第183話 盗撮魔副官と窮地

 わたし、ソニア・スオラハティは興奮していた。自然と荒くなる呼吸を意識して落ち着かせ、周囲を見回す。時刻はすでに夜。ロウソクの微かな明かりに照らされた自室の内装は、いつもと変わらない様子である。


「……」


 だがしかし、隣の部屋……つまり、アル様の居室から聞こえてくるゴソゴソという音が、わたしの心をかき乱していた。これほどの長い期間、アル様と離れ離れになっていたのは、本当に久しぶりのことだった。そのせいで、わたしはすっかり欲求不満になっていた。

 むろん、わたしの手元にはアル様の卑猥な写真が山のようにある。それらを使用して、自らを慰めることは十分に可能だった。だが、写真だけでは駄目だ。やはり、アル様本人が傍に居なければ……肉体的には満足できても、精神的にはかえって寂しさが増すばかりなのだ。


「んふ、んふふふ」


 上機嫌で、わたしは幻像機カメラの準備をする。隣から聞こえてくるガサゴソ音は、なかなかに騒がしい。おそらく、荷物の整理でもされているのだろう。翼竜ワイバーンでの旅はひどく疲れる。おまけに、夕食(ささやかながら、帰還パーティーが開かれた)ではそれなりにお酒を召されていた。今夜はぐっすりお眠りになられるはずだ。

 アル様は、非常に眠りの深い方だ。起床ラッパだとか敵襲等の特定のフレーズが耳に入らない限りは、そうそうのことではお目覚めにならない。つまり、しっかり眠っていることを確認してから部屋に突入すれば、やりたい放題ができるのだ。

 これだけ寂しい思いをさせられたのだ。少々ハメを外してもバチは当たるまい。あられもない寝姿を接写しまくり、添い寝をしつつコッソリと自分を慰め……ああ! ああ!


「添い寝……」


 だが、自分の脳裏に浮かんだ添い寝という単語が、わたしの興奮に水を差す。アル様はわたしの「夜伽とか」という発言に対し、一瞬反応が遅れていた。わたしのアル様の付き合いは長いから、その内心も手に取るようにわかる。我が母、カステヘルミ・スオラハティは、アル様に対し添い寝を命じたに違いない。

 むろん、アル様は実質的にはあのバカ親の臣下である。命令された以上、断ることはできなかっただろう。まあ、アル様は人に頼られると少々無茶な頼みでも聞いてしまう悪癖があるので、命令に対して抵抗もしなかったのではないかと思うが……はあ、度量が広いのも考え物だな。


「年齢を考えろ、色ボケめ……!」


 むろん、セックスまではしていないだろう。そのあたりは、アル様の反応で察することができる。しかし、娘のオトコに色目を使うなどどういう神経をしているのだ。まったく、やはり王都に同行できなかったのは一生の不覚だ。わたしが四六時中お傍にいてお守りせねば、アル様はいずれどこぞの馬の骨にヤられてしまうに違いない。


「まあ何にせよ、アル様は無事にわたしの手元に戻ってきてくれた……」


 もう二度と手放すものか。決意を新たにしつつ、ほとんど無意識に股へ向かおうとする右手を抑え込んだ。まだだ、まだ早い。最高に気持ちよくなるためには、アル様がしっかりと寝付くまで待たねば……。


「……アル様は一体、何をされているのだ?」


 隣室から聞こえてくるガサゴソ音は、妙にうるさい。荷下ろしにしては音が大きすぎる。流石に違和感を覚えたわたしは、わたしとアル様の部屋を隔てる壁へと近寄った。

 この壁には、のぞき穴が開けられている。むろん、そうそうなことではバレないような擬装を施してあるから、アル様にはいまだに気付かれてはいない。わたしは首をひねりながら小さな穴を覗き込み……


「……ッ!?」


 怒りに燃える碧眼と目が合った。


「ウワアアアアッ!?」


 尻もちをつきそうになり、わたしはなんとか堪えた。アル様の瞳の色は、美しい鳶色だ。碧眼などではない。


「く、曲者だッ!」


「曲者はあなたです、ソニア・スオラハティ様」


 壁のむこうから、ひどく冷徹な言葉が帰ってくる。その声音には、聞き覚えがあった。ジルベルト・プレヴォ。あのいかにも切れ者然とした女である。


「主の部屋にこのような穴を開けて……何をされているのですか、あなたは」


「いや、これは……」


「言い訳は貴方の部屋で聞きましょう」


 そう言うなり、碧眼の主は壁から離れていった。すぐにドアの開閉音が聞こえ、わたしの部屋がノックされる。


「……ど、どうする!?」


 覗きがバレてしまった! それも、幼馴染ではない新参者にだ。このような経験は初めてである。反射的に、壁際のラックに安置された愛剣に視線が吸い寄せられる。


「駄目だ駄目だ!」


 アル様は常日ごろから、「軍人とは暴力のプロだ。暴力を行使すべき状況で行使せぬ者、あるいは行使するべきでない状況で行使する者……そのどちらもが、軍人失格である」とおっしゃられている。覗きの証拠隠滅で同僚を叩っ斬るのは、たぶん軍人失格に値する行為だろう。


「開けてください、ソニア・スオラハティ様。応じぬようであれば人を呼び、強行突入しますが?」


「やめてくれ!」


 人を呼ばれるのは不味い。非常に不味い。幼馴染の騎士どもには私の盗撮癖を知っている者もいるが、一般兵や使用人にまで露見するのは流石に不味い。それに、アル様本人にバレるのはもっと不味い

 チクショウ、なぜこの女がアル様の部屋に居るんだ? 私の同類か? たしかに、彼女がアル様に尋常ならざる感情を向けている気配は感じていたが……。


「ああ、なんてことだ……!」


 頭を抱えつつ、ドアを開く。そこに居たのは、全身甲冑で完全武装した騎士だった。フルフェイスの兜まで被り、手は腰に差した剣の柄を握っている。……いや、いやいやいや! なんでそんな格好してるんだ! ふざけるなよ!


「ソニア・スオラハティ様……あなた、その恰好は? やはり痴女なのですか?」


 もっとも、服装に疑問を持っているのはジルベルトも同じだったようだ。彼女はわたしの肢体を無遠慮に睨みつけながら、冷たい声で聞いてくる。


「違う! 暑くて服を脱いでいただけだ!」


 確かに、いまの私はショーツ一枚しか身に着けていない全裸寄りの服装だ。なにしろ、わたしはアルさまとの同衾を目論んでいたわけだからな。服など着ていては、あの心地よい体温を全身で楽しむことができない。

 だが、この格好で外をうろついていた訳ではないのだ。文句など言われる筋合いはない。アル様だって時々パンツ一丁でお眠りになられていることがあるんだぞ!!


「貴様こそ、なぜアル様の部屋に居たんだ!? アル様をどこへやった!」


 肝心なのはそこだ。この女がアル様を害していたとすれば……許せるものではない。全身に力がみなぎる。武装の不利がなんだというのか。組打ちには自信がある。この女をさっさと叩きのめし、アル様の居場所を吐かせる必要があるのでは……?


「主様は、飲み足らないから二次会へ行くとおっしゃられて牛獣人の母娘と共に街へ出ていかれましたが」


「アル様ァ!?」


 なにをやっているんだ、アル様は! 酒場へ行かれるのならわたしも誘ってくれ! 泣くぞ! マジ泣きするぞ!!


「そしてわたしが主様の部屋に居た理由も簡単です。この部屋にのぞき穴が開けられている、という情報を耳にしましてね。主様がいらっしゃらないうちに、確認しておこうと思いまして」


「だ、誰から聞いたんだ、そんな話!?」


 新参者相手にわたしの性癖をバラすような者が、幼馴染の中に居るとは思えない。だが、わたしの作ったのぞき穴の偽装は巧妙だ。最初からある・・と分かったうえで探さねば、見つけられるものではないはずだ。いったい、どこから情報が漏れたというのか。


「フィオレンツァ司教様ですよ」


「なん、だと……!?」


 フィオレンツァ。わたしの不倶戴天の敵。その名前を耳にして、わたしは自分がスッと冷静になっていく感覚を味わった。頭に上っていた血が、一気に下降する。


「なぜ、ここでヤツの名前が出てくる」


 自分でも驚くほど冷え切った声で、わたしはジルベルトを詰問した。


「あの女は、故郷のサマルカ星導国へ帰ったはずだ……!」

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