第6話 ラッセラード男爵家②


 イーライ神官の丁寧なエスコートのせいか、待ち構えていたラッセラード男爵の表情は穏やかに見れた。

 広い室内に暗褐色の調度品で纏められた部屋は、気品と落ち着きを兼ね揃え、そこに鎮座した男爵の品位を引き立てて見える。


 そんな中で、しかし大事なご子息に泥を投げつけたようなものなのに。果たして勧められた椅子にそのまま座ってもいいものかと躊躇ってしまう。


「……流石にお座り頂かないと話し合いには応じられません」

 苦笑する男爵に頭を下げ、私はソファに腰を落とす。

「……それでは失礼致します。……っ?」

 フワッと沈むソファの柔らかさに目を丸くしていると同時に、イーライ神官が隣に座り手を握って下さったので、二重に驚いた。


 メイドが気配を断ちつつお茶を淹れていく。

 イーライ神官がいるからかもしれないが、多少なりとももてなしの体を持って貰えるのはありがたい。


「それでお話というのは……」

 けれど男爵の切り出しに急いで意識を戻した。感動している場合ではなかった。

「はい、この度は我が不肖の妹がフェンリー様に大変失礼を致しました。また、我が家の当主がお詫びに来れない事を、合わせてお詫び申し上げます」


 深く頭を下げ誠意を見せる。

 ……正直父のあの様子では何を言い出すか分からない。労働ははしたないという貴族らしい言葉に逃げ、意に沿わないものからは目を背ける性分でもある。

 ここに連れてきて、我が家にとって致命的な発言でもされたら、たまったものではない。


 これもやがて円満に実家から離脱する為。自分の為。

 その為にはブライアンゼ家には可能な限り無傷でいて貰わなければ私の寝覚が悪い。

 私は自分の為に奮闘している。あとはフェンリー様の名誉の為。そう思えば頑張れるというものだ。


「顔を上げて下さい」


 静かな声に従い、そっと面を上げた。


「……イーライから多少事情を聞いておりましてな。ご実家を糾弾する事は今のところ考えておりません。フェンリーも、まあ多少落ち込んでおりましたが、婚約者は自分で探すと気持ちを切り替えていましたし、レキシー殿が心配する事は何もありませんよ」

 しかし朗らかに笑う男爵の目が笑っていないように見える。


「いえ……その、そうでは無くて……」

 やはり怒っているのだろう。

 先に土下座するべきだろうか……けれど私の手を握り込むイーライ神官の手に力が入り、この手を振り払う勇気が出ないので。先に交渉という名のお願いを口にする事にした。


「フェンリー様のお相手として、確かに当家の愚妹は不適切です。ですが、ご存知かとは思いますが、我が家には今まで貴家から頂いた支援金をお返しする能力がありません」

「……成る程?」


 婚約に関する書類を確認したところ、ブライアンゼ家に過失があった場合、それらのお金は全て返す事が綴られていた。


「ですから、その。帳消しにいて頂きたいのです。全ては返せませんが、一部の返金と、ビビアの代わりにフェンリー様のお相手として、相応しい御令嬢をご紹介する事で」

 

 僅かに目を見開いた男爵と同様に、隣のイーライ神官からも驚いたような気配を感じた。

 いや、流石に……返金ゼロでは納得して貰えないな、と。屋敷に入って流石の私も思いましたので……ここは私財を投じる事にします……


「……フェンリーは自分で探すと申しましたが……」

 鋭く光る男爵の目に身が竦む思いだが、私はにっこりと笑顔を作った。

 

「はい、ですから私がさせて頂くのは、あくまでご助力です。私にも事業で培ったコネがあります。これを活かし、男爵様に新たなご縁を設ける事が出来れば本望です」

「ふうむ……」


(ど、どうかしら……)

 顎を摩る男爵を内心で固唾を飲んで見守っていると、探るような目を向けられる。

 

 飲まれたら駄目だ──

 

 事業でも社交でも、こういう場で相手の空気に飲まれたら下手を打つ。


「──して、いくら返して貰えるのですかな?」

 男爵の言葉にやったと小さく喉を鳴らす。胸に手を置き、出来る限り平静を保って返事を返した。

「三分の一でご容赦下さいませ」


 その言葉に再び二人から息を飲む音が聞こえた。

 ……でもごめんなさい、これが限界です。


 実家を出て小さな家を借りて、エルタとマリーに給金を払って、事業を継続させる。……その資金を除いた私の全財産なので……


 払える全額を掲示したのは誠意を示したつもりだったのだけれど。

 男爵は眉間に皺を寄せ難しい顔をしている。もしかして、しくじってしまっただろうか……

 内心ではらはらしていると、男爵はこちらに視線を合わせて、ゆっくりと首肯した。


「いいでしょうレキシー殿。あなたにお任せします」

 驚きに口がまあるく空いたまま固まってしまう。

「──ほ、本当ですか!?」


 あ、いや、冗談ですとか言われたら大変だ。

 思わず自分の口を掌で塞いでいると、男爵が含んだような笑いで肩を揺らす。


「ええ、本気です。失礼ながらブライアンゼ家に全て返せるような額ではないでしょう。とはいえこれはあなたに誠意を感じたからこその返答とお受け取り下さい。……あとはまあ、あなたという人物が繋いで下さる新たな縁に、少しばかり興味を持ちました」

「あ、ありがとうございます!!」

 にっこりと笑う男爵に泣きそうな顔でお礼を叫ぶ。


 よ、良かった! 本当に!!


 気付けばイーライ神官の手が私の手をしっかりと握りしめていてくれていて。勢いよく振り仰げば、優しい笑みのイーライ神官と目が合った。


「ありがとうございます……」

 ずっとこうして励ましていてくれたのかと、胸に何かが込み上げてくる。

「どういたしまして」

 けれどいつもは温かくなるイーライ神官の優しい笑みに、何故か今日はどきりと胸が跳ねる。


「……はい」

 こんな時美形は心臓に悪いなんて、つい惚けていると、向かいの男爵の咳払いで目が覚めた。

「口約束ではありますが、これらの合意はイーライが相席している事で書類に起こしませんが、よろしいですかな? これでも神官。我が家の縁戚にあるとはいえ、契約を詐称するような真似は致しますまい」


「──はい、勿論です! ありがとうございます、ラッセラード男爵様、イーライ神官様!」

 再び深々と下げた私の頭の上で、男爵とイーライ神官の間で交わされた視線があったのだが、当然私には知る由も無かった。

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