第119話 秀才連隊長の決心

 わたし、ジルベルト・プレヴォは、香草茶を飲み干してから大きく息を吐いた。わたしは、人生の大半を軍務に捧げて生きてきた。その経験により磨かれてきた感覚が、自分たちに破局が迫っていることを知らせていた。部下たちも、同様の感覚を覚えているのだろう。わたしたちの居る指揮用天幕の下には、鉛のように重い空気が流れていた。


「前線はほとんど崩壊状態です。未確認の新型砲……らしきもので前衛は滅多打ちにされ、統制もままなりません。さらに、王城から出撃してきた近衛騎士団が後方で暴れており……いや、後方といいますか、先ほどまでの前線なのですが」


 伝令士官が、ひどく言いづらそうな口調で説明する。


「要するに、どちらが前でどちらが後ろかもわからないほど戦場は混乱しているということだな」


 香草茶のカップを叩き割りたい衝動をこらえつつ、わたしはそう言った。もはや、戦場は制御不能な状態になっている。これが二正面作戦の末路か。まあ、そうもなるだろうな。ブロンダン卿の部隊と接触した時点で王城の包囲を解き、戦線を整理するのが正着だったのだろう。

 ……いや、その場合はもう二度と王城の包囲はできなかったかもしれない。結局、一番の問題は戦力不足だ。クーデターに参加した部隊は我々だけではないが、それらの部隊は妙に動きが鈍い。おまけに、街に避難民があふれるようになってからは、連絡すらできない状態になっている。連携した作戦行動を行うなど、不可能だ。

 我が連隊が単独で動いている限り、ブロンダン卿の部隊と正面から戦えば必ず負ける。兵士の質は同じ程度だろうが、武器の差が大きい。もしかしたら、指揮官の差も……。この差を埋める手段を、わたしは持ち合わせていなかった。


「とにかく、今は統制を取り戻すべきです。遅きに失した感はありますが、いったん退いて部隊を再編制したほうがよろしいでしょう。こんな状態で戦っても、被害がむやみに増えるだけです」


「こんな状態で撤退などしたところで、それは潰走と変わらないだろう! それこそ、余計な損害を被ることになる!」


 参謀が意見を出すと、また別の参謀がそれを激しく否定する。先ほどから、こんなことがずっと続いていた。混乱しているのは前線だけではない、ということだ。並み居る参謀たちも、そしてわたし自身も……この状況を打破できるような名案は持ち合わせていなかった。

 『とにかく部隊を安全な場所まで撤退させて態勢を整えるべき』……正しい。『この状況で敵に背中を見せれば、挽回不能なレベルの損害が出る』……これも正しい。つまり、どんな選択肢を取ろうが、結局大きな人的被害が出るということだ。蛮族や敵国の暴威から主君と衆民を守護する役目を追っているはずの兵士たちが、こんな無為な戦いで大勢死ぬ。本当に馬鹿らしい……。


「そういえば、オレアン公とイザベル様はいずこにおられるのですか?」


 そんなことを考えていると、参謀の一人が聞いてきた。オレアン公と、その嫡女であらせられるイザベル様、この反乱の首謀者とも言える二人は、姿をくらませたままだ。体調不良を理由に登城しなかったオレアン公はもちろん、王城に居たはずのイザベル様もわたしたちの前には一度も現れてない。

 もちろん、イザベル様は王城内で近衛騎士団に捕縛されたわけではないだろう。もし宰相派閥がイザベル様の身柄を押さえているのなら、こちらにむけて喧伝してくるはずだからな。そちらの方が、話が早くて良いのだが……。まったく、人に嫌な仕事を押し付けて……お二人は、いったいどこへ行ってしまったというのだろう?


「……」


 わたしが黙り込んでいるのを見て、参謀たちも釣られたように口を閉じた。先頭に立って旗を振るべき人々が、なぜ姿を見せないのか。まさか、逃げたのでは……そういう嫌な想像が、周囲に伝染してしまったのだろう。……嘘でも、オレアン公やイザベル様は別の場所で戦っていると言うべきだっただろうか? 

 確かに、この戦いに勝ち抜くためには嘘でもなんでもついて兵を鼓舞するべきだ。しかし、この状況から挽回しようと思えば、多大な努力と犠牲が必要だ。そのコストを支払うだけの気力は、もはやわたしにはなかった。こんな無意味な戦いで、兵たちに死兵になれと命じることができるような厚顔無恥さは、持ち合わせていないのだ。


「……」


「……」


 その沈黙は、重い帳のようだった。静かな指揮所の中と対照的に、戦場は騒がしい。前線の方からは、ひっきりなしに銃声と砲声、そして兵たちの悲鳴が響いてくる。確認せずともわかった。悲鳴を上げているのは、こちらの兵士たちだ。

 ああやって、虎の子のライフル兵中隊も壊滅したのだろう。百数十名いた兵士も、中隊長のエロディも、誰一人帰ってこなかった。エロディは調子に乗りやすいという悪癖はあったが、決して悪い指揮官ではなかった。まだ開発されたばかりの新兵器を大胆に採用し、新戦術を作り上げる……こんなことは、並みの指揮官ではできない。惜しい人材を亡くしたものだ。


「どうされますか、連隊長」


「……」


 参謀が捨てられた子犬のような表情で問いかけてきたが、そんなことはわたしが聞きたいくらいだ。この状況で、わたしに何が出来る、なにをやるべきなのか? 小さく息を吐いて、懐から煙草入れを取り出した。表面に精緻な文様が刻印された、銀製のものだ。

 ……そういえば、この煙草入れは初陣の直前に父上から贈られたものだったな。鼻の奥がツンとして、反射的に目を逸らした。手の感覚だけを頼りにして一本取り出し、口にくわえる。従士が慌てて火縄を持ってきたので、それを使って先端に火を灯した。


「ふう……」


 これがわたしの人生最後の煙草になるだろうな。そんな考えが頭をよぎるころには、わたしの考えはすでにまとまっていた。煙草をつまむ自身の指が小さく震えているのを見て、思わず笑う。多くの兵を死地に送っておきながら、自分が死ぬのは怖いのか。我ながら情けない女だ。


「これ以上、余計な死者を出すわけにはいかない。戦っているのは、王国軍人同士なんだ。こんな事態になって得をするのは、ガレア王国の敵だけだろう。だから……」


「北西大路の部隊より伝令! 騎兵部隊による攻撃を受けているようです」


 そこへ、息を切らせた伝令兵が飛び込んでくる。参謀たちの間に、緊張が走った。現状ですら、我々の部隊の対処能力はパンクしているんだ。さらに新手が現れたとなると、もうどうしようもない。予備戦力なんて、とうに払拭しているんだ。迎撃すらままならないまま、北西大路は突破されるだろう。


「未確認情報ですが、敵部隊の先頭には青薔薇の紋章付きのサーコートを着た騎士が居たという情報もあります」


「青薔薇の紋章? ブロンダン家の家紋じゃないか。指揮官先頭とはな、男騎士の癖に気張るじゃないか……」


 参謀のひとりが、笑いながら言った。その声音からは、自分たちの前には姿も現さないオレアン公爵家の連中への恨み節がはっきりと感じられた。

 ……北西大路といえば、私たちのいる連隊指揮所に最も近い大通りだ。どうやら、ブロンダン卿も気付いたらしいな。もっとも少ない犠牲でこの無意味な戦いを終わらせる方法に……。


「いいタイミングだ。迎撃はするな、ブロンダン卿の部隊は素通ししろ」


「は、しかし……」


 何か言い返そうとする伝令兵を手で遮ってから、わたしはまだ吸い始めたばかりの煙草を灰皿に押し付けた。まったく、残念だ。この一本を吸い終わるまでは、待っていて欲しかったな。


「白旗を用意しろ。このクソみたいな戦いに終止符を打ってくる」




 

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