第204話 51日目④ノアの望み
数えたら12頭いるプレシオサウルスの群れのリーダーであるノアが、単身で浜に上陸して坂の上にいるあたしたちの方に這い上がって来るのを見て、ガクちゃんもノアの誠意に応えるために石槍をあたしに預けて一人で坂を下って行ってしまった。正直気が気じゃないけど、ガクちゃんの決定だし、向こうの群れも自分たちのリーダーが1頭だけで自由に動けない陸地に上がり、得体の知れない生き物と接触しようとしている現状をハラハラしながら見守ってるんだと思えば、あたしだけが勝手に動くわけにはいかない。
ガクちゃんとノアがそれぞれの家族の代表として平和的に関係を構築しようとしているのに、あたしが誤解を与えるような行動をしてピリピリしている向こうの群れと一触即発の引き金を引くわけにはいかない。
あたしにできるのはガクちゃんのサポート。ガクちゃんが正しい決定ができるように、ガクちゃんが気づいていない危険や情報を見つけて彼に伝えることだ。
両手を広げて害意が無いことをアピールしながらゆっくりとノアに正面から近づいていくガクちゃんがついにノアの攻撃範囲に入る。その背中から緊張が伝わってくる。ずっと大きなノアが本気で噛みついてきたら大怪我をするに違いないからガクちゃんの緊張は当然だと思うし、それでも近づけるのはすごい勇気だと思う。
ノアの動向に集中しているガクちゃんに代わり、あたしは群れの方にも意識を向けて怪しげな動きをしないか見張っておく。プレシオサウルスたちは1頭残らずガクちゃんとノアのやり取りに意識を集中しているようであたしの方に向いている視線はない。
その様子を見て、プレシオサウルスたちにとって、リーダーであるノアがこれからガクちゃん相手に行う交渉はよほど大切なことなんだと気付いた。
きっとプレシオサウルスたちはあたしたちになにか望むことがあるんだろう。自分たちよりずっと小さくて数も少ないあたしたちに対してリーダーがこんなにも下手に出るほど大切なことが。
ノアがあたしたちに望んでいることはノアの独断ではなく、きっと群れ全体の望みだ。だとしたら彼らはあたしたちになにを望んでいるんだろう? それに気付くことができればガクちゃんの助けになれるはずだ。
もしゴマフを群れに返してほしいということなら、断る理由もないしもとよりそのつもりだけど、それはなんか違う気がする。そもそも昨晩、ノアはゴマフに一声かけただけで連れていこうとはしなかったし、あたしたちもゴマフを返したくないという意思表明をノアにしたわけでもない。
まだ幼い頃のノアが徳助大叔父さんに捕まった時は、成体のプレシオサウルスたちが漁船を取り囲んで子供を返せと圧力をかけたことがノートに記録されていたから、もしノアがゴマフを取り返そうと思っていたなら同じような行動をしたと思う。
あたしはもう一度群れ全体を見回した。
こうして見るとけっこう色が違うんだね。ノアと同じ青緑系が一番多くて、ノアを含めて6頭。残りは赤系が3頭、黒系が2頭、紫系が1頭。
大きさで色が変わるという感じでもない。ノアの次に大きな5㍍級の2頭は青緑系と赤系だし、一番小さな3㍍級は青緑系だ。
それぞれの色の違いを頭に入れながら特徴で見分けられるように1頭ずつチェックしていて気付いた。群れの配置がどうも2頭の4㍍級を群れの内側に
あの2頭は体調が悪いの? もしかして怪我してる? ゴマフの母親みたいに襲われた? ……ゴマフの母親?
そこまで考えたところでピーンと点と点が繋がる感覚があった。
「……まさか」
体調が悪そうな2頭に特に注目して観察してみて、自分の推測がたぶん正しいと確信を強める。もしそうならノアがガクちゃんに対して下手に出るのも、群れにやけに余裕がなさそうなのも納得だ。
「…………っ!?」
あたしが群れの方に意識を向けている間に、ガクちゃんとノアの方にも進展があったようで、ガクちゃんが驚いて絶句している。
慌ててそちらに振り向けば、ノアが信じられないような行動に出ていた。
「……そこまでするんだ。ノア、あなたは本当に群れのみんなが大切なんだね」
ノアがなにを思ってこんな行動に出たのか分かってしまったあたしはその仲間想いの自己犠牲に胸を打たれてしまった。
ノアは前肢後肢を大きく広げて地面に臥せ、首も顎までペタリと地面に着けて力を抜き、目まで閉じてしまっていた。人間でいうなら五体投地。いや、無条件降伏ともいえるほどの無防備状態だ。
ノアによる噛みつき攻撃を警戒しているガクちゃんへの、自分からは絶対に危害を加えないというノアからの誤解の余地のない意思表明。
「………………美岬、俺にはノアがなぜここまでするのかが理解できない。少なくとも、昨晩の魚を分け合った時点では対等な関係だったはずだ。なのになんで今日は群れの皆が見ている前でこんなにへりくだるんだろう? こんなことをしたら群れの長の座を追われることになりかねないのに」
ノアの行動の理由が理解できずに困惑しているガクちゃんに小声で伝える。
「ノアのそれは群れの総意……というか、ノアはここまですることでこの場所が本当に安全であたしたちが敵じゃないってことを群れのみんなに見せようとしてるんだと思うよ」
「なにか気付いたことがあるのか?」
「うん。群れに妊娠中……たぶん出産間近の雌が2頭いるよ。安心して産める安全な場所を求めてここに来たんだよ」
それを聞いてガクちゃんがハッと群れの方に目を向け、やがて納得したように小さく頷く。
「…………そういうことか。教えてくれてありがとな。ようやく色々と腑に落ちた。なるほど、それならこのノアの必死さも納得だ。……繁殖と子育ての時期になんらかの理由で営巣地を放棄せざるをえなくなり、群れ全体で移動している途中で俺たちがゴマフを安全に育てているこの場所に辿り着いて、ここを縄張りにしている俺たちに移住の許可を求めてこうしてるってことか」
「うん。たぶんノアたちにはもう後がないから必死なんだよ」
「なるほどな。だがそれでも縄張りを実力行使で奪いに来るんじゃなくて、こういう行動に出るあたり、こいつらはほんとにお人好しというか善良というか……対立するよりできれば共存するというのが基本理念なんだろうな」
ガクちゃんが肩の力を抜き、いまだに五体投地中のノアの頭のそばに腰を下ろし、手を伸ばして首に触れ、ゴマフにするように顎の下を掻いてやる。
「ノア、お前の望みはたぶん分かった。それはもういいぞ」
「クルルルル……」
ノアが目を開き、ムクリと地面から首をもたげ、ガクちゃんと目線の高さを合わせて、機嫌良さそうに喉を鳴らす。
「じゃあ、ノアたちにここで暮らすことを許すってことでいいんだね?」
「俺はいいと思うけど美岬はどうだ?」
「もちろん大歓迎だよ。正直、さっきのノアの五体投地には感動しちゃったし、こんなに仲間想いのリーダーが率いる群れとなら仲良くなれると思う」
「決まりだな。あとは……この俺たちの考えをどうやって言葉の通じない群れの他の連中に伝えるかだが……」
「それだったら……昨晩のあれを群れの全員を相手にまたやればいいんじゃない?」
昨晩のあれ、とはつまり魚を振る舞うことだ。幸いにして釣った魚を活かしておく為の浮き篭には、ゴマフの餌用とあたしたちが食べる分として、群れの全員に1匹ずつ振る舞えるぐらいの根魚はストックされている。
「…………天才かよ。確かにあれなら手っ取り早くてこの上なく分かりやすい信頼の証になるな。先にゴマフとノア相手にデモンストレーションしてみせれば他の連中にもこちらの意図はちゃんと伝わるだろうし。いや、よく思い付いたな」
「うへへへ。誉められちった」
ガクちゃんが賛成してくれたのでさっそく行動を開始することにした。
あたしはゴマフを囲いに迎えに行き、ガクちゃんは魚の入った浮き篭を回収しに行く。
言葉は通じなくても食べ物を分け合うというのは野生動物的には友好の証らしいから、飲みニケーションならぬ食べニケーションで他のプレシオサウルスたちの信頼を勝ち得ることができたら大成功だろう。
さあ、O・MO・TE・NA・SHIだ。
【作者コメント】
言葉の通じない相手とどうやって信頼関係を築くか? やっぱり食べ物を分け合うのが一番かな、と。
楽しんでいただけたら、引き続き応援いただけると嬉しいです。
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