第20話 イーライ①
イーライは男爵の爵位を持つ家の次男に産まれた。
まだ貴族社会に馴染むのには時間が掛かりそうな新興貴族の家。
彼は悩んだ末、自分の進路に神職を選んだ。
十八歳の時だった。
父や兄は文官や騎士を望んでいたが、彼は自分が貴族社会には馴染まないだろうと踏んでいたし、既に気持ちは社交界から離れていた。それに優秀な父や兄なら自分一人いなくともなんの支障もないとも思った。
家の為になる事より、まだ自分本位さが抜けない年頃で。文官や騎士なんて、どう足掻いても貴族社会との関わりを切れない。そう思ったら余計にやる気もでなかった。
彼の家──ラッセラード男爵家には由緒正しい貴族の真似事はまだ早く、イーライにとって社交界なんて気苦労が耐えない場所でしかない。
そう判断したイーライは飽き飽きした貴族の身分をぽいと捨て、家を飛び出していった。
そんな経緯で選んだ職業。
この国を含む周辺諸国が信仰する、女神セセラナを祀る宗教だ。
自分に相応しいかと言えばそうでもないが、この職種は結婚が出来ないと聞き、これに決めた。
母親譲りの珍しい白銀の髪と柔和な面立ち。そこに微笑みを浮かべるだけで令嬢たちは浮き足立ち、中には勘違いをして付き纏う者もいたからだ。正直面倒くさかった。
イーライとしては、ただの愛想というか、家庭教師の言葉通り貴族らしく振る舞っていただけなのに。
好意に喜ぶ事も恋に浮かれる事もない息子を、折角綺麗に産んだのにと、母が残念に思っていたけれど。
その貴族特有の思考が合わないと思ったから、特に後悔はしかなった。
ただまあ、行った先の神職者たちとて、清廉潔白だとは言えなかったけれど……
紹介と寄付と、簡単な試験を受け、イーライは半司祭の地位を与えられた。最初は貴族が物珍しいのか、周囲は遠巻きの扱いだ。
イーライに何か問題でもあるように思ったらしいが、成り上がりの男爵家の次男と知れると、周囲の興味はすぐ失せていった。
ここも俗っぽいのだなと、イーライは苦笑する。
改めて戒律を確認してみると、結婚は入信から十年出来ないとあり驚いた。
全く出来ない訳ではないのかと落胆したものの、けれど十年の確約が取れただけでもいいかと気を取り直す事にする。
それに勝手をしている自覚もあったから、将来は父や兄の望む縁を結べばいいとも思った。せめてもの孝行だ。今のところ女性に期待するものなど何もないのだから。
けれど、どう勘違いされたのか、この顔立ちのせいか、女人禁制のこの場では男共から妙な周波を送られてしまい、それはそれで辟易とした。
ここに来たのはそんな理由だろうと勘繰られた事にも絶句する。断じて違う。だが女性が好きかと聞かれると、当分離れたいという思いは確かにあった。だからと言って男に行くつもりもないけれど。
ただ曲がりなりにも貴族である事が幸いし、高位の神職者でもイーライに容易く粉を掛ける事は無かったので、まあ事なきは得ていた。
それを除けば神職というのは、存外性に合っていたようだ。信仰心はほぼ皆無だが、宗教史というのはなかなか興味深い。このまま神職に骨を埋めるのではなく、宗教学に向かうのも面白いかもしれない。
そんな事をほくほくと考えていると、早速地方派遣の話が降ってきた。
新人は王都にある神殿本部で半年ほどそれらしい研修を受ける。イーライもそれに倣い神職の真似事に興じてきたのだが、残念ながらここでずっと本を読み耽る暮らしはできないらしい。残念だ。
がっくりとした気分で、イーライは命じられるまま王都から馬車で一カ月も掛かる地方の神殿へと向かった。
──そこではほぼ牛と羊と鶏の世話をしていた。
「……村役場かよ……」
ぽくぽくという効果音でも聞こえてきそうな、のんびりとした田舎の、木造一階の簡素な「神殿」。
けれど村民にとって神職への期待値は高い。
王都から派遣させる神職は、村長からも頼られる。
更には村の男手扱いで、喧嘩の仲裁から薪割りに加え、力仕事全般を担う、体の良い雑用係……
日誌に書く事もないような日常で、果たしていつまでこの暮らしをするのだろうと初めの三ヵ月は呆然としていた。
──高位の神職者の誘いに乗らなかった腹いせか?
十年ここで過ごし、いつの間にやらこの地に根付いている自分を想像してしまう。
けれどここを逃げ出した後で、「貴族の坊ちゃんには、やはり勤まらなかった」と嘲笑われるのも癪に触る。
そうして村娘たちから、ここでも放たれる秋波を感じては、やはり神職を選んで良かったと安堵をし。イーライは取り敢えず自分に出来る事から始めていった。
周辺地域を確認すると、神殿があるのはこの村だけのようで、イーライの受け持ちはこの辺の村一帯となる。ここらを受け持つ領主も、イーライが貴族の出だと知ると態度を軟化させた。
領民たちと良好な関係を築き、見識を広げ、必要な知識を得ていく。平民相手のやりとりは、貴族特有の嫌らしさは無かったが、地盤もない地方という閉鎖的な空間で、己の立場を確立していく事はまあまあ困難だった。
そんな暮らしはおよそ三年で終わった。
王都の神殿は自分を忘れた訳では無かったらしい。手紙越しの急な人事が他人事のように耳にこだまする。
ここにいつまでいるのかと、不安を感じた当初を振り返ると不思議なものだ。不自由な暮らしさえ愛着を覚えてしまう。村娘から七年後に結婚して欲しいと逆プロポーズをされた時は、思わず心が揺らいでしまった。
──けれど、と思う。
安易に縋ったこの神職という仕事の、終着点はどこだろう。それはここを終の住処とする事とは違うように感じた。
残念そうに別れを告げる村人たちを後にして、イーライは次の町に移った。
(まるで根無草のようだ)
これを繰り返して何を見出せるのだろう。
ふと不安を覚える胸を抱えるも、選んだのは自分だと頭を振る。
いつか何かを手にする日がある筈だと。
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