ではない。二千名超というのは、田舎の地方都市に匹敵するような人口である。

 そしてその仮設の"町"を行きかう人々は、見慣れた竜人ドラゴニュートや獣人ではない。雨具のようにも見える長衣を羽織った、驚くほど美しい女たちだ。あれがエルフか、と心の中で小さく呟く。年寄りも子供も、ほとんどいない。(外見上は)若い女ばかりだ。これが長命種の集落かと、一人ごちる。


「エルフ以外にも、アリンコ……もといアリ虫人やらも混ざっていますが。あとカマキリ虫人とか」


「虫人か、北方ではほとんど見ない人種だ。新鮮だな」


 アルの言葉に、私は努めて明るい口調で答えた。もちろん空元気だが、辛気臭い顔をして娘に会いに行くわけにもいかないからね。


「ソニアはおそらく、指揮本部のほうに居るでしょう。どうぞこちらに」


 アルの案内に従って、私は歩き始めた。美しくも剽悍ひょうかんなエルフたちや、この寒さのなか露出狂じみた服装(腰布一枚のみの格好を服装と表現していいのだろうか?)をしているアリ虫人たち。道行く人々を見ているだけで異国情緒を味わえるような景色ばかりだったが、観光気分でいられるほど私の心は穏やかではなかった。言葉少なに足を進め、あっという間に"指揮本部"とやらに到着する。

 仰々しい名前だが、ようするに単なる野戦用指揮天幕だ。その大きいだけのテントの前に、我が娘ソニアは居た。彼女は私の顔を見て、なんとも複雑な表情を浮かべ、そして頭を下げた。


「お久しぶりです……母上」


 母上。そう呼ぶソニアの声には、明らかな抵抗感があった。まあ、それは当然のことだろう。私も、カリーナからの手紙でだいたいの事情は知っている。ソニアが私と話し合う気になったのは、別に私を許す気になったからではない。強力なライバルの出現、思ってもみないすれ違いの発覚……それらによって手詰まりに追い込まれ、私に頼る以外の方策を見つけられなかったからだ。

 まあ、それはそれで良い。どんな理由であれ、とりあえず直接顔を合わせてくれる気になったのだ。これまでが事務的な手紙を稀に寄越してくるだけという状態だったことを考えれば、これでも格段の進歩だろう。この機を逃せば、もう仲直りをする機会は一生訪れないかもしれない。だからこそ、失敗は絶対に許されない。私は限界まで譲歩する覚悟をしていた。


「ああ……こうして直接会うのは、何年ぶりだろうか。元気そうでよかった」


「……母上こそ」


 私はそう言って、娘に歩み寄った。そしておずおずと手を差し出すと、ソニアはしばし硬直してからそっと手を握り返してくる。なんとか、ファーストコンタクトは成功だ。しかし、肝心なのはこれからだ。気合を入れねば……。

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