スクラップ計画

まゆし

スクラップ計画A

 結婚する時にした約束は「死ぬ時は一緒」の、たったひとつだった。子供はいないが、歳の割に幼い妻との生活は順調で何事もない。購入した一軒家を、妻はいつも綺麗にしてくれている。自他ともに認める幸せな夫婦だ。

 仕事から帰ってガチャリとドアを開けると

「おかえりなさい!」

 と笑顔で駆け寄ってきた妻の手には銀色の包丁が握られている。

「ただいまー」

 勢いよく包丁を脇腹に差し込まれる前に、一歩左に避けてから妻の頭をなだめるように優しく撫でた。

「今日の夕飯は何?」

 撫でていた手を首元までゆっくりおろして親指で喉の中央を押そうとすると、妻は唇を尖らせながら一歩下がる。

「んーと、草とラムチョップ」

「あのさ、サラダを草っていうのやめてほしいんだけど」

「今日は、ちっさい木が安かった」

「念の為確認するけど。ブロッコリーの事だよね」

「そうとも言う。かも、しれない」

「いや、そうとしか言わないからね」

 妻はこんなふざけた様子で話をするが、俺の帰りを出迎えると同時に攻撃を仕掛けてきては、俺は応戦する。昔なら、警察沙汰だったろうけど。今はそんな時代じゃなくなった。毎日楽しくやっている。


 何年経ったか両手でも足りないくらいの年月が過ぎた。その間に変化した俺たちは、人類と呼べなくなってしまっている。だけど、他にそれらしいモノも呼び名もないから、まだ人類と呼ばれている状態だ。進化とは呼べない。変化だ。

 食事をしなくても問題は起きない。ただ、早い段階で機械化したヒトたちは食べる行為を大切にしているから、三大欲求は余程のことがなければ手放さない。そう、何か人類の持つ能力が進化したのではなく、臓器から機械化されるという人類の変化。

 そのため現代は、人口も適切な状態に設定してある。赤ん坊も子供もいるにはいるが、妊娠してもいいかどうかから申請して承認が必要だ。認められないことも多い。身体能力については機械化されれば何のメリットもないし、認められやすいのは知能指数の高い夫婦。脳に関しては個性を残すにあたって、キャラクターを生成するために残されているからだ。とはいえ、オリジナルの脳に電子部品が付けられるが。

 成人後から機械化への本格的移行が始まる。そして、壮年期頃で全ての機械化は終了させなければならない。

 壮年期を過ぎた高齢者の見た目の機械化は認められておらず、終了していない者は機械化から逃げている。小汚い片隅にあるスラム街のような場所にしか存在しないし、法を無視してコソコソ存在する輩に政府は厳しい。

 今、俺たちは好きな外見で過ごしていける。メンテナンスで少しイジれば髪型も体型もある程度は変えられる。ただ、美容整形扱いされていた分野の一部は今もメンテナンス対象外だ。性別を変えたい、単純に整形したい等は金がかかる。


 しかしながら、ゆるやかに老いて思い出を語りながら息を引き取っていくことが、許されなくなってしまった。これは自然の摂理を完全に無視する。

 少ない自然の維持と人口の管理。人工知能が活躍して人類の存在が脅かされると囁かれ、人工知能が全てを管理する社会の実現間際、人類は機械化された。人工知能の存在に脅かされる恐怖が、ヒトとしての尊厳に大きく影響を与え過ぎたのだ。


「人類の機械化って、どうなんだろうね」

「どうなんだろうって?」

「食べるものも昔と違ってきてるし」

「まぁ、確かにね」

「スーパー行っても、食材って減ってきたよ」

「そろそろ、エネルギー補給カプセルだけになるかもね」

「私たちが抱き合っても、昔みたいな感じじゃないし」

「でも俺は君を抱きしめる時は柔らかくて幸せだよ」

「もう!そういうことじゃないよぉ」

「本当に昔みたいな感じしないの?飽きちゃった?」

「……そういう意味じゃない」


 ダブルベッドでふにゃふにゃと話をしながら、妻が先にウトウトし始めた。出会った当時は「白目向きそうだし、寝顔ブスすぎだし。イビキが恥ずかしくて一緒になんて寝れない!」なんて顔を真っ赤にして言っていた。何歳の頃だったろうか。

 今は設定した時間に寝ることができるし、ボディの機能は機械化されて、予約制のメンテナンスも時間がズレたりしないから、故障は滅多に起きない。転んで皮膚が少し剥がれても、専用の医療用具ですぐ治るから機械の部分は見えやしない。脳に癒着する電子部品は、長年不眠で悩まされて薬を服用していた妻に副作用をもたらすこと無く、一定の時間が来ればすぅすぅと寝息をたてる。


 君の顔は少しも変わっていない。「一緒に寝ても恥ずかしくない顔」の設定希望は受理されている。あどけない寝顔が可愛いと思う。だけど、昔みたいに口を半開きにしてよく見ると半目になっていて、何言ってるのか分からない寝言を呟いたりしていたマヌケな顔が恋しくなる時もある。寝相も悪くて、何の恨みで俺のことを蹴飛ばすのか、どこをどうしたらそんな体勢になるんだろうって疑問だった。少しも嫌ではなかったんだよ。それくらい君を愛しているからね。


 変化したというより、お互い時が止まったみたいだ。付き合っていた頃には、高齢になった自分たちを想像して平和に過ごしていることを願っていた。

「君がシワシワのおばあちゃんになる頃には、俺だってシワシワのおじいちゃんだよ。ふたりで歳をとって、過去を懐かしんだりできるといいね」

「私がシワシワになったら、若い子に目移りしない?私の方が年上だもん、なんか見捨てられそう」

「そんなことしないよ。もっと信用してよ」

「信用してないわけじゃないけど……」

「こっち向いて。愛してるよ」

 照れて下を向く君は、俺が「愛してる」と口にすると、絶対に何も言わずに抱きついて鼓動や体温を確かめていたね。

 今もそれらしく、ヒトとしての柔らかさはあるし、鼓動もある。設定されたモノだけれど。おばあちゃんになった君を永遠に見ることができない。きっととぼけた話し方が変わることはなく可愛かっただろう、と思いを馳せるだけだ。

 俺たちは、もう百歳近くなっているのに。いや、もう超えたかもしれない。本当は、俺にはそれすらわからなくなって来ている。三十代の見た目から変わらない。歳の割に幼いのは、妻だけでなく俺自身もだ。強制的に成長を止められた姿。機械化したのはふたり同時だった。何でもふたりで決めてきた。

 だけど、この誰も何も変わらない日常に気が狂いそうになる時がある。だから、君に言えない秘密がひとつだけある。


「おはよう!」

 コーヒーの香りで目が覚めると妻が先に起きていて、何やら珍しく朝から出掛ける支度をしていた。

「今日の凶器は何にしよっかなー」

 食事のメニューを決めるような口調で、これまた物騒な事を口にしているが、これが俺たちの普通。俺は仕事用のカバンに小型のハンマーとドライバーセットが一式入っていることを確認した。

 君を守る為に、俺たちが存在する為に人口調整としてスクラップリストに載ったヒトを壊していくことが、君に秘密にしている俺の仕事だ。他のヒトなんかどうでもいいんだよ。君が笑って居てくれたら、俺は正気を保って、この無機質な世界で生きていける。


 ネクタイをしてジャケットを羽織ると、ストライプのスーツをすらりと着こなした妻は言った。

「今日は、スラム街のお掃除スイーパーの依頼があるから出かけてくるね」

「えっ?」

「いつも甘えてばっかりでごめん」

「……もしかして、知ってたの?」

「んー?ただの浮気調査的な、オンナの感?よっ、と」

「あ、いてっ」

「うん、これ持って行こう」

 妻は満面の笑みを向けたが、質問には答えなかった。それどころか、真面目な話をするかと思えば、工具箱に入れたままのスタンガンが使えるかを俺でしれっと試した。悪びれることも無く、じっと何か期待した目で見つめてくるから、ため息半分で額にそっとキスをすると満足気な表情を浮かべる。


 スクラップのリストに載る前に。

 見知らぬ誰かに処分される前に。


 あと何年、何十年、一緒に居られるだろう。周りのことなど知ったこっちゃない。愛するヒトを守り、自分の手で壊そうとする矛盾だらけの俺たちは、毎日が幸せで希望に満ち溢れている。

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