青空とホワイトアロー

Rachel

容姿端麗な広澄さん

第1話

 最悪だ最悪だ…!

 今日一日ずっとついていない。目の前にある書類を破り散らかして発狂したくなるくらいに、今日はとことんついていなかった。


「危ない危ない、落ち着いて…」


 ゆっくり深呼吸して心を落ち着かせる。この書類を破ってしまったら、それこそ一貫の終わりだ。ついていないどころの話ではない。大事な書類を優しく撫でてから鞄にしまう。


 深いため息をついたあと、ヒールが折れたパンプスを脱ぎ、とれかけているヒールを引きちぎった。こんな調子じゃ面接にいけない。先程、運悪く破ってしまったストッキングをちょうど買い替えたばかりなのに、また破れているのが見えた。また深いため息が漏れる。


 しかし、くよくよ嘆いている暇はない。入社面接の時間が迫っていた。ここの会社は私の一番思い入れのある会社で、この面接のために今までどれだけ努力してきたことか。こんなことでくじけてはいられない。


 パパッとスーツについた汚れを落としてから駆け足で目的地に向かった。



「すみませんっ、面接の予定があった白瀬なんですが…!」


 息を切らし、汗をだらだらと流す私のことを受付の女性に驚いた顔で訝しげに見られた。


「白瀬様ですね。確認して参りますのでお待ちください」


 待っている間に汗を拭こうとカバンの中をまさぐる。が、ついていないことにハンカチが鞄に入ってなかった。どこにも見当たらない。今朝入れたはずなのに。どこかに落としたのかもしれない。

 あれも気合いを入れるためにいつものお気に入りのハンカチだったのに…。

 どこまでも悪いことしか降りかからなくて、ぐっと涙がこみあげる。面接前なのに泣いたらだめだ。メイクが崩れてしまうじゃないか。


 五分ほど待った後、受付の女性が戻ってきた。


「白瀬様、確認できましたが面接の受付時間は終了しているようですね。申し訳ありませんが…」

「そこをどうにか、お願いします!」


 “ご縁がなかった”その言葉が聞こえそうで、前のめりになって深々と頭を下げた。

 遅刻は確かに許されないものだ。社会人としての守るべきマナーである。面接の時間に遅れるような人材をとりたくないのは最もだ。


 だけど、だけど、今日くらいは許して欲しかった。向かっている途中に転んでいたお婆さんを見かけてしまい、思わず駆け寄っていたら、いつの間にかこんな時間になっていたのだ。自分の人生を変える日だったとしても、私は絶対に見捨てられない。きっと同じことが起きたとしても、何度でも私はお婆さんを助ける道を選ぶだろう。しかし、こんな事情を会社側が知るわけもない。ただ、時間を守らない人、として処理されてしまう。


 でも、それでも私はこの会社を諦めきれない。


「そこをどうにか…!!」

「白瀬様、」

「本当にこの会社でなきゃだめなんです!お願いします…!」

「白瀬様っ!」


 大声で名前を呼ばれてハッとする。冷静になって周りを見回すと、会社員の方々がこちらをじろじろ見ていた。


 やらかした…

 こんなの会社のロビーで大声を出して暴れている人と言われてもおかしくない。遅刻した上に凶暴な新入社員だなんて、採りたくないだろう。私が採用する側なら即ボツだ。


「申し訳…ありませんでした」

「落ち着いてください、白瀬様」


 困ったように受付の女性が私を見る。

 あぁ、完全にやらかした。なにやってんだか。みっともない。


「面接の件ですが、本日担当の者が急な用事でただいま席を外しておりますので、また後日改めて連絡させて頂きます」


 …え?

 後日?改めて?

 素っ頓狂な顔をしていたのか、そんな私を見て微笑まれた。思わずどきっとしてしまう。


「後日、面接はお受けするとの事でしたので、安心してください」




 帰り道、私は近くのベンチに腰掛けていた。無事に面接ができるときいて、会社を出てからへなへなと力が抜けてしまった。それに、全力ダッシュで走ったせいか、靴擦れが出来ていて、踵がじんわり赤くにじんでいた。


「いったぁ…」


 左右で靴の高さが違うし、ストッキングは伝線しているし、踵からは血が出ているしで散々だ。


 でも、良かった。本当に良かった。面接ができるだなんて、まだ首の皮一枚繋がっているみたいだ。

 そう思いながら、踵の傷の様子を見ていると、澄んだ声が頭から降りかかってきた。


「あなた、大丈夫?」


 女の人だった。優しい柔らかな声に顔を向けると、綺麗な女性が心配そうにこちらを見ていた。


「え、っと…大丈夫、です」

「急に声をかけてごめんなさいね。かなり血が出ているようだったから」


 目線の先には、さっきから私が気にしていた靴擦れがある。確かに、言われてみれば血がドバドバと止まらないみたいだ。


「あ、あ…」


 でも、絆創膏なんてもの持ち合わせていないし、ハンカチも持っていない。


「だ、大丈夫ですよ!」


 心配も迷惑もかけたくないからと、勢いよく立ち上がった。


「だめ、座りなさい」


 咎めるようにして私の肩をぐっと押してきた。そうしてそのままベンチに引き戻される。


「ちょうど絆創膏持っているから」


 ごそごそと鞄の中から絆創膏を取りだし、私の隣にカバンを置いた。不意に顔が近くなって心臓が跳ねる。


 本当に綺麗な人だな…


 女性の顔をまじまじと見つめていると、見すぎよ、と窘められる。見すぎていたみたいで恥ずかしくなった。


「ほら、脱いで?」

「へ…?」


 間の抜けた返事をしてしまったせいで、クスッと笑われた。


「ストッキングを脱がないとこれを貼れないでしょう?」


 あぁ、そういうことか。それはそうだ、その通りだ。私は慌ててストッキングを脱ぐ。その様子を見て、また優しく微笑まれた。


「急がなくてもいいのに」

「いやいやいやっ、申し訳ないので」


 足を差し出すと、彼女はそっと足を持ち上げて絆創膏を貼ってくれた。屈んで足に触れてくれる彼女を見おろす感覚がなんとも言えない優越感に…ってこらこら、何考えてんだ。



「本当にありがとうございます!」

「いいのよ、少し時間があったし」


 優しい笑顔に心がじんわりとあたたかくなった。綺麗な上にこんなにも優しいだなんて、まるで天使だ。そんなことを思っていると、目の前の天使さんが私に尋ねてきた。


「今日そこの会社の面接を受けに来たの?」


 その話題にどきっとする。


「…はい、でも受けられませんでした」

「あら、そうなの?」

「ちょっと行く前にトラブルがあって…」

「そう…残念だったわね」

「でも、また面接の予定を調整して頂けるみたいで…」


 そういうと、目を丸くして驚いていた。


「うちの会社、意外と優しいのね。私もそこで働いているんだけど、お名前を聞いてもいいかしら?」

「あっ、はい。白瀬です、白瀬悠と申します」

「…白瀬さんね。ふふっ、同じ職場で働けるといいわね」


 ぐわっ、眩しい。眩しすぎる笑顔だ。お顔がタイプすぎて、どぎまぎしてしまう。


 私はなぜだか緊張してしまい、それから上手く話せなかった。その後、軽く会釈をして彼女は会社へ帰っていった。


 あんなに綺麗な人が働いているんだな、とちょっぴり嬉しくなる。


 また、会えたらいいな…


 そんな淡い期待を胸に、私は頬をペチンと叩いて自身を鼓舞する。あの人にまた会うには私がこの会社に採用されないと。






 そう、これが彼女との初めての出会いだった。

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