幽限會社 霊界データバンク
天川降雪
プロローグ
想像してみてほしい。
(この小説はフィクションです。実在の人物や地名、団体などとは関係ありません)
想像してみてほしい。
あなたが思い描くいちばんいやな死に方とは、どんなものだろうか──あ、ごめん。やっぱりいいです。誰も自分が死ぬところなんか想像したくないからね。
そりゃそうだ。よっぽど追い詰められでもしなければ、人は自ら死にたいなどと思わない。生存の持続は本能であり、生き物としてごくあたりまえの行動だ。外的刺激に反応するしかできないちっこい虫だって、指でつつけば命の危険を察知して逃げてゆく。それが高度な頭脳を備えた人間ならば、より慎重を期して自身の安全を確保するのは当然である。
そもそも自分がどんな死に様を迎えるかといったネガティブ思考は、あまり精神衛生上よろしくない。そんなことを考える時間があるなら、むしろ先の人生をどう生きて乗り切るか思い悩んだほうが、よほど健全で有意義だろう。
とはいえ──
一寸先は闇という言葉もあるように、人の一生はなにが起こるかわからない。たとえば運命や巡り合わせなど、有無を言わせぬ禍福と直面した場合、そこに当事者の思惑が入る余地はないのだ。
死は誰にでも平等に訪れる、決して逃れることのできない命の終着点。そして針村孝士の場合、それは事故という形で彼の身に降りかかった。
顧みれば孝士の人生はなんの起伏もなく、水面に浮いた枯れ葉のようで、彼は風に吹かれるままに生きてきた。割と裕福な家庭で小中高と平凡な子供時代を過ごした孝士は、勉強に打ち込むわけでもなく、恋愛やスポーツといった華やかな青春にも背を向け、ひたすらオタク系の趣味に没頭した。残念ながら、その泥沼に深く嵌まった時点で、もう彼の人生は真人間のレールから外れていたといえよう。
なんの責任を負うこともなく、遊んでも遊んでも時間が尽きないたのしい人生が、ずっとつづくのだと思っていた。そして特に興味もなかったIT系の専門学校を卒業後、孝士は社会に出た。就職先はソフトウェアベンダーだった。営業を任されたものの、世の中を舐めきったまじめ系クズの孝士にそんな仕事が務まるわけもない。わずか一年もせずに嫌気がさして自己都合退職である。しばらくはアルバイトや派遣で糊口を凌いでいたが、ジリ貧で生活が立ちゆかなくなり、田舎の実家へ帰って親のすねをかじることとなった。
なにもせずとも寝床を確保でき、毎度の食事にありつける実家は天国だ。いずれ本気を出すぞと開き直って、部屋にこもりネトゲやらアニメに没頭する毎日がつづいた。
小人関して不善を為す。志のない者が暇を持て余すとろくなことをしないのは、古来から言われつづける真理である。そのうち息子の怠惰を見かねた父親によって、孝士は二〇代半ばでコネのあった地元の建設会社へ強制的にぶち込まれた。決して悪くはない会社だったが、縁故入社は肩身が狭いものだ。人事部付という屈辱的な身分に甘んじながら、事務職の雑用をこなしつつ繁忙期には工事現場でこき使われるうち、徐々に心と体がすり減ってゆくのを孝士本人も感じていた。事故が起こったのは、そんなときだった。
孝士は山間の工事現場で作業中、崖崩れに巻き込まれて生き埋めとなったのだ。
全身を圧迫され身動きができず、しかし意識ははっきりと保ったまま、じわじわと窒息して苦しんだあげく死へと至る。それはまさに、針村孝士が思い描く、いちばんいやな死に方だった。
*
まっ白だった。
見渡すかぎりの白い光景に、孝士は呆気にとられた。
気がついたらここにいた。前も後ろも、右も左も、すべて乳白色で塗りつぶされたような空間。足元へ目をやると、裸足だった。身につけているのは、白くて裾の長いスモックドレスのような服のみ。やけにすーすーするが不快ではない。この場所は暑くも寒くもなかった。
孝士は突っ立ったまま眉間に皺を刻むと、頭に残る最後の記憶をたぐり寄せた。
たしか、自分は工事現場にいたはずだ。外法壁の現場へ、作業員の宮城さんと工事用の重機を回収しにいったのだ。そして、そのあと──
急に息苦しさを感じ、孝士は喉に手をあてた。それから空気をむさぼるように深い呼吸を何度か。
思い出したぞ。自分はあの工事現場で、重機運搬車の助手席にいたのだ。台風が迫っている晩だったから、雨風がひどかった。横手の急斜面よりいきなり土砂が押し寄せ、運搬車が横転した。その際にキャビンのウィンドウが割れて、車内にも土砂が流れ込んできた。あっという間だった。なにも見えなくなって、なにも聞こえなくなって、息ができなくなった。
当時の様子が脳裏によみがえり、孝士はぞくりと身を震わせた。まだ口のなかに砂利が残っているような気がする。孝士は白い地面に唾を吐き、ふたたび新鮮な空気を求めて深呼吸をくり返した。
しばらくして、ようやく落ち着く。するとふいに自動車のエンジン音のようなものが聞こえた。孝士は反射的に背後へ目をやる。一台の車がこちらへやってくる。緑と白のツートンカラーの車。ルーフの上にちょこんと小さな表示灯が載っている。タクシーだ。
どんどん近づいてくる車輌を見て孝士は思わずあとずさった。タクシーは速度を落とし、彼が空けたスペースに停車した。
タクシーの後部ドアがぱかっと開いた。その直前にちらりと見えたが、車体の横には三途川交通と書いてあった。聞いたことのないタクシー会社だ。ぽかんとする孝士が身を屈め、開いたドアから車内を覗き込むと、首を横にねじ曲げた乗務員の男性と目が合った。その制帽をかぶった彼が、孝士に言う。
「おう。乗りなよ、兄さん」
「え?」
いきなりの展開に孝士はわけがわからない。するとタクシーの乗務員はちょっともどかしそうに、
「いいから乗りなって」
なにもかもが突然すぎる。戸惑う孝士。彼は自分の着ている服のあちこちを手で探った。しかし、それにはポケットらしきものなどない。
「いやあの、おカネ持ってないんですけど……」
「いいよいいよ。乗車賃は、もうもらってるから」
タクシーの乗務員はそう言うと、制服の胸ポケットから取り出した一枚の紙切れを孝士に見せた。紙には六つの丸い模様が描いてあり、よく見るとそれは昔のおカネのようだった。
待てよ、見覚えがあるぞ。そう思い、孝士はタクシーの乗務員が示す紙切れをまじまじと見つめた。たしか、あれは六文銭を描いた副葬品だ。ずっと以前、祖母の葬式のときに、似たような紙を棺に入れていたのを目にした記憶がある。亡くなった人が、あの世でおカネに困らないようにと。
「あのよう──」
タクシーの乗務員が、急かすように孝士を見ている。
「ああ、はい。わかりました。乗ればいいんですね」
孝士が後部座席に身を入れるとドアは自動で閉じた。そしてタクシーは行き先を告げてもいないのに、見る限りまっ白な空間をどこかへ向けて走りはじめた。
孝士は車のサイドウィンドウ越しのなにもない光景を眺めながら、とりあえずいまの状況を把握しようと務めた。だんだんとわかってきた。ようするに、自分は死んだのだ。工事現場の崖崩れが原因なのだろう。死んだという実感は薄いが、ここが自分の元いた世界とは思えない。あの世、霊界、もしかしたら天国かも。とすれば、このタクシーの乗務員はいわゆる三途の川の案内人にあたる存在にちがいない。
三途の川が現世とあの世を隔てる境目だというくらいの知識は、孝士にもあった。そしてそこには川を渡るための船を漕ぐ船頭がいる。きっとこのタクシーは、死んでから新たに死後の世界へきた者が迷わぬよう、どこかへ導くとかそんな感じなのだろう。
「着いたぜ」
タクシーの乗務員が言って、車が停まった。目的地は意外と近かったようだ。孝士は左手に大きな建物が見えるのに気づいた。地上三階建ての、ずんぐりしたビル。
車内の孝士が不思議そうにビルを見つめていると、タクシーのドアが開いた。
「なかに人がいるから。な?」
とタクシーの乗務員。なにが『な?』なのかわからなかったが、とにかく彼の役割はここまでらしい。後部座席を抜け出て車の脇に立った孝士は、乗務員へ向けておずおずと頭をさげた。
「どうも……」
「はいよ」
短く応えた乗務員を乗せるタクシーは、するすると動き出してどこかへ走り去った。
取り残された孝士は、あらためて目の前のビルへと向き直る。しかしいまのタクシーに加え、この無機質なビルを見る限り、あの世というのは想像していたのとかなりかけ離れた場所のようだ。
オフホワイトのビルは一階がガラス張りとなっていたが、ブラインドカーテンが閉じているため内の様子は窺えない。当たり障りのないシンプルな外観は公共施設を連想させる。孝士はビルの入口らしきそばに大きな銀色の板が立っているのに気づき、そちらへ歩いた。
人の背丈ほどもある長方形の金属板は、まるで古いSF映画に出てきたモノリスみたいだった。つるつるの表面に文字が刻まれている。日本語で、輪廻管理センターと読めた。
いったいなんだろうか。輪廻とはたしか仏教の用語だったと思うが、それと管理センターという現代的な言葉が組み合わさって不思議な感じがする。輪廻を管理するセンター。たぶんそういう施設なのだと予想はできるものの、なかでどんなことが行われているのかは、まるで見当もつかない。
孝士の胸に不安が募る。おろおろと視線をさ迷わせると、輪廻管理センターの入口ドアのガラスに自分自身の姿が映り込んでいるのが見えた。すると白いスモックドレスを着た自分の頭の上に、光る輪っかが浮かんでいるではないか。
まるで天使の輪。エンジェルハイロウとかいうやつだ。思わず触れようとしたが、それには実体がなく孝士の手は空を摑んだだけだった。
なんというか、あの世に逝った者を表現するうえではまったくベタなスタイルだ。しかし、これではっきりした。
やはり自分は死んだのだ。くそ、これが現実かよ。言葉にならない、ずんとした思いが孝士の胸にわきあがる。いったいこれからどうすればよいのだ。いや、考えてもどうにもなるまい。このまっ白な空間でほかにゆくあてもなかった。彼は躊躇しながらも、金属板の横にある入口から輪廻管理センターのなかへ入ることにした。
入口に近づくとモーター音が低く唸り、ガラス戸が横にスライドした。自動ドアである。入ってすぐは小さなロビーとなっていて、正面に階段が見えた。だがそちらは薄暗く、漠然と関係者以外の立ち入りが制限されている気がした。一階の主要設備は右手だ。やけに大きなカウンターがある。内側はパーテーションで仕切られ、奥のほうは見えなかったが、かなり大勢の職員がここで働いているようだ。そしてそのカウンターの向こう、いちばん手前には、いま若い女性がひとり。
たぶん受付嬢だろう。地味なキャリアスーツを着た彼女は孝士の姿に気づくと、にこりともせず無言で立ちあがった。
「針村様ですね」
ぺたぺたと足音を鳴らしてカウンターに近づいた孝士へ、受付嬢は手元の資料らしきものに目を落としながらそう言った。
「はい……そうですが」
「担当の者が参りますので、あちらで座ってお待ちください」
事務的な受付嬢が手振りで示したのは、ロビーの端にある背もたれのないベンチソファーだ。孝士は言われるまま、そこへ腰をおろして待った。受付嬢はデスクに置かれたビジネスフォンの内線で、どこかと短く通話したきり沈黙した。
静かだ。手持ち無沙汰な孝士は、一階のロビーを落ち着きなく見渡す。そうしてごくりと唾をのみ、さっきの受付嬢の額の両側に生えていた、小さな角のようなもののことを思い返した。彼女、なにかの病気なのだろうか。気の毒に。
ロビーの奥にある階段から靴音が聞こえた。孝士がそちらに首を回すと、ダークスーツを着たひとりの男性が一階へと降りてくるところだった。笑顔を浮かべながら会釈して、孝士のほうへ歩いてくる。受付嬢の言っていた担当の人だろう。なんの担当なのかはわからなかったが。
孝士は男性職員を迎えようとベンチソファーから立ちあがり、そしてぎょっとなった。相手が近くにきてわかったのだが、頭頂部の髪の量がかなりさびしくなった彼にも額に一対の角が生えていたからだ。しかも受付嬢のような控え目なものではなく、ぎゅいんと上に反り返った立派な角である。それに加え、相手の肌はやけに赤らんでいる。というか、服の外に露出している顔と手の皮膚は、なにかの塗料を塗ったようにまっ赤だ。きわめつけには彼の笑みを浮かべた口元から、とうてい人の歯とは思えない長さの犬歯がちらりと顔を覗かせている。
「どうもお~、わたくし獄卒鬼の簾頭鬼と申しますう~」
首から提げた社員証かIDカードのようなものを孝士に示し、簾頭鬼と名乗った職員はやけにフレンドリーに自己紹介した。
「スズキさん……ですか」
と、相手の容姿に圧倒されながら孝士。見た目はともかく、簾頭鬼なんてずいぶん日本人ぽい名前だ。その前に口にした、ごくなんとかというのは役職だろうか。
「あ、ぼく針村といいます。どうも、はじめまして」
「はい~、存じておりますう。それでは二階のほうで現状をご説明したいと思いますのでえ、とりあえず移動しましょうかあ~」
簾頭鬼に言われるまま、孝士はロビー奥の階段で彼とともに二階へあがった。ドアがいくつも並んだ廊下を歩き、ある一室へと招き入れられる。応接室といった感じの部屋だった。シンプルなコーヒーテーブルとソファーセットに、観葉植物の鉢植え。大きな窓からは白い光が室内へ射し込んでいる。孝士は簾頭鬼に座るよう促され、ふたりはテーブルを挟んでソファーに腰掛けた。
「ではさっそくですが針村様~、いまの状況、ご理解してらっしゃいますかあ?」
最初から気になっていたのだが、簾頭鬼は妙に間延びするしゃべり方をした。
「……なんとなく。たぶん死んだんですよね、ぼく?」
悄然とする孝士が自身を指さして言うと、簾頭鬼は笑顔で大きく肯いた。
「おっしゃるとおりですう。それでですねえ、ふつうならば死後、霊界にこられた方はあ、七日ごとに七回ほど、閻魔様の法廷で裁きを受けていただくところなのですがあ──」
「え、え、ちょっと待って。閻魔様!? 閻魔様って、あの閻魔大王のこと?」
「はい~、そうですよお。あ、そこから説明しますう?」
「お手数でなければ……」
「いえいえ、かまいませんよお」
申し訳なさそうな孝士に対し、簾頭鬼はあくまで懇切丁寧に応対してくる。
「まず、ここへきて戸惑われているかと存じますがあ、死後の世界とか三途の川とか閻魔様とかあ、あれ全部ほんとなんですよねえ。当施設は輪廻管理センターと申しましてえ、亡くなった方々の魂が輪廻転生する際のお世話をさせていただいておりますう~」
「転生って、生まれ変わりのことですか?」
「はい~、そうですう」
「じ、じゃあ、もしかしてファンタジーの世界に生まれ変わりたいってお願いすれば、そっちで人生がやり直せるとか?」
「いやあ、それはちょっとないですねえ」
期待して身を乗り出す孝士に、簾頭鬼は苦笑しつつやんわりと否定する。
「閻魔様の下されるご裁断によってえ、転生先はこちらで決定することになっておりますのでえ~」
「なんだ、そうなのか……」
当てが外れた孝士は肩を落とした。やはりああいうのはラノベやアニメのなかだけなのだろう。
「ご期待に添えず申し訳ございません~。あとですねえ、今回の針村様の場合、やや込み入った事情がございましてえ──」
柔和だった簾頭鬼の表情が、そこで急に困ったものとなった。なんだなんだ。孝士はいやな予感がした。
「と言うと?」
「実はこちらの都合なのですがあ、どうも針村様の死亡はあ、われわれが管理する因果から外れたところで起こった不測の事態のようなのですう~」
「はあ……」
「よって申し上げにくいのですがあ、このたびは転生ではなくう、いまいちど針村孝士様として現世のほうへ戻っていただけないかとお」
目をぱちくりさせる孝士。
「えっと、よくわからないんですが、生き返るってこと?」
「はい~」
なんだ、そういうことか。孝士はほっとした。もともと自分は死にたくなかったのだ。まったく問題ない。てか、こっちにとっては都合のいい話じゃないか。どういう経緯なのかはわからないが、生き返ることができるのなら儲けものだ。
「あー、そうですか。いや全然かまいませんよ。だってぼく、まだ死にたくなかったし、ハハ……」
「さようですかあ。ありがとうございますう~」
満面の笑顔で簾頭鬼が言う。それから、彼はなにやら含みのある視線を孝士に向けて、
「あのお、そこでひとつご相談なのですが針村様あ~、調査員のお仕事などに興味ございませんかあ~?」
「調査員、ですか?」
「はい~。ただいま当方ではあ、現世でわれわれにご協力くださる人員を若干名募集中でございましてえ。これもなにかの縁ではないかと思われますう。現世に戻るついでと言ってはなんですがあ、針村様にお引き受け願えればあ、こちらとしても大変助かるのですがあ~」
「へえ、どんな仕事ですか? 資格とか要ります?」
「いえいえ、どなたでもできる簡単なお仕事ですよお。具体的にはあ、現世に未練を残して霊界にこられない幽霊さんを探し出したりい、素行を調査するとかあ、そんな感じですう~」
なんだか探偵みたいだ。孝士はピンときた。
「え、それってもしかして霊界探偵みたいな!?」
「はあ? いや全然ちがいますけどお」
簾頭鬼の言葉にちょっとがっかりする孝士。たしか昔のアニメか漫画でそういう展開を見た気がするのだが。いやしかし待てよ。それで凶悪な妖怪と戦えとか武術大会に出ろと言われても困るな。
「それでいかがしょうかあ? ここだけの話、お給金も社会的待遇も、いま針村様がお勤めの会社よりワンランク上となっておりますよお。申し分のない転職の機会だと思いますけどお~?」
「うーん、そうですねえ~……」
急な話を切り出され、戸惑う孝士は簾頭鬼のしゃべり方が感染ってしまった。
幽霊を探したり素行を調査する、か。そんなこと自分にできるのだろうか。簾頭鬼は誰にでもできる仕事だと言ったが、自慢じゃないけどこっちは職歴よりもニート歴のほうが長い無能力者なんだぞ。
だが──
孝士は考えた。たしかに死んでからまた生き返って現世に戻れるのは、よろこぶべきことである。しかしそれは同時に、またあのつまらない日常へ立ち返るということだ。会社に自分の時間を切り売りして、いいように使われる。もちろん労働とはそういうものだと理解はしている。とはいえ、いちど死んでから、ようやく気づいたのだ。
あれは、自分の思い描く人生ではなかった。そうだ、ここが潮目だ。まさに千載一遇のチャンス。針村孝士という男の人生パート2が、新たに幕を開けるのだ。
衝動的だったかもしれない。または予測もしなかった事態がたてつづけに起こったため、気が動転していたのかもしれない。しかし甘い言葉に乗り、人生の転機となる決断が思慮の浅いもとになされてしまうことは、往々にしてある。
「わ、わかりました。ぼくでよければその仕事、請け負います!」
きりっと引き締めた表情の顔をあげ、孝士は言い放った。
「ご即断、ありがとうございますう~。ではこれで契約は完了とさせていただきますねえ」
にんまりとした簾頭鬼が片手をあげた。そうして彼はテーブルに身を乗り出すと、鉤爪のある人差し指で孝士のおでこをちょんとつついた。
孝士の視界が急に暗くなった。薄らいでゆく意識のなか、簾頭鬼がなにか言っているのが聞こえた。
「転職の手続はこちらでつつがなく行いますのでえ、ご心配なきようにい~。詳細は現世のほうにおります職員にお尋ねください~。では、霊界データバンクのお仕事、よろしくお願いいたしますう~」
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