第193話 くっころ男騎士と探索
村長と別れた僕は、レナエルに先導され護衛の騎士たちと共に郊外へと向かった。さすがは辺境開拓地といったところで、村外縁部の田園地帯を抜ければそこはもう未開の原生林である。樹高一五から二〇メートルほどの大木の立ち並ぶ原生林はひどく鬱蒼としており、来るものを拒む威圧感がある。
「君は猟師だろう」
隊列の先頭を歩くレナエルに、僕はそう聞いた。彼女は下草をナタで切り払いつつ、「ハイ」とだけ短く応えた。なにしろ人の手が全く入っていない森だから、前へ進むだけでもなかなかの難事だ。
大樹の枝葉が陽光を遮っているせいか草は案外少ないが、それでもナタや山刀が無ければとても前へ進めない程度には茂っている。その上地面には、苔の生えた木の根が縦横無尽に張り巡らされており、一瞬でも気を抜けば即座に転倒してしまいそうなほど足元が悪い。
「では、この辺りの森は庭も同然かな」
「庭と呼ぶには、少し物騒です。狼とか、
「でも、村で一番この森に詳しいのは、自分たちの一家です」
「なるほど、それは頼もしい。君が案内役で助かった」
これは僕の偽らざる本音だった。慣れない原生林で
実際、この森はなかなかに険しい場所だった。温暖湿潤な気候のせいか、ガレア本国の森よりもずっと植物の種類と数が多い。そしてサイズもデカイ。軍隊が行動するには、あまりにも辛い土地だ。
「予想されていたことですが、森の中で戦うのは避けた方がよさそうですね。まともに戦闘行動ができる地形ではありませんよ、ここは」
隣を歩くソニアが、周囲を見回しながら言った。真昼だというのに、この森の中はひどく薄暗い。おまけに大量の樹木のせいで見通しも効かないし、地面はコケと根っこまみれでまともに踏ん張りもきかないと来ている。こんな場所で、敵と戦う? 冗談じゃないね。
「同意見だな。……レナエルくん、ひとつ質問をしてもいいかな?」
「ハイ」
「例えばの話だが、君が鉄砲兵と槍兵をそれぞれ十五名ずつ部下に持つ指揮官であると仮定しよう」
「……ハイ」
レナエルは立ち止まり、こちらを振り返った。いかにも聡明そうな藍色の瞳が、僕をじっと見つめている。僕は片手に持った方位磁針を確認しつつ、南西方向を指さした。見渡す限り、このあたりでもっとも樹木の密度が濃い場所だ。
「十名のエルフ兵があちらの方向から攻撃を仕掛けてきたとする。さて、君ならどうする?」
「逃げます。一目散に」
レナエルは即答した。ジルベルトが「ふむ」と小さく声を上げる。
「数の上ではこちらの方が三倍多い。それでも撤退を選択するわけか」
「ハイ。森の中では、エルフどもに勝ち目はありません」
ナタを腰の木鞘に納めたレナエルは、ゆっくりと僕の方へ近づいてきた。そして、僕の指さしてきた方向をちらりと一瞥する。
「あの方向からと領主様はおっしゃいましたが……エルフどもは、一かたまりになって一斉に攻撃を仕掛けてくるような真似はしません。あちこち分散して、茂みや樹上に潜み……こちらが気を抜いたタイミングで、弓矢を射かけてきます」
「
ソニアがボソリと呟く。いかに蛮族じみた存在であろうが、エルフはエルフである。彼女らはみな弓の名手だという話だ。
「あいつらの弓は小さいですが、
ショートボウの取り回しの良さとロングボウの射程を併せ持つ強弓、ね。前世の世界で言えば、モンゴル弓が近いだろうか? モンゴル式の弓は湿気に弱かったはずだが、エルフ弓にはそのような欠点はないのかね? この高温多湿なリースベンの先住民族だからなあ、エルフどもは……。
「鉄砲兵の持つ小銃が、二〇〇メートル先の目標でも問題なく命中させられるほど長射程のものだった場合でも?」
「大差ありません。森の中では、射程の長短はあまり関係がないので。それより、連射が出来るか否かが重要です」
「つまり、森の中でエルフと戦ってはいけない、ということだな」
「ハイ」
レナエルはコクリと頷いた。エルフたちは、森林戦に特化した連中だ。そりゃ手強いに決まってるわな。相手の有利な土俵で戦うべきではない、というのは戦術の基本だ。部隊を森の中に突っ込むような真似は、現に慎むべきだろう。
「自分は森の中をうろつくのは得意ですが、それでもエルフには絶対に勝てません。戦うなら、村の傍まで引き付けるしかないです」
「なるほどな、参考になった。ありがとう」
「いえ。所詮は素人意見ですから、あまり気にしないでください」
「いいや、そんなことはない。筋の通った、合理的な意見だった。センスがあるよ、君には」
会話をしつつも、僕の頭は高速回転していた。地形は厳しく、敵は精強。対エルフ戦は、かなりの難事になりそうだ。しかしリースベンを統治し続ける限り、エルフたちとの戦闘は避けられない。なにかしら、上手い作戦を用意しておく必要がある……。
「何はともあれ、エルフどもがどう動くつもりなのかを知りたいな。相手の出方がわからないことには、防衛計画を立てるどころではない」
「そうですね。案の定と言えば案の定ですが、エルフがこの辺りに居るような痕跡はまったく見つかりませんし」
ソニアが唸るような声でいった。まあ、当然と言えば当然なんだがな。なにしろ、村の周囲の森は現地の自警団や僕の部下たちが念入りに調査を行っている。攻撃や偵察の兆候があれば、すでに報告が上がってきているはずだ。
「野営の跡や糞便の類でも落ちてれば、話は早いんだが」
「ふ、糞便」
ひどく面食らった様子で、レナエルが僕を見た。なんだかすごい表情をしている。
「え、なに……」
「アル様、自覚はないでしょうがあなたは一応貴族令息なんですよ。それがいきなり糞便なんて言うから、びっくりしてるんじゃないですか」
などとツッコミじみた口調で言ってくるのは、護衛として連れてきた僕の部下だった。こいつも幼馴染の一人なので、口ぶりが容赦ない。
「普通の貴族令息は糞便なんて言わないのか」
「言うわけないでしょ」
「じゃあなんて言うんだよ。お大便か?」
「お大便……」
茫然とした様子で、レナエルが呟く。それを見たジルベルトが噴き出しそうな表情で口元を抑えた。顔が真っ赤になっている。
「いやその……ごめん」
僕は日常的に兵隊どもと一緒に卑猥な歌を大声で歌いながらランニングしているような人間である。いまさらお上品さなんて求めないでほしい。そう思いつつも、ひどくショックを受けている様子のレナエルにはちょっと申し訳ない気分になってしまった……
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