第213話 51日目⑬蘿摩子
かまどに掛けられている2つの鍋。片方は朝の残りの海鮮スープ、もう片方はガガイモを茹でるためのお湯。火力が強いので両方ともグツグツと沸いている。
お湯の方に塩を入れ、水洗いしたガガイモの若い実を入れて菜箸で転がしながら茹がいていく。元々はややくすんだ緑色だったのが、お湯に入れるとたちまち鮮やかな緑に変貌する。ガクちゃん
「ガクちゃん、あたし冷水を汲んでくるからちょっと離れるね。スープの方も煮立ってるよ」
「おー、了解だ」
すぐそばの作業台で昨日の夜に捌いてあったカレイの身を一口大に切り分けて葛粉をまぶしていたガクちゃんが軽く片手を上げて応じる。
あたしは真鍮のバケツを片手に
ガクちゃんにはあえて黙っているけど、ガガイモの汁の毒消し以外にも、ガガイモの実──
ちなみにガガイモを専門的に研究しているサークルの先輩というのは、当然エロサイエンティストのナナミ先輩だ。先輩の過去の研究成果である
去年の秋、ナナミ先輩は、コンビニの先輩店員であたしを有用植物研究会に誘ってくれたミズキ先輩と二人でそれぞれの彼氏に食べさせるためにガガイモ料理を試作していたが、彼氏のいないあたしとキノコオタクのヒヨリ先輩は蚊帳の外だった。というかあたしはヒヨリ先輩によって隔離されていた。曰く「あんたにはあれはまだ早い。いやむしろあいつらのああゆうとこは見倣ったらあかんに。ぶっちゃけあいつらのやってることって彼氏に媚薬を一服盛るのと同義やんな」と。……すいませんヒヨリ先輩。あたしはナナミ先輩たちと同じ穴のムジナっす。
ガガイモは昔から食用とされてきたが、江戸時代においては旅先ではガガイモは食うな、とも言い伝えられていた。その心は、芋を食べれば毒で倒れ、実を食べれば浮気につながり、いずれにしても帰ってこなくなるかららしい。
先輩たちのガガイモ料理にどの程度の効果があったかは分からないが、それからしばらくして、ミズキ先輩の彼氏の二股が発覚した。
結局のところ、あたしがガガイモを食べてみたい、そしてガクちゃんに食べさせてみたい理由は、本当にヒヨリ先輩が言ってたような媚薬的な効果があるのか興味がある、ただこれに尽きる。
そもそも精力剤といっても色々あるわけで、性欲が高まるムラムラ系なのか、持続力が上がるビンビン系なのか、あるいは鰻やスッポンみたいに栄養満点で活力が出るギンギン系なのか。食べてすぐに効果が出るのか、継続的に食べ続けて効果が出るのか。そのあたりが知りたい。
蘿摩子を実際に服用した人のクチコミをネットで探してみたがその効果のほどはよく分からなかったし、先輩たちにはムッツリとからかわれるから詳しく聞けなかった。
下手に事前情報があるとつい身構えてしまって勘違いや思い込みによって認識が歪むかもしれないから、あえてガクちゃんには何も言わずに食べてもらう。正直、たった一回の食事で明確に分かるほどの効果などあるはずない、というのがあたしの予想。でも、効果が実感できないならそれはそれで一つの答えだからあたしの知的好奇心は満たされる。
もし一回の食事でも明確に分かるほどの効果があるとしても、それを受け止めるのはあたしだから問題ないかな~、と。……うひひひ。
「何をニヤニヤしてるんだ?」
「……やー、去年食べ損ねたガガイモを食べれるのが楽しみなんすよ」
「…………んー、そうか。なら、冷水で冷ましたガガイモを食べやすいサイズに切り分けておいてくれるか? こっちはその間に吉野汁を仕上げておくから」
「おまかせられっ!」
ガクちゃんが煮立ったスープに葛粉をまぶしたカレイの切り身をバラバラと投入するのを横目で見ながら、あたしもガガイモをオクラの要領で食べやすいサイズに切っていく。ガクちゃんの指導のおかげでこの程度の調理作業なら普通にこなせるようになった。
「できたよ」
「おけ。じゃあ、さっき皮剥きしたムカゴを刻んで、ナイフの刃で叩いてネバネバのペーストにしてくれるか」
「あいあい」
皮を剥いてすでにヌルヌルのムカゴを一個ずつナイフで半分に切り、切断面を下にして転がっていかないようにまな板の上に並べてから
「お、いい感じのとろろ芋になったな。じゃあそれとさっき刻んだガガイモを混ぜてガガイモのとろろ和えを完成させて器によそってくれるか? こっちの吉野汁もできたぞ」
「おお~、待ってました! お腹すいたねぇ」
ガクちゃんが丼に吉野汁をよそい、あたしはお碗にとろろ和えをよそってテーブルに運び、いつものように向かい合って座って手を合わせる。
「いただきます」
「いただきまーす」
「とろろ和えにはセルフで
「はーい」
いくつもの食材から抽出した旨味成分を凝縮させて濃く味付けたオリジナル液体調味料──旨味出汁を小瓶からとろろ和えにタラッと回し掛け、箸でかき混ぜてからまずは一口食べてみる。
とろっとしたムカゴが絡んだガガイモの実は軽く噛んだら簡単に潰れる柔らかさ。サヤインゲンのような青臭さはほとんどなく、味はほぼオクラでトウモロコシみたいな甘みもある。そこに旨味たっぷりの出汁が加わることで、それだけで完成された味になる。
「うまぁっ!」
「うん。ムカゴのとろろで粘りが追加されると、味といい食感といいオクラだな。でもそれだけじゃない独特の甘みがあるな。普通に旨いじゃないか」
「はうぅ。これ、牛丼に……いや、シンプルにご飯の上にかけてかっこみたいよ」
「はは、通だな。シンプルだけど絶対旨い食い方だ」
「……うう。でもお米が収穫できる頃にはガガイモの若い実は無いよねぇ」
「その時は、
「そ・れ・だ」
次いで吉野汁の丼を手に取る。海鮮出汁の香りと薬味のミツカドネギの風味がいい感じに混ざりあっていて、口にする前から絶対美味しいと確信する。
丼の
「…………ああもう、これは優しい幸せの味っす。いろんな旨味が調和してすっかりいい
「スープ系は時間を置くと味がまろやかに変化するもんな。たしかに朝より格段に旨くなってる。……うんうん。カレイの身も旨いぞ」
「あ、あたしも」
スプーンでスープに沈んでいるカレイの身を掬えば、一口大の切り身の表面が透明でプルプルの衣に覆われ、中の身が透けて見えている。
「葛粉が熱で透明になって透けてる! これはビジュアル的にも面白いね」
「だろ? だが吉野汁の一番の特徴はその熱でプルプルになった葛粉の衣が食材をコーティングすることで旨味がスープに溶け出すことなく内部に閉じ込められているところにある。まずは食べてみな? 驚くぞ」
「へぇー、じゃ早速……はむ。…………っ!?!?」
ぷるっぷるの衣に包まれた切り身はそれなりの大きさがあるのにチュルンと何の抵抗もなく口に中に滑り込んでくる。そしてそれに歯を立てた瞬間、内部から熱くて凝縮された魚の肉汁がジュワッと溢れだす。なにこれ!? こんな濃い魚の味なんて知らない。上品な白身魚の味なのに濃縮感が半端ない。
「どうだ? すごいだろ?」
「…………っ!」
口の中が熱くてしゃべれないけど、はふはふしながらも何度もうなずく。
生の切り身に葛粉をまぶして熱いスープに入れると、外側の葛粉がふやけると同時に熱で固体に変化して切り身全体をゼリー状の衣で覆い、その後熱が内部に伝わって生の切り身にしっかりと火が通るが、衣によって外側と遮断されているので魚肉から出た旨味たっぷりの肉汁はそのまま衣の内側に留まる。
通常、魚を煮る料理は、身から旨味をあえてスープに溶け出させて出汁にしてそれをベースに味を調えていくが、この吉野汁というのは真逆の発想によるもの、口に入れるその瞬間まで食材の旨味をそこに留めておく、まるでビックリ箱みたいな料理だ。
葛粉にはスープにとろみを付けたり、しっかり固めて餅っぽくしたり、揚げ物の衣にしてサクッと仕上げたり以外に、こんな使い方もあるんだね。いやはや料理の道というものは奥深いものなんだね。
【作者コメント】
ちょっとね、今回は沈没ライフの最新話を書き進めるより優先しなくちゃいけない事態が発生してしまいまして。その件はカクヨムの近況ノートおよびなろうの活動報告にて説明させていただきますので、気になる方はそちらからご確認下さい。
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