第4話 くっころ男騎士と目に見えない首輪

 オレアン公。この国、ガレア王国最大級の貴族にして、保守派貴族たちを取りまとめる政界の重鎮でもある。当然、僕のような貴族社会の逸脱者は、彼女らからは目の敵にされている。


「連中がアル君の叙爵じょしゃくに反対するのは予想の範囲内だったが、まさか手のひらを返して君の任地を斡旋あっせんしてくるとは思わなかったよ。わかっていると思うが、確実に何かの陰謀を仕掛けてくるだろうな」


 先ほどまでのスケベな顔からは一転、ごく真剣な表情で宰相は僕に語り掛ける。なんだかんだといって、宰相は僕の支援者には違いない。こういった状況では、親身になって対応してくれる。こういうところがあるから、彼女のことは嫌いになれなかった。童貞特有のチョロさというヤツだ。


「それはまあ、確実でしょうが。しかし問題は、何を仕掛けてくるのかわからないという点にあります。リースベンなんて地域、今まで全く聞いたことがないですし」


 リースベンは僕の任地になる予定の地域だが、南方の開拓地であるということ以外の知識はまったくない。僕が特別不勉強な訳ではなく、中央に勤める貴族のほとんどが一度として聞いたことがない名前だろう。つまり、それほどの辺境というわけだ。


「リースベンはわが国南部の半島にある開拓地でね。半島自体はそこそこ大きいが、エルフをはじめとする蛮族どもがウヨウヨしているから、入植はあまりうまくいっていない」


 とはいえ、このアデライド宰相はこの国の外務・内務を取り仕切る人物だ。当然、知識面では非常に頼りになる。


「おまけに、神聖帝国と国境を接しているのだからタチが悪いぞ。我が国ガレア王国と神聖オルト帝国という二つの大国に挟まれ、現地は蛮族だらけと来ている。いわゆる火薬庫といっていい場所だ」


「それは、また……」


 僕は顔をしかめた。エルフが居る、というのが特に聞き捨てならない。連中は森に潜み、優れた魔術と弓術で平原の民を襲い、食料や男を略奪していく。先日交戦したオークよりもよほど厄介な蛮族だった。

 この世界にはエルフをはじめ、様々な異種族がいる。ガレア王国は爬虫類の特徴を持った種族、竜人ドラゴニュートが多いし、お隣の国である神聖帝国は獣人セリアンスロープ、つまり狼や獅子などの特徴を持った種族が統治している。


「つまり、僕は厄介な情勢にある辺境へ島流しになる、という訳で?」


「まあ、そうなる。早馬を使っても、王都からリースベンまでたどり着くには半月以上の時間がかかるんだよ。何か異変が起こっても、助けを寄越すにはかなりの時間が必要になってくる」


「暗殺だの襲撃だの、やりたい放題ができそうですね」


「流石にそこまで直接的な手段には出てこないと信じたいんだがねえ」


 香草茶で唇を湿らせつつ、宰相は遠い目で窓の外を見た。


「そもそも、アルにそのような遠方に出向かれるのは困るんだよ、分かっているのかね? 私の日々の癒しはどうなるんだね、キミ」


「ハハァ……」


 そんなもんは知ったこっちゃない。いや、美女からのセクハラがなくなることには若干以上の残念さを感じるが、本気になるにはあまりにも相手の地位が高すぎる。本気になってはいけない相手に誘惑されるくらいなら、いっそ付き合いを断った方がマシだというのが童貞の思考回路というものだろう。僕の忍耐力にも限界がある。


「厄介な案件を僕に押し付け、わざと失敗させる。やはり男の騎士など役立たずだと喧伝し、僕を失脚させる……向こうの狙いは、こんな感じでしょうかね」


「おそらくは。しかし、向こうも腹の黒さには一家言ある政治屋だ。さらに厄介な陰謀が隠れている可能性も、十分にあると思うのだよ」


「でしょうね」


 腹の黒さならば目の前の女も負けていないだろうが、まさかそんなことを口に出すわけにもいかない。僕は神妙な表情で頷いた。

 事実として、オレアン公は海千山千の高位貴族だ。油断をすればあっという間に足をすくわれてしまうだろう。


「部下たちにもそれとなく伝えておきましょう」


 幸いにも、任地には今の部下をそのまま連れて行っても構わないことになっている。完全武装の騎士が二十四名と、それを補佐する従士たちだ。圧倒的な数のオーク山賊団を蹴散らして見せたように、練度は極めて高い。頼りになることこの上ない連中だ。


「それがいいだろう。……確か、オレアン公にあの生臭司教が入れ知恵をしてから、突然リースベンを勧めはじめていたな。聖界も一枚嚙んでいる可能性もある。教会には私もツテがあるから、少し調べてみよう」


「助かります」


 セクハラ女には違いないが、こういう部分では宰相は頼りになる。僕は深々と頭を下げた。彼女は鷹揚に手を振ってそれに応え、こう続けた。


「しかし、情報は出せても流石に兵力までは貸すのは難しい。そして、君の手持ちの戦力は騎兵が二個小隊と、あとは現地の衛兵程度。緊急時には平民から兵を徴募する余裕もないだろう。少々、心細いのではないのかね?」


「……」


 そう言われれば、僕は黙るしかない。いかに精鋭であっても、それを無力化する手段などいくらでもある。"敵"がどういう手を打ってくるかさっぱりわからない以上、警戒はいくらしても足りないくらいだ。


「そこで、だ……」


 ニンマリと笑って、宰相は懐から紙切れを取り出した。笑顔を顔に張り付けたまま、それをテーブルの上にそっと乗せる。


「特別に、利子は格安にしてあげよう。なんといっても、私とアル君の仲だからねえ?」


 思わず、顔が引きつった。差し出されたのは、小切手だった。目がくらむような桁の額面が、そこには書かれている。有難い。本当にありがたい。これだけあれば、万全の準備を整えることが出来る。

 が、これは借金である。そして、利子もある。さらに言えば、僕はこの女から既に結構な額を借り入れている。このままでは、借金で首が回らなくなる。ヤバイどころの話じゃあない。


「……いつもありがとうございます」


 が、僕にはこれを受け取らないという選択肢はなかった。なにしろ、リースベンへの赴任はすでに決定している。退路は断たれている、というわけだ。まったく、やはりこの女も相当にタチが悪い……。


「まあまあ、そんな顔をするものじゃないぞ。無理に返済を迫るようなマネはしないからねえ? 安心するがいいさ、くくく……」


 宰相はニタニタと笑いつつ、いやらしい手つきで僕の首筋を撫でた。

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