第137話 メスガキ騎士と重鎮辺境伯

 私、カリーナ・ブロンダンは眠気をこらえていた。濃いめに淹れてもらった豆茶にミルクをたっぷり入れ、一気に飲み干す。昨夜はずいぶんとバタバタしていたから、短い時間しか眠ることができなかった。おかげで少し暇な時間が出来るとすぐに瞼が重くなってしまう。

 それでも、多少なりとも眠れただけマシだ。お兄様なんか、一睡もしないまま夜通し国王陛下の捜索をしてたからね。私も手伝おうとしたけど「そのトシで夜更かしなんかしてたら、背が伸びなくなるぞ」って言われて断られちゃった。確かに、私が居ても足手まといになるだけかもしれないけどさ……自分が頼られなかったのは、ちょっと悲しい。

 とはいえ、私が役立たずだというのは事実だから仕方ない。今だって、指揮用天幕ではいろいろな人が資料や地図を見ながらアレコレ話し合っているというのに、私は隅っこの方でボンヤリしていることくらいしかやることがない。情けないったらありゃしないわ。


「やあ、随分と眠そうだね」


 そこへスオラハティ辺境伯がやってきて、私の隣に置かれた折りたたみ椅子に腰を下ろした。そう言う辺境伯もひどく眠そうな表情で、目の下には微かにクマができている。この人はお兄様と一緒に一晩中あちこち駆けずり回ってたみたいだから、そりゃ疲れてるわよねえ。


「裏の休憩用テントで一眠りしてきても構わないよ」


「い、いえ、大丈夫です」


 心配そうな様子の辺境伯に、私はあわてて首を左右に振った。この人は、私みたいなガキにもよく気を使ってくれる。本当に、あの鬼みたいなソニアの母親とは思えないくらい優しい人よね。アイツなら、「そんなに暇なら腕立て伏せでもしてたらどうだ?」くらい言ってると思う。


「……自分こそ休んだらどうだ、という表情だな」


 そう言って、スオラハティ辺境伯は苦笑した。そこへ従士が香草茶の入ったカップを持ってきたので、辺境伯は一礼してからそれを受け取った。湯気の立ち上るカップをあおり、ほっと息を吐く。


「年を食うと体力が落ちていけないな。十年前なら、この程度は全然平気だったんだが……」


「そ、そんなことは……」


 なにしろ相手はかなりの偉い人だから、私は冷や汗をかきながらその言葉を否定した。私だって一応伯爵の娘だったわけだけど、辺境伯の治めるノール辺境領と私の実家があるズューデンベルグ伯爵領では、領地としての規模が天と地ほども違うわけだし。気兼ねするなってほうがムリよ。


「とはいえ、今はちょっと眠れる気分ではなくてね」


「……ええと、その、私も同じ感じです。お兄様は大丈夫かなって、心配で」


 あの軟派な王太子サマに連れていかれてしまったお兄様のことを考えると、どうも眠りたいという気分じゃなくなっちゃうのよね。あの人、普通にお兄様を狙ってる感じだったし……。まさかとは思うけど、そのまま連れ去られちゃったりしないわよね……?


「そうだな、確かに落ち着かない。……ここだけの話、王太子殿下にアルを預けるのは反対だったんだが」


 周囲に聞こえないよう声を抑えながら、スオラハティ辺境伯は言う。たぶん、みんなそう思ってるんじゃないかな。アデライド宰相なんて、すごい顔色になってたし……。


「男癖があんまり良さそうな方ではないですしね。お兄様ってば、純情だから簡単に騙されちゃいそう……」


 軍隊育ちなせいか、お兄様は女の人に対する距離感が近いのよね。その癖、女の性欲には鈍感だし……ああいう遊び人からすれば、カモみたいなもんでしょ。ちょっとヤバイんじゃないかって思うんだけど、相手は王太子だし断ることもできない。ヤな感じ。


「それもある。しかし……どうやら私は殿下から疎まれているような気配があるからな。男女の感情以前の問題で、私たちとアルの離間工作を仕掛けてきそうな気がするんだ」


「ああ……」


 辺境伯の言葉に、私は思わずうなってしまった。そりゃ、そうならないほうがおかしいわよね。君主と有力な地方領主が仲良しこよし、ということはあんまりない。なんといっても、反逆が怖いからね。

 しかも、今回はあの第三連隊とかいう部隊の件もある。王軍に所属しているにもかかわらず、別の領主貴族の影響を受けているというのは、あの連隊長もお兄様も一緒だもの。当然警戒するわよ。とはいえ、殺すのは惜しい……だったら、自分の陣営に取り込んでしまえ。王太子殿下がそう考えていても、おかしくは無いわ。


「まあ、流石に王太子殿下も、オレアン公やグーディメル侯に続いて私まで敵に回すようなつもりはないだろう。今回に限って言えば、アルは無事に戻ってくると思う。……しかし今後のことを考えると、気が重い」


 寝不足のせいか、辺境伯は若干弱気になってるみたいね。気持ちはすごくわかるけど……。正直に言えば、平和的に人材の取り合いをしているだけなら私には無関係なのよね。辺境伯陣営だろうが王太子陣営だろうが、私のやること自体は変わらないわけだし。

 とはいえ、やっぱりああいうナンパ女の下でお兄様が働くっていうのは、あんまりいい気分はしないけどね。とはいえ、現状だってタチの悪いセクハラ女の下で働いているんだから、似たようなものではあるんだけど。私としては、お兄様にはこの淑女的な辺境伯サマの直属の部下になってもらうのが一番安心できるかもしれない。

 ま、そうは言ってもこの辺境伯も、時々お兄様をヘンな目で見てるけどね。でも、お兄様は割とみんなからヘンな目で見られてるからね。今さらその程度ことを気にしてたら、やっていけないわ。ソニアやその部下の騎士たちの性欲でギラついた目つきよりは、辺境伯の切ない目つきのほうがだいぶマシよ。


「……はあ。しかし、そんなことは今考えてもしょうがないな」


 ため息を吐いてから、辺境伯は周囲を見回した。指揮用天幕の下では、参謀や下級指揮官たちが忙しそうに働いてるけど……方針がすでに決まっているせいか(一応名目上は)鎮圧軍の総指揮官であるはずのスオラハティ辺境伯は、手持無沙汰な様子だった。

 この作戦はお兄様がたてたものだけど、私にはそれがどういう内容なのかいまいちよくわからない。投降したはずの第三連隊やお城に居る軍楽隊まで集めて、派手なことをやろうとしてるみたいだけど……具体的に、グーディメル侯爵とやらとどう戦うのかは見えてこない。

 合戦場の策定やらなにやら、戦闘の前にはいろいろと準備しなきゃいけないことがある。でも、お兄様が命じたのは進軍ルートの検討のみ。そのほかの命令も、戦闘というよりパレードの準備というのが近いような代物ばかり。いったい、お兄様はどういうつもりなんだろうか……?


「とりあえず、アルが帰ってくるまでは私もやることがない。疲れているのは確かだから、横になるくらいはしておこうか。カリーナ、君も一緒に来なさい。私の護衛ということにしておいて、一緒のテントで寝れば周囲の目は誤魔化せる。あとで他の連中にあれこれ言われる心配はないよ」


 にっこりと笑って、スオラハティ辺境伯はそう言った。確かに、私だけで寝ていたら「兄であるアルベールや周囲が頑張っているのに、一人だけ休むなどけしからん!」という話になってしまう。どうやら、辺境伯はそれを心配してくれているらしい。思わず、胸の奥がジンと熱くなった。本当にどこぞの鬼みたいな副官やらセクハラ宰相やらとは大違いね!

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