第26話 空気を悪くする才能の持ち主


 玄関に向かえば、予想通りビビア嬢と、こちらは予想外でブライアンゼ夫人までが男爵家の私兵に取り押さえられていた。単身乗り込んで来るこの行動力というか、不屈の精神には感服しそうになるところだが……今度はどんな世迷い事を言いに来たのやら。イーライは眼差しを冷ややかに眇めた。


「離しなさい、無礼者!」

「あ! フェンリー様あ!」

「……」


 隣に立つフェンリーが、ぞわっと背中を強張らせている。胸を床に押し潰されながら、甘い声を張り上げてみせるという芸当を披露するビビア嬢に、感服ではなく拒否反応を起こしたようだ。


 先程まで自分に向けていた周波は綺麗に消して、どうやら今度はフェンリーが彼女の王子様になっているらしい。

「良かったな、フェンリー」

「……何がですか叔父上?」

 ぽんと軽い音を立て甥の肩に手を置けば、唸るような低い声が返ってくる。

 彼女は私兵に床に押し付けられたまま、フェンリーに期待の眼差しを煌かせていた。


「ビビア嬢、こういう事は困ります。ご用があるなら先触れをするのか礼儀でしょう?」

「あら、でもさっきイーライ様は我が家に何の連絡もなくいらしたわよ?」

 じろっと睨むフェンリーから目を逸らし、軽く咳払いをして誤魔化しておく。

「……叔父上とレキシー様は恋人同士です。約束なく会ったところでお互い不快にはなりません」


 やっぱりいい子だな、と密かに感動していると、フェンリーから立ち登る不穏な気配がこちらに向いた気がしたので、この場から立ち去りたくなった。


「話にならない。──リオン、彼女を屋敷から放り出せ」

 ……我が甥はなかなか容赦ない仕打ちをする。

 男爵家の優秀な私兵はビビア嬢たちを遠慮なく立たせ、有無を言わさず引きずりはじめた。


「お待ちください! せめて男爵本人に会わせるのが筋でしょう?」

 叫ぶ夫人にフェンリーは呆れ顔で黙殺した。

 無作法を働いておいて何を無茶なと言いたげではあるが、構うのも面倒なのだろう。そもそも兄は今外出中だが、説明してやる義理もないと言ったところか。


「ちょっ、酷いじゃない! 私たちの十年間は一体何だったの? あなたは確かに私に求婚してくれたわ! それなのにこんな扱い……っ!」

 そう言ってポロポロと涙を零すビビア嬢を、胡散臭そうに見やり、フェンリーは深々と溜息を吐いた。


「そもそも夫人だけで父に会いたいなど……それが本当に由緒ある家柄の振る舞いでしょうか? それにビビア嬢? その求婚を断って婚約解消の書類にサインして送ったのは、紛れもなくあなたでしょう。それを今更なんだというんです。俺にはもう新しい婚約者がいるんですよ」

「大丈夫よ、破棄すればいいわ! 私が一緒に行ってあげるから!」

「……」


 間髪入れずに妄言が飛んできた。

「そ、そうですよ! 我が家から掛け合えば相手の家だってきっと否とは言えません!」

 確かに。こんな常識の通じない連中とは関わりたくないと、今ならもれなく裸足で逃げられそうな気がする。


「……連れて行け」

「ちょっとお!!」

 リオンは形振り構わず暴れるビビアに手こずっているようだが、そこで彼女はふっと力を抜き、不敵に笑った。


「ねえ、その婚約者って子爵家よね? 男爵家と子爵家なんてお似合いだけど、それじゃ下位から抜け出せないじゃない。ラッセラード男爵は何ていうかしらね? 私と婚約したのは血統を欲した為なのでしょう? だったら私のこの考えに賛同してもおかしくないわ」


 しかし、ふふんと鼻を鳴らすビビア嬢に屋敷内からは憐憫の眼差しが向けられた。

 ……以前あった騒動で、エレント小公爵の婚約者が、この女に憐れみを覚えて情けを掛けられた事を思い出す。──成る程、馬鹿が過ぎるとこういう反応をしてしまうんだなあ。


 イーライが一人しみじみと感慨に耽っていると、雰囲気を一変させたフェンリーは頭をがしがしと掻き、思いっきり顔を顰めてからビビアに向き直った。

「あのなあ、もしかしてあんたは目が悪いのか? それとも知らないのか、あんたを掴んでるその男が誰なのか?」

「……は?」


 訝しげに振り返るも、勿論ビビアは分からない。

「知る筈ないでしょう? どうして私が男爵家の使用人なんて知らないといけないのよ!」

 噛み付くように叫ぶビビア嬢に周囲は益々気の毒な眼差しを向けてくる。

 ……ここに高位貴族がいれば彼女は嘲笑の的となっていただろう。けれどどうやら平民出身者は彼女に同情的なようだ。そうか、馬鹿は過ぎると労われるんだな。

 諦めたようにフェンリーが口を開いた。


「……彼──リオンはラシード伯爵家の三男だよ。有難い事にうちで働きたいと名乗りをあげてくれてるんだ」

「んなっ!」


 その言葉に夫人の方は反応を示した。リオンを凝視した後、視線をうろうろと彷徨わせている。どうやら夫人にはこちらの言わんとしている事が伝わったようだ。


 旧貴族とは名ばかりのブライアンゼ家には、同じ伯爵家でも、未だ勢いのあるラシード家は遠い存在だろう。口を開けては閉め、何も言えずに肩を震わせている。


「何よ! 三男なんて、何も持たない平民と変わりないじゃないの! こんなところで私兵なんてやってる時点で大した事ないのよ!」

「ビ、ビビア……!」

「……」

 失言だ。場の空気が一気に冷えた。

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