事態が急変したのは
事態が急変したのは翌日だった。
篠宮は姿を消したままだ。帰宅した孝士が夕食を済ませ、風呂に入って自室へ戻ると、スマホの通知音が鳴った。ルートナビからのイベント通知。孝士のスマホにインストールしたそれが、緊急の要件を告げている。
胸騒ぎをおぼえつつ孝士はルートナビを起動した。予感は的中だった。要対処の発生。臼山町のとある場所にチェックエリアが現れている。
孝士はスマホの画面をタップし、詳細な情報を表示させた。ルートナビは霊子センサーからの情報を受け、過去に検知した幽霊へIDナンバーを振って個別管理している。孝士が目にしたIDナンバーは、篠宮のものだった。
──篠宮さんが要対処に指定された!?
孝士は着の身着のままで家の外へ飛び出した。チェックエリアは自宅から二キロほど離れた場所だ。自転車でただちにそこへ向かう。
閑静な新興住宅地に着いた。ルートナビは、そのあたりのおよそ半径一〇〇メートルで描かれた円のなかを、チェックエリアとして表示している。激しい運動で息を切らせる孝士は、スマホを確認しながら周辺を自転車で流しはじめた。が、篠宮は見つからない。するとそこへ見覚えのある自動車が現れ、後ろから孝士を追い抜いてすぐ停車した。
「おーい、ハリソン」
まっ赤な3ドアのハッチバック。折戸が通勤に使っている車だった。その運転席の窓から首を突き出し、折戸が声をかけてきた。
孝士が近寄り横に並ぶと、助手席にはれのんが乗っている。彼女の姿を見て、孝士は息をのんだ。
「折戸さん、それに、れのんも……」
要対処の件が発生し、れのんが出てきたとなれば、そういうことだ。先日、彼女がぼろアパートの悪霊を霊子力ビームで消し去ったときのことが孝士の脳裏によぎった。
「要対処の件ですか?」
自転車に乗ったまま身を屈ませ、車中のふたりへ孝士が訊く。
「ああ。支社長から連絡あってな。れのんとすぐに向かってくれって言われてよお。まいるよなあ、時間外労働だぜ」
ぼやく折戸はノータイのワイシャツ姿。その隣にいるれのんはTシャツに短パンというラフな私服だった。いつものポニーテールをほどいた洗い髪からは、シャンプーの香りがする。どちらも急に連絡が入り、あわてて現場へ駆けつけたことが窺える。
地域担当である自分を素通りして折戸のところへ指示が出たのかと、孝士は気落ちした。とはいえ、いまの自分の仕事ぶりならば仕方のないことだったが。
「ハリソンも呼び出されたの?」
とれのん。
「いや、ぼくはルートナビの通知を見てきたんだ。それでいま、少し近場を調べてみたけど見つからなかったよ。そっちは?」
孝士の言葉に折戸は顔を曇らせた。
「おれらはきたばっかだ。この様子じゃ、もう消えたかもな」
「うん。どこにも気配は感じられないね」
霊感の鋭いれのんが言うのなら、きっとそうなのだ。手詰まりを感じ、孝士は細いため息を漏らした。
「でも、要対処になったってことは、篠宮さんの負のエネルギーが高まってるってことなんですよね? 彼女、いったいなにをするつもりなんだろう……」
少しの沈黙が流れた。三人とも、およその見当がついているものの、それを口にするのはためらわれた。と、そのうちれのんが、
「ね、あの大学生のマンション、いってみたほうがいいかも」
「だな。場所どこだ?」
と折戸。
「うちの事務所からそれほど遠くありません。郊外の北側にある、山の斜面をコンクリートで固めたところの近くです」
孝士はスマホのルートナビで住所検索したマップを折戸に見せた。
「おし。乗れ、ハリソン。車のほうが速い」
最悪の事態はなんとしても防がなくてはならない。孝士は近くのガードレールに自転車をワイヤーロックで繫ぐと、折戸の車の狭い後部座席へ潜り込んだ。
街灯の少ない道路を折戸の運転する車はかなりの速度で走った。いくつか角を曲がって新興住宅地を抜け、大きな通りに出る。
折戸はさらに車の速度をあげた。かと思うと、彼はいきなりブレーキをかけて車を急停車させた。
「わぷっ!」
孝士が妙な声をあげた。後部座席にいた彼は、急停止の勢いで前席の背もたれにおもいっきり顔面を打ちつけてしまったのだ。おなじくれのんも、前につんのめってあやうくダッシュボードに頭をぶつけそうになっていた。
「もお折戸っち、気をつけてよ!」
身体に食い込むシートベルトを両手で握りしめたれのんが、折戸のほうを向いてそう喚いた。
しかし、折戸は前方を見据えたまま、しばらくぴくりとも動かなかった。
「……ちょい待てよ。れのん、その大学生の新しい彼女、おまえと同じ学校だって言ってたな」
「うん、そうだよ」
「その子の家の住所は?」
「え、実家は知らないけど、里保は寮だよ。学校の裏にある女子寮」
「そこだな──」
自分の顎を摑んだ折戸が、低めた声で言った。
「考えてみ。三角関係で男とられた女が、自分をよそにいちゃこらしてるふたりのうち、どっちに殺意を向けるかってことだ」
「どっちって、そりゃあ男でしょう。やっぱり自分を捨てた相手を恨むんじゃないですか?」
と孝士。それを聞いた折戸は額に手をあてると頭を何度も横に振った。
「かあーっ、ハリソンわかってない、お子ちゃま!! こーいうとき、横恋慕の女は自分の敵となる女のほうを排除しようとすんの! そしたらまた男と寄りが戻るって思っちゃうの!」
「ええっと、そうなの……?」
孝士が戸惑いつつれのんへ訊いた。だが、急に振られたれのんのほうも、折戸の言っていることがよく理解できないでいるようだ。
「あ、あたし知らないよ! だって、まだ未成年だし……」
なんのこっちゃ。車内が暗くてよく見えなかったが、れのんはちょっと頬を赤く染めている。そこからすれば、どうやられのんも男女関係のあれこれには疎いようだ。
「とにかく、おれの勘だと要対処の幽霊は里保って子を狙うはずだ。こりゃあ、やっべえぞ!」
折戸は言うと、車をUターンさせてアクセルをべた踏みした。
夜の臼山町にやかましいエンジン音が響く。進路を一転し、三人は円島女子商業高校の女子寮へと急ぎ向かった。
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