円島支社へ戻ったのは
円島支社へ戻ったのは定時を回った午後六時過ぎだった。
孝士が事務所へ入りなかを見渡すと、やけにすっきりしている。その場には、寺石しかいなかった。
「あれ、支社長は?」
「ちょっと前に簾頭鬼さんと出ていったよ。折戸くんもいっしょ。コレよ、コレ」
寺石は片手を口元にもってゆくと、お酒を飲む仕草をした。
ああ、なるほどと肯き、納得する孝士。中田支社長は左党でないはずだが、今夜は簾頭鬼の接待といったところだろう。なにせあの世にある輪廻管理センターは、霊界データバンクの大事な取引先だ。これも仕事のうちである。
ならば帰社が遅くなったのは幸いだった。おかげで誘われずにすんだ。孝士は下戸だったし、酒の席は苦手なのだ。
孝士が自分の事務机に着くと、寺石は帰り支度をはじめた。
「針村くん、今日はすぐに帰るの?」
「あいえ、ぼくちょっと調べたいことがあるので」
「そう。じゃあ最後の戸締まり、お願いね」
「わかりました。お疲れさまです」
寺石が帰宅し、ひとりきりになると、孝士はコンビニで買ってきた夕食やお菓子をビニール袋から出して机に並べた。そうして自宅と連絡を取り、電話に出た母親へ今夜は帰りが遅くなる旨を伝える。
重い気分でデスクトップパソコンの電源を入れた。残業は憂鬱だ。しかし、岩元のことは清水と約束した手前、放り出すわけにもいかない。
コンビニのざるそばをすすりながら、孝士はまず霊界データバンクのデータベースへアクセスした。社員用の認証コードを入力。ディスプレイにホーム画面が表示される。検索ボックスへ岩元に割り当てられたIDナンバーを打ち込み、検索する。結果はすぐに出た。
所在不明。これは以前、霊子センサーで検知され管理用のIDナンバーが振られたものの、その対象となる幽霊が現在どこにいるのかわからないということだ。成仏してこの世から消えたわけでもない。もしそうなら輪廻管理センターのほうで処理され、連携先のこちらへ通知があるはずだ。
つまり岩元はあの世に逝っておらず、現世の霊子センサーにも反応がない。完全に行方を見失った状態である。昨日、孝士が臼山霊園で所在を確認したのを最後に。
つづいて孝士は臼山町限定として、所在不明になっている幽霊の数を調べた。岩元を含め、七体いた。自分の知らないあいだに、そんなにも幽霊が消えてたのかと孝士は驚いた。地域巡回の仕事にも慣れてきて、担当地域のマネジメントが甘くなっていたようだ。
しかし孝士とて、新たに亡くなって加わったり成仏したりする臼山町の幽霊の状況を、すべて把握しているわけではなかった。だいたい幽霊は気ままだ。想定外の理由で担当地域外へさ迷い出るときもあったりする。加えて休日などは、アルバイトの臨時職員が正社員に代わって担当地域を回る。その両者での業務引継が密でない場合でも、調査記録に食い違いは生じる。
消えた幽霊はいずれも数日おきに一体か二体が所在不明となっていた。それぞれの最後の足取りを調べたが、一貫性は見られなかった。強いていえば、臼山霊園に割と近い場所に集中していると思えなくはないが──
この現象が起こりはじめたのは八月の下旬からだ。簾頭鬼の話していた、お盆を過ぎてからもあの世へ戻っていない霊魂の件と、発生時期が近いのが気になる。
「は~あ……」
わけがわからない。孝士はビジネスチェアの背もたれに寄りかかり、脱力した。液晶モニターの光がやけにまぶしく感じられ、目を細める。いつのまにか室内が暗い。外はもう陽が落ちて、夜になっている。
よっこらせと、おっさんくさいかけ声をして孝士は立ちあがった。事務所の照明のスイッチがある壁際まで歩き、それを点ける。
ふたたび机に向かった孝士は難しい顔で両腕を組み、ない知恵を絞った。
それにしても、消えた幽霊たちはどこへいったのだろう。きれいさっぱり消滅したのか。いや、完全に無になることはないはずだ。幽霊とは、負の感情に満ちた魂が霊子の集まりに宿ったものだと聞いた。形而上的な存在ゆえ常識では測れないが、霊感や霊子センサーで感知することはできる。それらの影響が及ばない場所が、どこかにあるとでもいうのか。そのせいで幽霊たちを見つけられないのでは。
あの世でもこの世でもない場所。超常的な力が作用──もしくはそれを遮断──する、神秘的なフィールド。孝士が思いついたのは、鎮守の森だ。臼山神社の周辺の森がそうである。神体などを祀った神社のそばは、常世と現世の狭間というのが一般的な認識といえる。わざわざ神社の周りに植樹をして森を作る場合もあるのだ。森か。そういえば今日の昼間、清水が臼山霊園の南側にある森の話をしていた。しかし、あそこは神社ではない。
そこで孝士はふと気づいた。待てよ。まれびどんだ。あの森は、まれびどんを封じた外法古墳に近い。とすれば、あそこも鎮守の森となるのかもしれない。
清水はあの森をずいぶん恐れているようだった。
なにか、へんなモノがいる──
孝士の脳裏に清水の言葉が甦る。いったい、なんのことだろう。まれびどんのことではあるまい。あれは臼山神社の百萬坊大権現と同じく、何百年も前に封印されたはずだ。
頭痛がしてきた。おそらく普段ほとんど使わない脳みそをフル回転させたせいだ。
孝士は今回の件が、自分の知識ではどうにもならないことを理解した。帰ろう。明日、中田支社長か折戸に相談するしかない。
散らかった机の上を片づけていると、事務所のドアが開く音がした。孝士がそのほうへ首を回すと、入口の三和土がある壁の窪みのところから、簾頭鬼の顔がにゅっと現れた。
「お疲れさまですう~」
「あれ、簾頭鬼さん、みんなと飲みにいったんじゃなかったの?」
と孝士。
「はい~、そちらはもうお開きとなりましたあ~。中田支社長がソッコーでべろべろに酔っ払っちゃってえ~。いま折戸様とお、ご自宅のほうへ送ってきたところですう~」
中田支社長の家は臼山神社のすぐ裏だ。覆盆子原れのんもそこでいっしょに暮らしている。
見るからに上機嫌の簾頭鬼は、そのまま事務所内にあがってきた。
「いやあ、でもいいお酒でしたよお~。わたくし、お土産までもらっちゃいましたあ~」
言って、簾頭鬼が手に持っている紙袋を掲げて孝士に見せた。なかを覗き込むと、日本海で獲れる魚介類の加工品がどっさり詰め込まれている。のどぐろの干物、くちこの真空パック、たらの子缶詰──貧相なコンビニ飯で腹を満たしたばかりの孝士だったが、なんだか無性に炊きたてのご飯がほしくなってきた。
「そういえば簾頭鬼さん、なにかわかりました? 例の、あの世に戻ってない霊魂について」
すると、孝士に問われた簾頭鬼は表情を曇らせて、
「いまのところ順調とはいえませんねえ~。輪廻管理センターでのデータ分析は難航しているようですう~。──おやあ、針村様もお、なにかお調べになっていたんですかあ~?」
パソコンのディスプレイに映っている所在不明な幽霊のリストに気づいたのだろう。簾頭鬼は身を乗り出してその画面を見た。孝士に身体を寄せてきた彼からは、ぷんと酒の匂いがする。もともと顔が赤いため、酔っているのかはわからなかったが。
孝士は臼山町の担当地域で幽霊が減っていること、それらが消えたのは臼山霊園南部の森と関係があるのではないかという自分の考えを、簾頭鬼に話して聞かせた。
「なるほどお~──」
普段は折戸が使っている席に腰をおろした簾頭鬼は、がっしりした顎に手をやるとしばし考え込んだ。
「たしかに外法古墳の外周も鎮守の森と呼べるかもしれませんねえ~。そもそもお、あそこらへんはまれびどんの影響で時空とか因果律が不安定になってますからあ、なにが起こっても不思議ではありません~」
「じ、じくう……」
と孝士。話がとんでもないことになってきた。
孝士は自分の頭のなかで生まれた想像が、手のつけられない怪物になってゆく気がしておののいた。冗談じゃないぞ。不慮の事故死につづいて幽霊や悪霊と関わることになり、今度は大昔の邪神だって?
「でも、まれびどんて封印されてるんでしょ。その状態だったら、なにもできないんじゃないですか?」
「いやいやあ、あなどってはなりませんぞお~。あれは古代の地球にいた旧支配者の生き残りですからねえ~。それにい、まれびどん自体が動けなくともお──」
深刻な顔つきの簾頭鬼は、そこでなぜか急に口ごもった。
「……なんです?」
尻切れとなった相手の言葉に不穏を感じる孝士。が、簾頭鬼は表情をくるっと一変させると、
「まあ、いずれにせよお、これは早急に調査が必要ですねえ~」
「簾頭鬼さん、調べてくれるんですか?」
「いやだなあ、われわれふたりで、ですよお~。針村様はあ、車の免許お持ちでしたよねえ~?」
「えっ、ぼくも!?」
自分自身を指さし、孝士は目を丸くした。
「はい~。わたくし、明日の朝一であの世へ戻らねばなりませんのでえ~。じゃあ、さっそくいまからまいりましょうかあ~」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます