第27話 ブーメラン


 ラシード伯爵家は武功に優れた名家だ。

 三男の、このリオンに至っては王家主催の剣舞会で優勝すらしている。

 だが彼は、彼に目を付け事前投資していた兄に恩義を感じたらしく、一年間だけラッセラード男爵家に奉公に上がっているのだ。近衛騎士への推薦を一時保留にしてまで……


 冷ややかなになってしまった周囲の眼差しに気が付いたビビア嬢は柄に無く困惑している。

 リオンは無骨な軍人気質な男だが、爵位を振り翳すような輩ではない。むしろ優れた実績を持ちながら、身分を飛び越え男爵家に仕える彼は、屋敷の使用人からも好かれていると言っても過言ではない。のだから……この空気は仕方あるまい。

 ブライアンゼ夫人ですら恥ずかしそうにしているとい位なので、無理もないけれど。


「そんな事も知らないんだ……」

 当然優しい言葉なんぞ掛けるつもりもないフェンリーは、呆れを通り越して薄ら笑いを浮かべてみせた。

 まあ確かに。お金を掛けて社交に勤しんでいると聞いていたが、一体何をしに行っていたのか……


「な、何よ」

 フェンリーの印象の違いに一瞬戸惑いを見せたものの、それ以上に自分に向けられる嘲笑が許せないのか、ビビア嬢は更に声を張り上げた。


「侮辱する事は許さないわ! 私は高貴な血を継ぐ伯爵令嬢よ! 婚約なんて、男爵夫人なんて、何よこんな家! 私があなたの妻になんてなる訳ないじゃない!」

「ビ、ビビビビア!」

 焦る夫人を他所にフェンリーは、ぱあっと顔を輝かせた。

「だ、そうです伯爵夫人。これで僕たちの婚約解消は双方同意の上、という事で穏便に済みますね」


にこにこと笑うフェンリーに対し、夫人の顔はみるみる青褪めていく。

「ママ! もういいわ、こんな人! 私の婚約者なのよ! もっと良い方を探してよ!」

 娘の発言にあわあわと手を戦慄かせる夫人に何か気の利いた事でも言っておくかと、イーライは適当に相槌を打つ事にする。

 

「フェンリーもビビア嬢も、お互いに前向きな婚約解消で何よりだな」

 ブライアンゼ夫人は卒倒した。

「きゃあ! ママ!」

「あーあ」

 

 混沌とする場で一人取り取り残されたビビア嬢にフェンリーが後ろ手を組んだ状態で歩み寄った。

 その影にビビア嬢がびくりと肩を震わせる。


「世間知らずな君にもう一つ教えてあげるよ。我が家は陞爵しょうしゃくが決まったんだ。今後はラッセラード伯爵家を名乗らせて貰う事になる。同じ伯爵家としてよろしくね」


「……え?」

 ぽかんとするビビアにフェンリーは相変わらず楽しそうだ。長年の手紙のやりとりと、不毛なやりとりで溜まった鬱憤を今この場で晴らしてるのかもしれない。


 ……そもそもいくらリオン個人が恩義を感じても、ラシード伯爵が息子を男爵家の護衛に寄越すには無理がある。


 それに以前ビビア嬢が悶着を起こしたエリント公爵家。

 流石に一男爵が公爵家との間を入り取り成すだなんて、疑問を覚えてもいいだろうと思うけれど……



 ──きっかけは父、それに兄がこの国への医療向上に尽力した事。それを商売に結びつけラッセラード家は男爵位を賜わる事が出来た。十数年前の話だ。

 中でも特筆すべきはその医療技術でエリント家の嫡男、クリフォードを救った事。


 それは十五年前、この国の王都を中心に広がった病により多くの民が犠牲になった、記憶に新しい病害。

 首都を直撃したそれは、社交シーズンであった事が災いし、多くの貴族が被害にあった。名門と呼ばれる家の当主が、嫡男が、一人娘が、数多く犠牲になった。


 病に対抗すべく薬を手に入れ、浸透させるまで二年弱。

 そんな中、クリフォードは完成したばかりの新薬の恩恵を受ける事が出来た為、命を取り留めた。


 勿論医師たちの知識と技能が何者にも寄らない力ではあったけれど、その知識を有する者を国外から引き抜き、技能を国内に浸透させたのは、ラッセラード家の力が大きかった。

 そうしてラッセラード家はエリント公爵家からの感謝と信頼を得る事が出来たのだ。


 けれどそれとは別に。やがて病魔が国から払われ、国政が落ち着いた頃。

 貴族たちの頭を悩ませたのは領地の後継問題。

 病により、彼らの約三割が数を減らしてしまった。

 その辺は女性による爵位継承の一時承認など、法案改正が忙しかった時期でもある。


 それでも後継者が足りない領地は、一旦王家が領地を預かり、代理で施行する案が上がったが、それは貴族院の反対にあった。

 このどさくさで自分では無く、どこかの力が膨れ上がる事を誰もが懸念するも、その相手が王家となれば取り返しは難しい。

 そんな腹の内を隠しながら、王家の負担には出来ない。預けるなら同じ貴族であるべきだというのが彼らの総意だった──



 そんな時代からまだ月日も浅く、未だ貴族の数は足りていない。

 陞爵なんて容易いものでも無いのだが、国を危機から救った実績からその献身を認められ、極め付けは公爵家からの後押し。全てが相まってラッセラード家は爵位を一気に駆け上がる事となった。


「それにフォー家は確かに子爵だけど、数代前に王弟殿下の三女を下賜された由緒正しい血筋でもあるんだよ。つまり君に分かりやすく言うと、王族の血統を持っている」

「な、何ですって……」

「……」


 フォー家について知らないのも珍しい。あの家の嫡男が既に結婚しているからだろうか。自分に関係ないことには興味はないんだな。という思いと、そもそもレキシーが選んだのだ。間違いの無い家柄なのは当然と言っても過言でもない。なんて誇らしい思いが胸に込み上げる。


 それにしても。

 ブライアンゼ家とラッセラード家は領地が離れているとは言え、陞爵云々の話くらいは聞こえてきてもおかしくないと思うのだが……この親子は本当に大丈夫だろうか。


「あーあ、俺も気をつけよう。お祖父様が叙爵して父上が陞爵させた大事な家を、教育を間違えた子孫が一代でパァにしてしまうなんて。爵位を何だと思っているのか。本当……貴族を馬鹿にしてるのはどっちだよ」

 

 低い声にビビア嬢の顔が引き攣る。

 流石に何が言いたいのか分かったのだろう。


 蛇に睨まれた蛙のように脂汗を掻き出すビビア嬢を他所に、意識を手放していた伯爵夫人ががずりずりと床を這いフェンリーににじり寄ってきた。


「お、お願いです……フェンリー様! 我が家はもうどうしようも無いのです! どうか、どうか娘を貰って下さい!」

「ちょっ、止めてよママ!」

 夫人の形振り構わぬ懇願に、流石のビビア嬢も動揺を隠せない。


「……そもそも何故伯爵本人はいらっしゃらなかったのですか? もしかして伯爵はもう、我が家とは関わるなとおっしっているのではありませんか?」

 その言葉に夫人がびくりと反応する。

 フェンリーは人差し指を顎に添え、首を傾けてにこりと笑ってみせた。……十七の男がやっても様になるのだから、不思議なものだ。


「もしかしかして伯爵はビビア嬢を、件のご老人に嫁がせようと仰られましたか」

「なっ!」

「……え? 老人? 何よそれ、ママ」




叙爵 → 爵位を賜る事

陞爵 → 爵位が上がる事


……難しいですね。

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