第210話 51日目⑨君の名は

 ノアの群れノアズアーク全員の名前が決まった。ガクちゃん的には今考えた名前はあくまであたしたちがそれぞれの個体を見分けて区別するための記号のようなものって認識みたいだけど、プレシオサウルスたちにとって名前っていうのは今までなかった新しい概念で、でもそれがあることの便利さを知ってしまったからにはきっと欲しいものだと思うんだよね。


 ノアは昨晩ガクちゃんにその名を呼ばれて喜んでいたし、ゴマフだって自分がゴマフだとはっきり認識している。プレシオサウルスは話すことはできなくても、あたしたちが発する言葉を聞き分ける能力はあるし記憶力もいい。

 あたしの予想通りなら、これからあたしがすることを彼らは絶対に無視できない。


 あたしは波打ち際に近づき、ノアとゴマフに向かって叫ぶ。


「ノア──!! ゴマフ──!!」


 やや沖の方にいたノアとゴマフが振り向き、こちらに泳いで近づいてくる。当然、ノアのつがいであるサラとエステル、ゴマフの父親のシノノメも一緒に来る。そして、内湾の方々に散っている面々もこちらの動向を窺っている。


「キュイ?」


「よしよし。来たね」


 足元まで来たゴマフの頭を軽く撫でてやってからまっすぐに立ち、周囲を見回してみんなが注目していることを確認してから、ゴマフを指差してはっきりと大きい声で言う。


「ゴマフ!」


「キュッ」


 次いでノアを指差す。


「ノア!」


「クアッ!」


 律儀に返事をしてくれる2頭。せっかくだからこの機会にあたしたちの名前も知ってもらおうと、次にガクちゃんを指差す。


「ガクト!」


「おう」


「じゃあ次はガクちゃんがあたしを指差して名前を呼んで?」


 ガクちゃんがあたしを指差して名前を呼ぶ。


「ミサキ!」


「あいっ!」


 やはり名前というものはプレシオサウルスたちにとって非常に関心を引くものであるようで、ノアが呼んでもいないのに、巣作りに勤しんでいたメスたちを含め、プレシオサウルスたち全員があたしたちの周りに再集合してきた。


 全員が集まったので、すでにネームドのノアとゴマフ、あたしたち2人を指差して名前を呼ぶ、一連の流れをもう一度繰り返して見せる。これで相手を指差して発する言葉が個体名だということは理解できたんじゃないかな? 


 それから、ゴマフと一緒にすぐそばに来ていたシノノメを指差してその名を口にする。


「シノノメ!」


 この流れだからちゃんと通じるはず、と思いつつ、シノノメの目をまっすぐに見て指差し、もう一度ゆっくりはっきりとその名で呼び掛ける。


「シ ノ ノ メ」


 それに対する彼の反応は劇的だった。前ヒレでバッシャンバッシャンと水を叩き始め、首をまっすぐ空に向かって伸ばして雄叫びを上げる。 


「クオオオォォォォン! クオオオォォォォン!」


 途端に周囲のプレシオサウルスたちも興奮状態になり、各々が前ヒレで水を叩きながら口々に鳴き始める。


「あわわっ!? あれぇ? なんかみんな荒ぶってるけど、気に入らなかったのかな?」


「うーん、いや、どうだろな。ゴマフやノアの場合は前ヒレで水をバチャバチャやるのは喜んでる時だったと思うが」


 喜んでいるのか威嚇されてるのか判断しかねてコソコソ相談する。


 そうしているうちに、興奮状態が落ち着いたらしいシノノメがこちらに向いて頭を下げて、あたしと顔の高さを合わせたままノソノソと近づいてきた。一瞬だけ身構えたけど、彼がクルルルルと喉を鳴らしているのに気づいたのでそのまま好きにさせることにした。

 すると、ゴマフがあたしに甘える時にいつもするように、首を伸ばして顔をあたしの顔に近づけ、そのまま頬にスリスリと擦り付けてきた。あまり頬をぐりぐりされると顔がぶちゃいくになるからやめてほしいんだけど。


「にゃにをしゅるぅ~」


「クルルルル」


 ご機嫌で喉を鳴らしながらの親愛の情のこもった頬擦りからは、嬉しくてしょうがないという感情が伝わってくる。そっかぁ、そんなに嬉しかったのかぁ。

 そっと手を伸ばし、ひんやりすべすべで適度な弾力のある首に触れて撫でてやるとますます嬉しそうに喉を鳴らす。


「…………シノノメ」


「クア!」


 名前を呼ぶとすぐに応じる。思った以上の好リアクションに正直ビックリだよ。シノノメでこれなら、早く他の子たちにも名前つけてあげないと暴動が起きるんじゃない? 周りを見回してみればさっきの興奮状態こそ少し落ち着いたもののソワソワと挙動不審になっている。

 でも、甘えモードに入っているシノノメに加え、相手にされずに寂しかったらしいゴマフまであたしの足元で後ろヒレと尻尾を上手く使って立ち上がり、あたしの太ももに抱きついて引っ付き虫になっているのでこっちも収拾がつかない。


「モテモテじゃないか。みさち」とニヤニヤしているガクちゃん。


「まさかのモテ期到来!? いやダメ! あたし人妻だから……ってそうじゃない! ガクちゃん、笑って見てないで助けてよ。他の子たちにも早く名前つけてあげないとだし」


 ガクちゃんが笑いながらあたしに抱きついているゴマフをひっぺがし、あたしを後ろから抱き締めてそのまま数歩後ろに下がってシノノメから距離を取る。


「シノノメ、いくらゴマフの母親役をやってたといってもミサキはやらんぞ。こいつは俺の嫁だからな」


「クル……クアッ!」


 分かったのか分かってないのか、とにかくあたしへのスキンシップを止められて我に返ったらしいシノノメはゴマフを連れて素直に海に戻っていく。

 ガクちゃんの腕の中で思わずため息をつく。


「ふう。なんか想定以上に名付けが大事おおごとなイベントになっちゃったんだけど」


「狙ってこの状況にしたんじゃないのか?」


 明らかに期待でワクワクしながら順番を待っているプレシオサウルスたち。ノアのつがいの2頭に至っては、次は自分のばんだとばかりにもう波打ち際まで来てスタンバイしている。


「いや、確かにね皆の前で誰かに名前を付けたら、自分も! 自分も! ってなるかなーとは思ってたし、それで一気に名付けを終わらせるといいなーとちょっと期待してたけど、まさかこんな全員が一斉に食いつくとは思ってなかったし、名前を付けただけでシノノメの好感度があんなに一気に爆上がりしてデレデレになるほど大喜びするなんて想定外だよ」


「あーまぁ確かにすごい喜び様だったな。他の奴らも同じ熱量で名前を欲しがってるとしたらこれ以上待たすとまずいかな」


 波打ち際で待っている2頭に目をやれば、目が合った2頭がねだるように首をのばしてくる。


「キャウゥ」「クワァ」


「あー、はいはい。ちゃんと君たちにも名前はあるからね」


 ガクちゃんの腕から抜け出して、波打ち際で待っている2頭に近づき、全員に周知させるために1頭ずつ指差しながら大きな声ではっきりと名前を告げる。


「サラ!」

「キャウゥゥゥ!」


「エステル!」

「クワァァァッ!」


 名前を貰ったサラとエステルは歓声を上げながら前ヒレで水を叩いて喜び、近づいてきて、さっきのシノノメと同じようにあたしとガクちゃんに親愛の頬擦りをしてから海に戻っていく。


 ほっとする間もなく、すぐに次のグループ──ジュエリーズが近づいてくる。

 

 ジュエリーズのヒスイ、ルビー、オニキス。

 カラーズのヒイロ、モエギ、マツバ、ミル。

 ソロのドーラ。


 特にトラブルも無く、あらかじめ決めていた名前を全員に付け終わり、全員に頬擦りされたあたしとガクちゃんの頬は赤く腫れた。

 シノノメのせいで、名前を貰ったらあたしたちに頬擦りをするという謎ルールが定着してしまった気がする。原始宗教における儀式の始まりを目撃した気分だ。


 名付けが終わってから、一通り全員の名前を呼んでみたところ、全員がちゃんと自分の名前を呼ばれて返事をしたから、それぞれがちゃんと自分の名前を覚えられたみたい。やっぱりこの子たちは賢いね。


 そんなこんなでなんとか名付けイベントは無事に終了してノアの群れノアズアークが正式に箱庭の新たな住人になり、あたしたちの隣人になったのだった。


 すべてが終わる頃には時刻は昼になってしまっていたので、あたしたちは一度休憩するために林の仮拠点に戻ることにした。





【作者コメント】

 近況ノートに箱庭のイメージイラスト載せときます。よかったらチェックしてみてください。イメージの一助になれば幸いです。


さて、今回のお話はいかがでしたか? 楽しんでいただけましたら↓の♥や応援コメント、目次から★~★★★評価とフォローをお願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る