第159話 義妹騎士と重鎮辺境伯(2)

「あの、辺境伯様……実は、お話しておきたいことがあるのですが」


 ドキドキしながら、私はそう切り出した。ここで失敗したら、私の人生はなにもかもお終いだ。いち見習い騎士程度の存在がこのクラスの大貴族に睨まれればもう正騎士昇格など不可能だし、そもそも相手はあの・・ソニアの母親だ。普段は穏やかでも、自分のオトコに手を出されたと判断したとたん烈火のように怒り出す可能性もある。


「何かな?」


 そんな私の懸念を知ってか知らずか、スオラハティ辺境伯は気楽な表情で小首をかしげ、そしてくすりと笑う。


「アルを遠ざけたということは、まあそういう話なんだろうけど」


「……よ、よくお分かりですね」


 さすがは大貴族だ。私程度の思惑なんか、お見通しみたい。まあ、ロッテとバッチリアイコンタクトしてたからね、そりゃあバレるか……。


「君がアルを見つめる目つきはだいぶ露骨だからね。気づかないのは、あのニブチンくらいだろう。……まあ、私も人のことは言えないだろうが」


 くすくすと笑いつつ、スオラハティ辺境伯は香草茶を口に含む。


「で、君は私に何を提案するつもりかな? 聞くだけなら、聞いてあげよう」


「は、はい」


 私はゴクリと生唾を飲んだ。完全に、こちらの思考が読まれている。飲まれているような感覚があったが、だからと言って口をつぐむわけにはいかない。なけなしの勇気を振り絞って、口を開く。


「言うまでもないでしょうが、私はお兄様のことが好きです。将来的に、男女の関係になりたいと思っています」


「うん。それで?」


 にこやかにほほ笑みつつ、続きを促す辺境伯様。いまのところ、気分を害している様子はない。……そういうフリをしているだけかもしれないから、まったく安心できないけど。


「しかし、現状ではその目的を達成するのはまず不可能です。お兄様は様々な相手から狙われていますし、対する私は後ろ盾も実績もないただの小娘に過ぎないからです」


 私は必死に脳を回転させた。思い出すのは、お兄様がしてくれた軍学の授業だ。私は小隊か何かを率いる下級指揮官で、スオラハティ辺境伯は司令部。そういう風に仮定して、報告と要望をわかりやすく伝達する。

 口先三寸でごまかすようなやり方は、おそらく絶対に通用しないだろう。だからこそ、私は正面突破を狙うことにした。誠意をもって、辺境伯様に私の意志を伝えるのだ。


「私がお兄様に釣り合うような地位まで出世できたとしても、そのころにはお兄様はすでに既婚者になっているハズです。それでは遅い、遅すぎる」


「だろうね」


「ですから、私はお兄様との結婚は諦めます。そうせざるを得ません。代わりに、お兄様にはミンネを、騎士としての愛を捧げます。その御許可を、辺境伯様に頂きたいのです」


「妥協だな」


 スオラハティ辺境伯の言葉は端的だった。


「いいのかな? 君は、それで。ミンネというのは、まあ公に認められている権利ではあるが……だからこそ、プラトニックな関係であるという建前は重要だ」


 まあ、そりゃそうなのよね。星導教が推奨しているのは、あくまで一夫二妻制。そこから外れた関係であるミンネでは、当然肉体関係を結ぶのは禁じられている。……実際は、だいたいヤることはヤッてるんだけどね。いわゆる、タテマエってやつ。


「もし君が本懐を果たし、アルの子供を産むことになっても……公的には、その子供の父がアルであるということは公表できない。わかっているのか?」


「構いません」


 私はしっかりと頷いた。しかし、内心は穏やかではない。ちょっと泣きそう。せめて、ソニアやジョゼットさんと同じようにお兄様の幼馴染として生まれていればもうちょっと選択肢があったのに。出会ったのが遅かったばっかりに、敵味方に別れて生まれてしまったばっかりに、これほどの妥協を強いられる。悔しくないはずがない。


「栄光の敗北より、無様な勝利を目指せ。それがお兄様の教えです。義妹として、私はその教えを守ります。私に勝ち筋があるとすれば、このルートだけでしょう。不本意ではありますが……」


「なるほど、君の覚悟は分かった」


 頷いてから、スオラハティ辺境伯は周囲を見回した。お兄様が帰って来てはいないか確認したんだろう。こんな話をお兄様に聞かれるわけにはいかないからね。護衛の騎士たちが頷いて見せると、辺境伯は少し笑って視線を私に戻す。


「しかし、今の私には君を支援する理由は無い。私だって、人並みの独占欲はある。むしろ、私にとって君は邪魔者だ。排除したほうが得なのではないかな?」


「いいえ、それは違います」


 正念場だ。私は両手をぐっと握り締めた。ここで辺境伯様に自分の有用性を示せなければ、私は一生を敗北者のまま終えることになる。


「私はお兄様の義妹、つまりは身内です。軍機の類はさておき、私的な生活の情報を収集するのは容易い立ち位置ということですね。どれほど優れた軍略家であっても、正確な情報がなければ判断を誤ってしまいます。恋という戦争でも、それは同じことでしょう。つまり……」


「君が私の間諜スパイになってくれると」


「はい」


 ドキドキしながら、私は頷いた。辺境伯様は落ち着いた様子で、香草茶の入ったカップを口に運ぶ。


「……まあ、いいだろう。確かに、私も手詰まりを感じていたところだ。この辺でひとつ、攻勢をかけてみるのも悪くない」


「では……?」


「君にひとつ、試練を授ける。それを達成すれば、君とアルが私的な関係を結べるよう手助けしてあげよう。……ああ、勘違いをしてはいけないよ。私がやってあげるのは、あくまで関係の公認と外野からの妨害の排除だ」


 にやりと笑って、辺境伯様は人差し指をゆっくりと振る。


「アルが君を拒否するようであれば、私は彼の肩を持つ。ミンネなんてものを持ち出したのだから、騎士として恥ずかしくない方法で口説き落とすべきだよ」


「……ッ!」


 私は心の中でバンザイの声を上げた。どうやら、第一関門は突破したらしい。もちろん、私だって辺境伯様の名前を借りて強引にお兄様に迫る気はない。……そんなことしたら、間違いなくぶっ殺されちゃいそうだし。


「ありがとうございます、辺境伯様。それで、試練というのは……」


「私とアルと、そしてソニアの仲を取り持ってくれ」


「えっ、ソニア……様!?」


 私の顔から冷や汗が噴き出した。猛烈に嫌な予感がする。


「私が描いている絵図は、アルとソニアが正式に結婚し、その裏で彼と愛人関係を結ぶ……というものだ。アルを後夫にしたいという気分はもちろんあるが、娘の恋路を邪魔するわけにはいかん。君と同じように、私も妥協をしているんだ」


「は、はあ……」


 つまり、スオラハティ辺境伯はソニアと事を構えるつもりはないという事か。『ソニアの足を引っ張りますから!』なんて言わなくてよかったわ。


「しかし、ソニアはそれが気に入らないらしくてね。家を飛び出して、それっきりだ……だが、私もこれ以上は譲歩できない。ソニアと仲直りをしたいし、アルとも男女の関係になりたい。君にはその手伝いをしてもらう。いいね?」


 無理よ、そんなの!! 私は内心で叫んだ。彼女が自分の母親に抱いているであろう感情は容易に想像できる。それを解きほぐして、母娘で男を共有する手伝いをしろ? いや、絶対ムリじゃないの!?


「あ、それとは別口に、アルの護衛も頼みたいね。彼は有能な騎士だが、自分の命を躊躇なく投げ捨てようとする悪癖がある。それでも、ソニアが居れば大丈夫だと思っていたが……いくら娘が有能でも、一人ではどうにもならないこともある。今回のようにね……」


「……ええと、その、つまり……私にソニア様の代わりが務まるような騎士になって欲しいと。そういうことですか?」


「そうだ」


 ……ソニアって、ガレア最強の騎士の一人とか言われてる女なんだけど、それと同じくらい強くならなくちゃいけない……ってコト!? 無茶! ムり! だいぶムリ!


「……わかりました。お任せください」


 辺境伯様の出した条件は、二つともとんでもない無理難題だった。しかし、拒否をすればお兄様を手に入れる機会は一勝失われる。私は泣きそうになりながら、頷くほかなかった……。

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