第7話 ラッセラード男爵家③


「イーライ、久しぶりだ。少し寄っていきなさい」

 話し合いが無事に終わり、男爵はイーライ神官に声を掛けた。

 気に入らないところでもあっただろうか、なんて僅かにどきりと胸が跳ねるものの、家族なのだ。何も言わずに帰ってしまうのも、そっけない。


「兄上、今日私はレキシー様をエスコートしているのですが……」

「いいえ! イーライ神官様、久しぶりだと仰っておりましたじゃないですか! 私は一人で帰れますから、どうぞご家族の方とお過ごし下さい」

 ここは私が押さないと。


「……はあ」

 何だか気のない言葉を返すイーライ神官の背中を物理的にも押し、私は男爵に視線を送った。

「レキシー様もそう仰って下さっている。少しくらい家族に顔を見せてくれ」

「分かりました……ではせめて玄関まで送らせて下さい」

「あ、はい。ありがとうございます……あの、男爵様。実はフェンリー様にお願いがあるのですが……」


 言い出すタイミングが分からず、帰り間際になってしまったけれど。婚約者を探すに当たり、どうしても把握しておきたいのがフェンリー様の事だ。

 その為には男爵だけでなく、フェンリー様にも許可して欲しい事がある。


「……いいですよ。ではそれは後ほどフェンリーに確認させましょう」 

 ホッと息をつくとイーライ神官が続きを引き取ってくれた。

「そちらは私が間に入ります、レキシー様」

「ありがとうございます」


 少しばかり頼みにくい事なのでありがたい。黙って見守る男爵もまた、自分に任せる心づもりでいるようで、喜びがじわりと湧き上がる。

 男爵にはきっと、沢山ある交渉の一つでしか無いのだろうけれど。何かを成し遂げたこの瞬間は、いつも嬉しい。


「この度は誠にありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願い致します」

 私は深く頭を下げて、男爵へ謝意を示した。

 励ますように背中を支えるイーライ神官の手が温かくて、気持ちと共に頬も緩む。


 呆れたような男爵の顔が視界の端を掠め、込み上げた羞恥を隠すべく。私は平静を装いカーテシーで礼を尽くした。



 その後はなんかもうあまり覚えていない。

 玄関で居並ぶ使用人の皆さんが気になってしまい、イーライ神官の言葉は気もそぞろだったし、もう集中力が切れた。……流石先代の叙爵に一役買った実力者。人並みの私の胆力では厳しかったらしい。


「イーライ神官様、本日は本当にありがとうございました」

 改めてお礼を言うと、イーライ神官はいつものようににっこりと笑ってみせた。


「いえ、レキシー様のお力になれて嬉しい限りです。何かありましたら直ぐ私に言って下さいね」

「ええ……」

 出来れば自分だけで解決したいところだが、厚意を無下に出来るような立場でもない。

「ありがとうございます」

 素直に従って礼を取り、身を翻そうとしたところで、ぐっと腕と腰を取られた。


「ではまた」

 耳に直接送り込まれた声に硬直していると、顔を赤らめる使用人たちと何故か共に並ぶフェンリー様が目に入り、羞恥に目の前がチカチカした。

 何故今このタイミングで──っ


「おや、何だかお顔が赤いようですが、やはりお送りしましょうか?」

「はいっ? いいえ、要りませんっ! お構いなくー!!」

 ばりっと音がしそうな勢いで、我が身を色気を撒き散らす神職から引き離す。そしてとにかくもう急いで馬車へと駆け込んだ。



「うわあああー……!」

「お、お嬢様? どうしました? 交渉が上手くいきませんでしたか?」

 バタンと馬車のドアが閉まると同時に席にくずおれる私に、馬車で待機していたマリーがぎょっと目を剥いていて立ち上がった。


「いいえ、マリー。交渉は上手くいったわ。……そうよ、今日私は頑張り過ぎたのだわ。だからあんな変な妄想を最後に見たのよ。そうだ、そうだわ……て、私ってばそんな妄想を真昼間から──はしたなくないっ?!」

 じたばたと悶える私に何かを察したのか、マリーは、ああと呟いてから、私の背中をぽんぽんと叩いた。


「……大丈夫ですよお嬢様。人間疲れていれば馬鹿な妄想もしますから。頭の中の話なら何が起こってもはしたなくなんてありませんよ」

「そ……そう、よね──そうよね??」

 うんうんそうだ。


「だからうずくまってないで、きちんと座って下さいな。帰りましょう。今日上手くいったとて、これからフェンリー様の婚約者候補の交渉をしなくてはならないんでしょう? これで終わりでは無いんですから」

 その言葉にがばりと身を起こす。


「そうよね、そうだったわっ。これからよ!」

 ──そして

 あれは、何でもない事。

 私が慣れてないから、意識してしまっているだけの事なのだわ……


 私は急いで意識を現実に呼び戻し、どきどきする胸を何とか落ち着かせようと息を整えた。


「さあ、では帰るわよ! 次の仕事が待ってるわ!」

「……はい」

 くすりと漏らすマリーの笑みが、車窓の外に向けられると共に抜け落ちたように表情を無くす。

 けれどそんな様子は燃え上がるレキシーには映らない。マリーもまたいつものように優秀な侍女として、表情を戻し、前を見据えた。

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