第229話 カタブツ子爵と真面目な話

「少しいいか、ジルベルト」


 わたし、ジルベルト・プレヴォが主様の執務室から退室すると、追いかけてきたソニア様が突然話しかけてきた。このところ、ソニア様はわたしを呼び捨てにするようになっていた。粗略に扱われているわけではなく、むしろ友人のような気安さを感じる態度なので、別にいいと言えばいいのだが……。


「どうかされましたか、ソニア様」


「いや、大したことではないが……一緒に昼食でもどうかと思ってな。二人っきりで」


「……」


 わたしは思わず渋い表情を浮かべた。昼食を共にするのは別に構わないが、二人っきりというのがいただけない。つまり、他人の耳のある場所ではできない話がしたいということだからだ。これが軍機に関わるような話題であれば格好もつくのだが、実際のところはただの猥談である。

 例の写真で……その、致してしまって以降、わたしはすっかりソニア様に弱みを握られていた。いや、別に脅迫をされているわけではないのだが……卑猥な話題を出されても、断りづらいというか。


「……仕方ありませんね。承知いたしました」


「まったく、そろそろ素直になってしまえば良いものを」


「……」


 ニヤリと笑うソニア様に、わたしは深々とため息を吐いた。


「……さて、不真面目な話をする前に、真面目な話をしようか」


 それから、十分後。わたしたち二人は、領主屋敷内の小さな応接室にいた。食事をとるのなら食堂に行った方が良いのだろうが、あそこはとにかく人が多い。この頃は、エルフェニアの連中までウロチョロしている始末だ。密談に使えるような場所ではない。


「真面目な話と言いますと、エルフたちの件ですか」


 現状、我々リースベン幹部陣の中での最大の懸案事項がそれだ。わたしはすぐに察しがついた。


「ああ、そうだ。エルフどもは、もはや自力で態勢を立て直せる状況ではない。結局、放置ができない以上はある程度こちらから関わっていかねばならないのだろうが……」


 ソニア様は難しい表情でそう言ってから、テーブルに乗せられた料理をフォークでつつく。今日の昼食はローストチキンだ。普段よりも随分と豪勢なメニューである。アル様のリクエストらしいが、理由はよくわからない。何かの記念日だろうか……?


「関わるにしても、その塩梅が難しい。今は"正統"を吸収する方向で動いているが……本当にあの連中が信用できるのかも、まだ判然としないわけだしな」


「我々にとって、エルフたちはほとんど未知と言っていい存在ですからね。油断ならぬ相手とはいえ、手の内をある程度知っている神聖帝国の連中の方がよほどやりやすい手合いです」


 実際のところ、わたし自身エルフと直接対面したのは新エルフェニア帝国とやらの連絡員が初めてだった。その敵対勢力である正統エルフェニア帝国に至っては、まだカラスやスズメの鳥人にしか会っていない。この状況でエルフどもを心から信頼するなど、流石に不可能である。

 もっとも、エルフや鳥人どもが極めて優秀な戦士というのは事実のようだからな。出来るだけ戦いは避けるべし、というアル様の方針は理解できる。そもそも、いざ戦いとなれば矢面に立たされるのはわたしの元部下たちだ。とてもじゃないが、積極的に戦おうという気にはならない。


「そうだな。一時期よりはずいぶんとマシだが、それでも情報不足は否めない。とにかく、仲良くするにしろ敵対するにしろ、我々はエルフや鳥人どもについてもっと詳しく知らねばならんのだ」


 そこまで言って、ソニア様はローストチキンを口に運んだ。さすが高位貴族の直子だけあって、その仕草はひどく典雅だ。公爵家の分家筋とはいえ、所詮は子爵でしかないわたしとは訳が違う。


「次回の"新"との交渉次第だが……もう少ししたら、"正統"のオルファン氏との二度目の会談が行われるだろう。その時は、わたしの代わりにジルベルトがアル様の傍仕えをしてくれ。貴殿も、一度くらいはエルフの村を自分の目でみておいたほうがいい。『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』というヤツだ」


 百戦うんぬんの言葉は、わたしにも聞き覚えがあった。主様が定期的に開いている、軍学の講座でおっしゃられていたフレーズだ。


「それはありがたいことですが……よろしいのですか? そのような重大事をわたしなどに任せてしまって」


「貴殿だからこそ任せたいのだ。わたしに何かがあった時に、代わりを務められるのは貴殿だけだからな。信頼しているぞ、わが友よ」


「……承知いたしました」


 こういうところは、すごく卑怯だと思う。主様といいソニア様といい、まったく人心掌握に優れた主従である。


「とにかく、我々二人で協力してこのエルフ案件はさっさと終わらせてしまおう。これ以上、アル様にご苦労をおかけするのは心苦しい」


「ええ、同感ですね」


 この頃の主様は、ひどく忙しそうなご様子だ。あちこちに手紙を出したり、リースベン内外の有力者と会談したり、捕虜を尋問したり……。主様は確かに優れた騎士ではあるが、それでも男性であることには変わりないのだ。過労でお体を壊してしまわないかと、ひどく心配になってしまう。


「この頃のアル様は、兵どもの訓練どころではなくなっているからな」


「……よくわからないのですが、それに何の問題が? いや、確かに主様直々の訓練は、兵たちにとっても得難い経験になるでしょうが」


「汗まみれになりながら兵たちを指導しているアル様ほどソソる被写体はないからな。シャッターチャンスが……」


 物憂げな様子でため息を吐くソニア様だが、わたしは呆れずにはいられなかった。この期に及んで、シャッターチャンスとは。彼女には盗撮はやめろとたびたび言っているのだが、一向に改善する様子がない。


「ソニア様、何度も何度も申し上げておりますが……」


「別にいいじゃないか。日常のワンショットだぞ!」


 ソニア様は憤慨した様子でそう抗弁した。


「日常だろうがなんだろうが、すべての写真がなんだか卑猥じゃないですか! あなたが撮ると!」


「違う、わたしの写真が卑猥なのではない! アル様そのものが卑猥なのだ!」


「卑猥なのは主様ではなく、貴方の目と頭ですよ」


「頭が卑猥なのは貴殿も同じだろうがこのムッツリスケベ!」


「主様の前以外ではフルオープンでスケベな貴方にだけは言われたくありませんね!」


 ……真面目な話をしていたハズなのに、すぐこれだ。だから、この方と二人っきりになるのは嫌なんだ……。


「だいたい、アル様が卑猥ではないはずがないだろうが! この間など、風呂上りに肌着姿で屋敷内をうろうろしていたぞ! あれを卑猥と言わずに何を言うんだ!?」


「あ、あ、あれは確かに卑猥でしたが……」


「ところで、あの時に撮った写真が手元にあるのだが……いるか?」


「………………ほ、欲しいです」


 まあ、喧嘩をしてもすぐに仲直りしてしまうのだが。このところ、わたしにもソニア様のスケベが伝染している気がする。朱に交われば赤くなるというが、助平根性も同じなのだろうか……。

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