いよいよ出社一日目が

 いよいよ出社一日目がはじまった。

 キーボックスから車のキーを取り出した折戸が孝士を引き連れ、事務所を出ようとする。その際、寺石が孝士に一台のタブレットPCを手渡した。支社の備品で仕事に使うものだそうだ。そうして孝士と折戸は境内の裏手へ回った。臼山神社には裏側にも下に通じる小径があるのだ。狭い階段を降りると砂利敷きの空き地となっており、駐車場の代わりに使われていた。ふたりはそこで年式の古い軽四の社用車に乗り込んで、町へと出た。

 午前中ということもあるだろうが、田舎町の道路はひどく空いていた。ハンドルを握る折戸は車をのろのろと走らせつつ、助手席の孝士にレクチャーをはじめた。

「んじゃ、まずなにから説明すっかな。まあ霊バンの仕事っつーのはさ、水道メーターの検針員みたいなもんよ」

「はい」

 ピンとこないが、とりあえず返事をする孝士。

「ずばり言えば、臼山町とその周辺に幽霊がいるかいないかをチェックすんのな。事務所出るとき、寺石ちゃんにタブレットもらったろ。それのアプリ起動してみ。ルートナビってやつ」

 折戸に言われたとおり、孝士はタブレットPCの電源を入れた。ホーム画面が表示されると、そこにはアイコンがいくつか並んでいる。孝士は折戸が教えてくれたルートナビという名称がついたアイコンをタップした。

「映りました。地図、ですかこれ?」

「おう。それカーナビみたいなもんでな、タブレットのGPSと連動してんのよ」

「ほんとだ。ちょっとずつ動いてますね」

 いま孝士の見ているディスプレイには臼山町を真上から見おろした地図が表示されていた。たぶんその中心にある人型のマークが、孝士の持っているタブレットPCの現在地ということなのだろう。折戸と孝士の乗っている車が進むにつれ、地図がスクロールしている。タッチパネルでは指二本を使ったピンチアウトとピンチインで画面の拡大縮小もできるようだ。ルートナビはほかにも視点の変更や、文字を入力して場所を検索可能な作りになっている。操作に関して特にむずかしいことはなさそうである。

「おし、チェックエリア近づいてきたな。この先に赤い円があるの、わかるよな?」

 運転中の折戸が見ているのは社用車内に据え付けた彼のタブレットだった。それには孝士のとほぼおなじ画面が表示されている。

 このまましばらく進むと十字路の交差点だ。孝士はその周辺が赤い円で囲まれているのに気づいた。

「あーほらほら、あそこにいるだろ」

 折戸が言って、孝士の腕を肘でつついた。

 促された孝士はタブレットのディスプレイから顔をあげた。いるって、なにがだろう。車がさしかかった交差点付近を注意深く見回す孝士。しかし、そこに別段おかしなところはない。

「えっと、なにがです? おじさんがひとりいるだけですけど」

「あれ幽霊だから」

「ゆっ、うええっ!?」

 思わず妙な声をあげてぎょっとなった孝士は、折戸の横顔と交差点の男性を何度も見比べた。

 信号のない交差点でぽつんと佇む中年男性。歩道にいるそれと車がすれちがいざま、孝士は食い入るような視線を向けた。そして、気づいた。男性の身体は半透明で、その向こうの景色が、うっすらと透けて見えているのに。

「ゆ、幽霊って、うそでしょ!?」

「いや、ほんとだっての」

 あわてふためく孝士へ折戸はいたって冷静に言う。

「ぼく、幽霊って初めて見ました……」

「あ、そう? 簾頭鬼のおっさんの話だと、なんか一回あの世に逝った人間は視えるようになるんだと。理屈はわかんねーけど」

 と折戸。そして彼は孝士が持っているタブレットを顎でしゃくり、

「それよりほら、タブレットの画面にボタン出てるだろ。それの確認っての押せよ」

 言われて孝士がタブレットのディスプレイに目を戻す。すると画面の隅にチェックエリアの詳細を示すウィンドウが開いていた。あそこにいた幽霊の氏名、享年、死亡原因といった情報である。それによれば、あの幽霊は昨年、交差点で起きた交通事故で亡くなったのだとわかった。いわゆる地縛霊であり、死亡してからずっとあそこにいるらしい。

 情報ウィンドウのほかにも小さなダイアログボックスが開いており、こちらが折戸の言っていたボタンだろう。確認と未確認というふたつのボタンが表示されている。孝士はそのうちの確認というボタンを指先でタップした。

「押しました……」

「よっしゃ、上出来上出来。いまので一件終わり。つまりおれらの仕事は、毎日こーやって担当地域に幽霊がいるかいないかチェックして、その情報を更新すんの。マジでそんだけ。な、簡単だろ?」

 ほんとうに簡単である。しかしルートナビのマップには、まだたくさんのチェックエリアが残っている。臼山町だけで一〇カ所以上はありそうだ。まさか自分の住んでいる町に、こんなにも幽霊がいたとは。

 孝士は戸惑いを隠せない。冗談ではなく、あなたの知らない世界が実際に存在したのだ。しかも、それに関連した情報を調査する霊界データバンクなんていう、あやしげな仕事があったなんて。

 そこでふと孝士は思った。

「あのう、この情報って、なんの役に立つんですか?」

「わかんね。国勢調査みたいなもんじゃね? いまのご時世、役所はなんでもデータにしたがるからな」

「えっ、これってお役所の仕事なんですか?」

「まあ、その下請けってとこかなあ。うちの取引先には円島市も含まれてっから」

 意外な事実の判明に孝士はまたびっくりである。なんてことだ。霊界データバンクは、けっこうな優良企業じゃないか。地方の自治体と取引があり、それでいて仕事はラク。ならば、きっと給料も高給なのにちがいない。まさか自分がそんな仕事にありつけるとは。

 これはまさに人生における勝ち組である。将来安泰、順風満帆、福徳円満──孝士の脳裏には、つぎつぎと明るい未来のビジョンが浮かんできた。霊界データバンクの仕事に不安を感じていた自分が、ばかみたいだ。こんなことなら、もっとはやくあの世に逝って簾頭鬼と出会えばよかったなどと、とんでもない考えさえ浮かんでくる始末である。

「どしたの、おまえ?」

 急ににやにやしはじめた孝士を気味悪がって、折戸が訊いた。

「あ、いやなんでもないです。フヒヒ……」

 それからふたりは臼山町とその近隣の調査にかかった。ルートナビに従ってチェックエリアまで移動し、幽霊がいれば確認のボタンを押すという作業自体は完全にシステム化されているため、まったく問題なかった。問題があるとすれば、孝士が幽霊を見るたびにあわあわと取り乱すことだ。折戸はすぐに慣れると言ったが、それまでは精神的な疲労を伴いそうだ。

 しかし幽霊というのもさまざまな種類がいるのである。浮遊霊、地縛霊、背後霊、等々。さすがに経験豊富な折戸は、そのあたりの知識が深かった。基本、地縛霊などはひとところに留まるため見つけやすい。対して気ままに動き回る浮遊霊は確認しづらいそうだ。その場合はチェックエリアの周辺を地道に足を使って捜すしかない。ほかにも背後霊は第三者にくっついているケースがあるため、生前に縁のあった人物の所在を把握しておいたほうがよいなど、細かい点も教えてくれた。

 おどろいたのは、そういった幽霊の情報が仕事用のタブレットPCにほとんど入力済みなことである。本社のサーバーとインターネットを介して接続されており、頻繁にアップデートされているのだという。折戸の話では、これさえあれば地域巡回の仕事はなんとかなるらしい。

 ただし、やはり幽霊が相手という部分はネックである。仕事量も意外に多く、この時点でさっきまで浮かれていた孝士の意思は脆くも挫けそうになりはじめている。しかし後ろ向きとなった孝士を引き留めたのは、折戸の熱意ある指導だった。

 おれが手厚くサポートすっからと確約した折戸は、たしかに頼れる先輩に見えた。孝士もそれは認めるところである。とはいえ、普段から彼をよく知る者ならば、これには絶対なにか裏があると思っただろうが──

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